夢で会うひとたちへの手紙
いつもよりずっと長く眠り、途中で起きたとしてもまた眠ることを繰り返した日、夢の中で懐かしい人に会った。
夢の中はその人とかつて一緒に過ごした冬で、尖った寒さにもかかわらず色合いの美しい季節だった。
完璧な背格好、長い手足が映えるスーツ、切れ長の目で優しく笑いかけてくれる仕草。この人のことを懐かしく思うときが来るなんて、と思うほど当時夢中に恋をしていたので、ひどく寂しい気持ちになったのだけれど、また会えてよかった。もう会えないと思っていた。
夢の中で起こることなど現実感がまるで希薄なのに、それが夢だとは露ほども思わない。だから夢の中で誰かに会うとき、現実感の無さからその人を遠く感じて悲しい気持ちになる。
それは決まって懐かしい大事な人たちで、その日の夢をきっかけに、彼らのうち数人に手紙を贈ったことを思い出した。
手紙を贈り、贈った人の人生に痕跡を残すということを時折やっている。
伝えたいことをすべて言葉にすることで完璧に思いが届いてほしいから。そしてそれが記録のような形で残ることで、私とのことを覚えていてほしいという痛切な願いから、「独りよがりでなければいいのだけれど」と思いながら渡す。
思い出に浸るなど情けないから嫌いなのに、思い出してしまった。
一番の憧れだった人と恋人になれたのに、ひどいことをして田舎においてきてしまったこと。反対に、連絡もなしに私を捨てていったひとのこと。富士山の麓で1週間いっしょにすごす約束と、いつか伊勢に行こうという約束を破って。
贈った手紙の内容をいまも覚えている。入念に推敲して、字が気に入らず何度も書き直したことも、手渡したときの表情も。
あの人たちはどこにいったのだろう、と思う。
実際にはどこにいるのかわかる人もいるのだけれど、あのひとたちの心がどこにいって私の前からいなくなったのかが、もうふわふわと遠いことでわからず、考えだすと迷子になったときのように心寂しくなる。
手紙は捨てられてしまったかもしれない。
夢の中で会えたとしても、私の痕跡が残っていないと悲しい、と思う。
思い出にも価値があるとは、どうしても思えない。
「私とのことを覚えていてほしい」という思いで手紙を書いたことはあれど、自分のために思い出を残すということは今までやってこず、惜しいことをしていたのだなとようやく気付いた、という話も過去に書きました。
最近は明るいことを書いていないので、また今度書きたいです。
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