HSP ~他の何者かになりたかった自分へ 憧れと自己の境界線~
他の何者かになりたい
これは他の投稿者さんがテーマにされていた言葉ですが、過去の自分を表す言葉に出会えたと感じたので、私も綴らせていただきたいと思います。
HSPと直接の関係はないのかも知れないけれど、自己受容がうまくいっていなかった時の私は学生でも社会人になってからも、ずっとこの状態だったと今振り返って思います。
美人で気さくで、小さなことは気にしない、自立していて同性から憧れられる存在の(多様な要素を持たれていますね)Mさん、何をしてもかっこいい(女子校においてある種のスキ感情を抱かれがち、かつ独占欲をかき立てる?私にラブレターまがいの手紙を渡されたり笑)Sさん、画才に恵まれて藝大に進まれたのち自分の夢を仕事にしているMさん。憧れの対象は思い出すと湧いて出てきます。笑
もちろん憧れは憧れで大切な感情だと思うのです。
ただ、使い方を間違えるというか、自己受容できていない段階でその対象を異性に向けたとき、感情の線引きを出来ない未熟さ故に、憧れは何も意味を持たないどころか時には毒となり、人の心を蝕むものになり得る(なり得た)と思います。対象とした人に因るところもありますが、往々にしてこちらに有意義な時間はもたらされないと気づきました。
異性に感じる憧れはその異質性を基にしていることも多く、まずはむやみに憧れたり尊敬したりしない笑、とうかそんなところに甘んじている場合ではないことに気づき、自分の得意分野で戦えるフィールドを整えることに注力する方が総じて有意義な時間を過ごせるように思います。
その吟味をした上でもやはり憧れるなら、それは純粋で大切にしたいものです。
時間は人を健全にすると思います。
今その糸口をつかめた気がしている、アラフォーHSPでした。
どなたかの心に届いたら嬉しいです。💛