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今年思い切って始めて良かったnoteプレミアム
以前から気にはなっていたものの、サブスクという課金を厳しく引き締めたい私は、noteの月額500円のプレミアム会員への登録も悩んでは先送りするのを繰り返していた。
けれどももっと積極的にnoteに書いて行ってみようかと考え始めたことから、思い切ってプレミアム会員に登録してみることにしたのだ。
今のところ、プレミアム会員に登録して良かったと感じている。
その理由はただ一択。
コメント欄をなくせること。
私の書き散らした文章に対する記事の感想を、わざわざ読者の皆様の時間とエネルギーを使って書いていただけることは、正直に言えばとても嬉しい。本当に嬉しいのだが、同時にプレッシャーのような感覚も覚えてしまっていた。
最初は、コメントが届いたり、いいねをしていただいたりした際の通知が逐一スマホに届かないように設定した。最初はそれだけでも少しホッとした。しかしnoteを頻繁に開くようになると通知が届かないだけでは、あまり意味がないようになってきてしまった。
誤解のないように再度かくが、コメントをいただけることは本当にありがたく嬉しく思っている。ではなぜ、それをちょっぴり後ろ向きに捉えるようになってしまったのか。それは「きちんとお返事をしなければ!」という焦りからくるものだった。
昔はそうじゃなかった。一つ一つのコメントにお返事を書くことも仕事の一つであり、さらさらと流れるようにお返事を書くことができていた。
ではなぜ、今私はこうも心境が変わってしまったのだろう。
どうやら「忖度しない」「正直であること」などを重要視し始めた頃から、少しずつ変わってきたようだ。
もちろん昔も、正直に書いていたと思う。けれどもっともっと、深い部分まで自分自身の心と向き合い、掘り下げていこうと思った時、良い書き方で言えば「相手に寄り添ったコメントを返す」、悪い言葉にするなら「阿って可もなく不可もなくな当たり障りのないコメントで楽しくまとめる」ということが、だんだんとできなくなって行ったのだと思う。
もちろん今でも、記事を書く時には、誰かが傷つくことがないように、というのは考えているつもりだ。それでも私の想像もつかないところで誰かがガッカリしたり傷ついたりすることはもしかしたらあるかもしれないけれど。なるべく書いた時に想像できるような範囲では、そうならないように心がけている。私の記事を読んだら、穏やかな気持ちになったり、ほっとしたり、楽しい、嬉しいなどの前向きな気持ちになれるようなことを書いていきたいとは思っている。それはどんな辛い状況の話になったとしても、明るい気持ちが最後に残るような話を書きたいと思っているし、もしもそれが不可能ならば、私がここで書くべき話ではないのでないかと書いたものを全て消したりすることもある。
忖度せずに書くことと、読んだ人の気持ちがどんよりしてもいいということは、同じではないと今の私は思っている。
私は、そもそも、いつかの自分自身を励ます言葉や存在が当時探しても探してもなかなか見つからなかったから、自ら発信する側になった。そこが私の出る側としての原点なので、やっぱりどんな時でもそれは忘れたくない芯の部分かなと今でも思っている。
探しても見つからないなら、自分が作ればいい。自分がそう成っていけばいい。そこから私の歩みが始まったのだ。
これは楽しいことだけを言っていればいい、というのともちょっと違う。
人生にはいろんなことがある。「いろんな」の中身はおそらく大変なことやしんどいことの方が多い可能性が高い。人間の記憶というのは、辛いことをよく覚えているものだ。記憶は増幅され、感情に絡みつく。そして心の底に根深く沈み込むのだ。
大きな挑戦をしなくてもいい。明日もちょっとだけ、何かをしてみようかなという、小さな希望が生まれれば、それが少しずつ積み重なって、いつの間にか長い道を歩けたことになる。私は「読んで暗い気持ちになった」という文章ではなく、「ちょっと気が晴れた」みたいな文章を書いていきたい。もちろんそれは文章以外での表現の手段を取る場合でも同じだ。
時に辛辣な言葉や派手な言論が注目を浴びたり、そういうことを欲する風潮もあるのかもしれない。優しい気持ちになれるものは、ファンタジーに過ぎないと思われるかもしれない。
それでも私は、私という存在の表現が始まった時の気持ちを、ずっと大切にしたいと思っている。そして今も、こうやって書きながら、原点を私自身確かめている。
コロナがあったり物価が急騰したり戦争が終わらなかったりいろんなことが次から次へと起こって、なかなか心穏やかではいられないのがこの社会の日常だ。綺麗事ばかりでは生き残れないというのもわかる。それでも、私はなんとかして隙間から漏れてくる光をすかさずキャッチしたい。それが次につながるきっかけになるのだと体験してきたから。
最後に
皆様からいただいたスキはお一人お一人のハートマーク分、それぞれにいつも一つ一つ「ありがとうございます」と思いながら見ています。
コメント欄はしばらく無くす方針は変わらないと思いますし、過去の記事でコメント欄を閉じる作業が間に合っていないものにコメントを頂けてもなかなかお返事できないこともあると思いますが、どうかご理解いただけましたら幸いです。
じゃあSNSとかブログとかやめればいいじゃん、という意見もある部分では理解はできるのですが、今の所このnoteという仕組みが書き続けるのに使いやすいので、ひとまずこの対応でしばらく続けてみたいと思います。今後もしかしたら変わるかもしれませんが、やりながら考えようかなと思っています。
いつも読んでいただいている皆様、ありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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