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チョーキーな米粉クッキー

アメリカ人の友達が焼くクッキーは、やっぱりアメリカンで、あのなんとも言えないネチョッとした食感が美味しさの秘密なのだけれど、あれは何かソース的なものを使うからではなく、信じられないくらいの大量の砂糖を投入しているから出せる味なのだとか。それを知ると某コーヒーチェーンにあるあの巨大クッキーがなぜ1枚でちょっとした粗食1回分レベルのカロリーになっているのか理解できる。

そのアメリカ人の友達が、グルテンフリークッキー作りに挑戦したらしい。結局は好きな味に仕上がらず断念することになるのだが、その時に言っていた感想が面白かった。
米粉でクッキーを作ると「チョーキー」”chalky” だと言っていたのだ。日本語でなんて表現したらいいかわからないんだけど、とも言っており、アメリカ人の英語ではこの「チョーキー」な食感とか味というのは、普通の表現らしい。読んで字のごとく、あの黒板に書くために使うチョークを食べているような感じ、という意味だ。言われてみればなるほどである。チョーキー。まあ、日本人の味覚で育ってきたであろう私からしても、米粉のポリポリと食べるクッキーがチョーキーであるというのは納得がいく。だからと言って苦手な味だとは感じず、むしろ美味しいなと思ったりもするので不思議なものだ。

思えばもしかしたらこの「チョーキー」な食べ物に小さい頃から比較的慣れ親しんでいることが原因かもしれない。私は特に小さい頃から和菓子の落雁が大好きだった。ついつい食べ過ぎて親に叱られたのを覚えている。今でこそあんな甘さだけの塊のようなものをよくバクバクと水分も全く摂取せずに食べていたなと思うのだけれど、子供の頃は何個でも無限に食べられるなと思っていた。しかも1個が小さく、あっという間に口の中から消えてしまうのだ。
今でも落雁系のお菓子は好きで、たまに食べたいなと思うこともある。最近は鳩サブレーで有名な豊島屋さんの干菓子が好きで、何か自分へのご褒美にと思えるタイミングで買う。前回はお正月だった。豊島屋さんのこのお菓子のシリーズは毎回季節限定ものとして発売されるので、その趣向の変化も楽しい。ちまちまと長く楽しめる日持ちがするとろこもご褒美スイーツとしては嬉しい点だ。

チョーキーなお菓子で、実は私がここ数年ハマっているものがある。子供向けのお菓子なのだが、これが美味しい。成分を見ると米粉以外にさつまいも澱粉なども使っているようで、どうやったらあの絶妙な硬過ぎずポリポリポソポソっとした食感が出せるのか気になる。このクッキーはアメリカ人のチョーキー嫌いな友達は絶対に食べられないだろうな。

そういえば、お盆の後、仏壇に備えられていた巨大落雁も、お盆明けに食べていいよと言われるのを今か今かと待っていたのを思い出した。今はもう、あの甘さと着色料だけの塊を食べたいとは全く思わないのだが、子供の頃はあれももりもり食べてもまだまだ食べられると思うくらい大好きだった。あの砂糖を無限に食べられる肉体処理能力は一体何だったんだろう。


温かいサポートに感謝いたします。身近な人に「一般的な考えではない」と言われても自分の心を信じられるようになりたくて書き続けている気がします。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。