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ヴィーガン妻と肉食夫
私は可能な限り動物を食べない食生活になってもう10年以上が経過した。「可能な限り」というのは、例えばどなたかにお食事をご馳走になる場合は除く、というのがわかりやすい例だ。そんな時に「私はヴィーガンだから」とは主張しないことにしている。相手に大変な思いをさせたくないし、食事というよりも相手との時間を楽しみたいわけで、そこに何か私の食事の好みを強く主張する必要を感じないからだ。特に日本でヴィーガンの食事を探すことは本当に大変なことだ。なにしろ、ベジサラダと名前がついているサラダにゆで卵とカリカリベーコンをなんの躊躇もなくのせて提供するような国が日本なのだ。ベジタリアンやヴィーガンの人たちは本当に外食時に苦労することと思う。
そもそもなぜ動物を食べないのか。最初はいろいろと「考えた」ことから動物を食べるかどうかを自問して始まった行動だったのだが、実は最近は動物性の食材が私の体に合っていないと気がついてしまったから、というところが主な理由だ。正直に言えば、動物性食材を食べると体調が悪いのである。胃もたれや胃痛を始め、蕁麻疹、腹痛など、内臓からくる様々な不調が起こってしまう。体に合わないとはまさにこのこと。よく知人に「肉くいてえーってならないの?」と聞かれるのだが、1ミリもそう感じない。体というのはよく出来ている物である。もしもお肉が食べたいと感じる人ならば、それはきっと体に必要だから欲しているのだろう。私は必要ではないので、全く欲しない。ちなみに義理の弟は真逆で、野菜を1ミリも欲しないらしい。それでも筋トレに励みながらしっかり健康に生きている。なんだか人体スペックというのは、つくづく人それぞれであり、正しい健康法というのも人それぞれ全く違うのだと感じる身近な具体例である。
わが夫は肉食生物であるので頻繁に「肉くいてー」となる系の人である。よって家で料理をする時には夫のために肉を入れたメニューを作り、私はそれは食べない。
スーパーに買い物に行く率が高いのは私。そんな中で夫のための買い出し時にどんな肉や卵、バターなどを買うか、次第に考えるようになった。
もちろん最近の物価高の影響によりなんとか食費を抑えたいと切実に思ってはいる。しかし、だからといって動物に異常な苦痛を味合わせて屠殺していいとは思えない。よって、例えば我が家の卵は平飼い卵、バターはグラスフェッドバターを選択している。
平飼い卵やグラスフェッドバターの存在を初めて知った時、じゃあ平飼いじゃない卵と、グラスフェッドじゃないバターは、一体どんな状況なのだと戦慄した。
それは人間達が一つの命を犠牲にするときに「もっと安く」をどんどん追求していった結果の地獄絵図だった。食べ物の値段が高いと生活は圧迫されることは事実ではあるのだが、その裏で多くの命が悲痛な叫びをあげ続けていいのだろうかと考え込んでしまう。
食べ物に関しては、我が家の場合は動物性食材は夫だけが食べるので、そこに多少お金を多く払うことになっても良いのではないかと考えている。そこで増えた費用分、私は食べる量を減らしたり究極別に食べなくてもいいんじゃなかろうかという結論まで出ているので、家計内での調整は可能だ。
夫には夫に合った食事というものがあり、動物を食べないことを彼に強要したいとは思わない。その代わり、夫も私に動物を食べた方がいいよ、食べるべきだなどとは言わない。
どんなものを食材として選択し購入するのか。私は動物は食べないという選択をしている。夫は動物を食べたいと思っている。ならばその中でどうしたらいいのか。
少しずつでも自分にできることから、行動を変えていけたらと思う。
最近ペルーで新種の哺乳類が4種類発見されたらしい。人間はその哺乳類を発見したぞと思っているが、その哺乳類からしたら新種の生き物(人間)を発見したぞと思っているかもしれない。発見とは実に搾取的で高圧的な表現だなと思う。
この地球上に人間よりも動物の方がはるかに多く暮らす時代がいつか来たら、地球という惑星は宇宙の楽園になるのかもしれないと時々思う。
人類は他の生命を見下しすぎている。なぜなのだろう。
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