結局自分はどう在りたいのかを問わざるを得ない政治問題
『50代で一足遅れてフェミニズムを知った私がひとりで安心して暮らしていくために考えた身近な政治のこと』
という和田静香さんの本を読んでみたのだが、実は和田さんの本はこれで2冊目である。
この本『50代で一足遅れてフェミニズムを知った私がひとりで安心して暮らしていくために考えた身近な政治のこと』は、今や友達もたくさん暮らしている神奈川県の大磯町が舞台。大磯は私も家探しをした時に候補地として大磯も熱心に探していたくらい好きな場所であり、その町の話題が書かれていることが気になって手にした本だった。本の中に登場するギャラリーuminekoは友達が展示をしたことがある場所でもあり、オーナーの鈴野麻衣さんのことも直接はお会いしてお話ししたことはないのだが、友達の繋がりからお名前を伺ったことがある方で、そんなリアルな人が本に登場するというのは、なんだかムズムズするような感覚になった。
この本にあるように、確かに大磯は女性が活躍する町なのかもしれないが、私の印象では茅ヶ崎や藤沢で静かに暮らしていたのに、だんだんそれが変化して騒がしくなり、土地代も上がり家賃も上がり、大きなショッピングモールができて、街の雰囲気が大きく変わってしまったことを敏感に感じて疲れ果てたアーティストたちが続々と移住している場所というイメージが強い。実際、そういう話を身近なところでたくさん聞いてきたし、私たち家族も実は藤沢市や茅ヶ崎市でかつて暮らしていたことがあるが、賑やかな街への変化の波に押し出されるようにしてそこから脱出してきた系の人たちでもある。
大磯は物作りや文化芸術に関わる仕事をしている人が多いような印象があるが、そちら側から見ない大磯の話というのはまた新鮮だった。常に自分は自分の視点からしか物事を観測することができない。この本の中に出てくる物作りや文芸関連の人は先述のuminekoの鈴野さんと、かの有名な堀文子さんくらいなのだが、もしも私の目で見てしまったら、大磯を語る上での登場人物はほとんが物作りをして商売をする人や文化芸術に深く関わっている人にならざるを得ないだろう。
和田さんは大磯町の議会が男女同数で構成されていたこと、それを日本で初めて達成した場所であることをきっかけに、政治の目線から大磯を取材していく。けれど読み進めるうちに、私はこれは政治について論じる本ではなく、和田さんがご自身の生き方について深く見直した軌跡であるように感じた。
和田さんはこの事実から取材をスタートするのだが、
フェミニズムや女性の政治参加、女性からの発言について取材をし考えていくうちに、
と述べている。
時に気にしないふりをしてみて見ぬふりをし、蓋をしてきた自分の気持ちが次第に浮かび上がってくる。
そして自分の現状、正直な心の叫びに耳を澄ませた時、自分がどう生きたいのかが見えてくる。
政治について考えているうちに、自分がどう在りたいのかを考え、気がついた和田さんは、最後には自分の理想の生き方を遂行するために必要なことは何か、それは「自信」であると気がつく。
これは正解不正解の問題ではない。
それぞれの人が、それぞれの理想に向かって、どう在りたいのかを考え抜いた一例である。そしてその作業は本当に辛く苦しい問答である。自分を知ることは、自分を抉ることであり、それは時に自分が傷ついてしまうことでもある可能性を孕んでいる。だから多くの人はわざわざそんな辛くて苦しい自分への問いただし作業をすることは、あまりない。
人は自分の心を誤魔化しながら生きていると、どこかで躓くものなのかもしれない。かく言う私もこの2年ほど、自分への問答に身悶えながら暮らしてきた。時々休んで、また考えて、疲れて投げ出したくなって、でも諦めたくないからまた考える。その繰り返しである。和田さんは「政治」「フェミニズム」「パリテ」というキーワードをきっかけとして、この本の中でご自身の心に向き合っている。その様子は、とても胸を打つものでもある。
最後にこれを読みながら、近くて同じような湘南エリアに暮らしてきた私が思うことは、和田さんは女性としてフェミニズムの観点を交えながら自分が一人で自由に楽しく暮らしていくためには、ということを考えていくわけだが、これは何も女性に限ったことではないようにも私個人は感じている。
私の友達や、これまでのご近所さんには、女性の一人暮らしの方もたくさんいたが、男性の一人暮らしの方もたくさんいた。独身男性の一人暮らしの知人友人が高確率で口にするのは、男性ひとりだと暮らしづらいという話題だった。地域の人から奇妙な目で見られてしまいそれがいたたまれない時があるというのだ。わたしに言わせれば、人が自分の生き方を自らの力で掴み取って幸せに暮らしているんだから、そんな変な目で見るなんてなんて無礼なんだと思うのだが、社会というのはそうではないらしい。30代40代の独身男性が一人で家を買って幸せに暮らす。素晴らしいではないか。なぜ「え?」という目で見られなければならないのだ。社会から厳しい「女は良妻賢母であれ」という目線があることはもちろん否定しないが、男性だってそれに代わる圧があるように思う。私は男性の立場からものを見ることができないので、結局は正確に本当のところはわからないが、私の身近な人たちからの話を聞くに、フェミニズムだけが叫ばれれは良いのかと言えば、そういうことでもないのだろうなとも思う今日この頃である。
つまり、誰もが自分の生き方を自由に選択し、それを他人にとやかく言われることなく、のびのびと生きられる社会、というものが達成されたら良いのにな、と思うのだ。
コロナの影響でリモートワークもある程度進化して、さらには湘南には先述のように月曜から金曜の会社や役所勤めではない働き方をする人も多く、「だいの大人が平日の昼間っからぶらぶらしている」と文句を言われる機会も随分減ったのかとは思うのだが、それはまだゼロではないんだなと感じることも時々ある。その「平日の昼間っからぶらぶら」している人は夜中に地球の反対側と仕事をしている人かもしれないし、土日にむしろ出勤する人なのかもしれないし、そもそも月曜から金曜まで満員電車に乗ってスーツを着て通勤していないやつはまともじゃないみたいに思い込まれても困り果てるのである。けれどもまだまだ社会にそのような空気が蔓延していることは否定できないだろう。
しかし社会がどうのこうのと言う前に、まず最も大切なのは、今回この本で和田さんがたどり着いたように「で、結局自分はどう在りたいの?」ということを探し出して自分の中にしっかりと軸を持っていくことなのだ。
どこかに不満がある。ではなぜ、それに不満を持っているのか。
どうなったら、不満がなくなると思うのか。
仮にそれが机上の空論だったとして、まずは自分自身の正直な生き方を問いただすことをせずして、社会の疑問を解決するために動くことは難しい。
私自身はまだまだ、自分を掘り下げきれていない。
私は一体、どう在りたいのか。どう生きたいのか。
辛い時、もう面倒だなと思う時もあるけれど、それでも諦めずに、自分に問い続けたい。
いつか私も、和田さんのように、「私はこういう存在でありたかったんだ」と言える日が来るまで、考え続けようと思う。
温かいサポートに感謝いたします。身近な人に「一般的な考えではない」と言われても自分の心を信じられるようになりたくて書き続けている気がします。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。