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📖小説『おいしいごはんが食べられますように』📖高瀬隼子(著)
図書館でなんとなく手にしたタイトルは、以前どこかで話題になっていたことがあった記憶があったからで、きちんと調べてみれば芥川賞受賞作品だった。
『おいしいごはんが食べられますように』
高瀬隼子さんの小説。
とにかくタイトルにあるように、食べ物が話題の中心なのだけれど、いわゆるグルメ系の物語ではなく、食にまつわるそれぞれの人たちの中にある価値観が深く描かれた作品だった。
おそらく読み手によって全く違う感想を抱くのだろうなと思いながら、あっという間に読み終えてしまったのだが、ついでにネット上にある感想などをぽつりぽつりと読んでみれば、私とは全く違う感想を持っている人が大多数なのに改めて驚いた。
私はこの物語に出てくる、二谷という男性社員の食べ物に関する感覚が非常によくわかる。二谷の食べ物への興味のなさ、面倒だと感じる感覚、なぜどんな点において食べ物が面倒だと感じるのか、細かい部分も私と二谷の感覚はとてもよく似ている。
二谷のセリフとしてそこまではっきりとは言っていないけれど、つまりは、「自分が食べたいものを食べたいタイミングで食べたい」のである。
食べることに、エネルギーを1ミリも奪われたくない。自分の貴重な時間と体力とお金を、食べるということで無駄に消耗したくない。けれどもそんなことを言ったら、すごく悪い人のようにみられるのではないかと恐れ、正直にそれを他人に表明することができない。なんとなく周りの人たちの「おいしいね」という気持ちだとか、食べ物を愛する心に同調しているふりをしなければならず、それが日々少しずつ積み重なって自分を蝕んでいく。
つまり、食べ物というのは、それだけ人間にとって日常的な何かであり、そして極めて個人的なことなのだろう。
そんなパーソナルな重要な部分について、他人にとやかく言われたくないのである。
そしてその重要な部分がもしも本心から他人と共感できるのなら、それほど喜ばしいことはないのだろう。
食べたくないのに無理して食べたいふりをして食べるのは、本当に辛い。
それが仕事であっても、ものすごいストレスになることを、私は身をもって経験している。そんなこと言ってなんて罰当たりな、という言葉が妄想上で聞こえてきそうなのだが、そんな話もこの小説の中にはしっかり描かれていて、私が言葉にして投げつけられなかった部分が物語の中に凝縮されているのを読むと、少しだけホッとしたような、それがたとえ小説内の架空の作り上げられただけの実存しない人物の話だったとしても自分だけが異常なのではないかもしれないと思えて安心できたような、不思議な気持ちになった。
食べるのが辛い。食べるのが面倒だ。食べるよりもまず寝たい。食べるよりもまずその食べ物に関連する買い出し、料理、実食、片付け、そのためのお金の確保云々みたいなことにかかる全てのエネルギーを、別のもっと大切な、自分が生きるということのために温存したい。私の貴重な生きる時間を食べ物に侵略されたくない。
そう思っている人に、ぜひ読んでほしい小説だった。
久しぶりに一気読みして、久しぶりに強い印象が残った1冊だった。
さすが芥川賞受賞作、ということなのだろうか。
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