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断食を始める

断食をしてみることにした。
単なるふとした思いつきから始めることにしたので、いわゆる準備期間のようなことはしていない。
ちょうど冷蔵庫の野菜室が空っぽになり、明日は買い物に行かねばならないなと気が重くなった時だった。
さて、果たして本当に買いに行かねばならないのか、と気がついたのだ。

買い出しに行くか行かないかから始まった断食

昨今の物価高にも後押しされ、食べ物を食べていると小銭やお札をそのままバクバク貪り食っている感覚に陥ることがある。なんとか節約して買い出しをしようとしても、あっという間にスーパーのレジでのお家計は3000円を超えてしまう。お菓子やジュース類、たまに買い足す調味料やコメなどを買ってしまおうものなら合計は4000円は軽く超えていく。
食べ物によってお金がどんどん減っていくのを、心底辛いと感じる。もちろん外食は極力しないように心がけているし、お菓子などの嗜好品もギリギリまで買わない、どうしても食べたかったら業務用の安い小麦粉などを使って作って食べる、など考えて買い出しはしているものの、スーパーのレジのお会計でハッピーになった記憶はコロナ後は特に皆無である。

食べ物に執着もなければ、あまり興味もなく、時々食べることをシンドイと感じることもある私は、それでもなぜか食材がなくなれば買い出しに行き、毎日自宅のキッチンで料理をし、食事をとっている。
これは一体どういうことなのか。
いっそ、食べることを止めてみたら、何かわかるのではなかろうか。

そんなことが頭の中に降り注いできて、思い立ったが吉日。やってみることにした。

断食及び食事制限へのご注意

先に書くが、この文章は断食を推奨するものでもなければ、ダイエットを助長するものでもない。体重の変化などは一つの目安になるかもしれないが、「何日断食で何キロ減!」などのような記事にしたいわけではなく、それらによって個別の人に合っていない断食やダイエットを煽るきっかけになっては欲しくないため、体重やサイズの記録は掲載しないこととする。

この記事は私が日々個人的に思う問い「食べることとは、私にとって何なのか」に答えを出すための実験である。
繰り返すが、ダイエットや健康を目的にしているものではない。

さらに、安易な気持ちで真似し、挙句苦情や批判を頂いても困り果てるので、
この断食と食べることに関連した記事は、自己責任で読める方だけ、読み進めてほしい。それ以外の方はぜひ戻るボタンから他のページへ飛んでいただければと思う。

これはあくまで私の個人的な断食を通じた食べることへの自問自答の記録である。

ここまで読んでも興味があるという方は
それでは下へスクロールをどうぞ。

ある日の鎌倉の海



断食開始前日のご飯状況


さて

参考までに前日の食事内容は
・冷やご飯の玄米1.5合
・きゅうりの薄切り3本分
・茹で小松菜4株分
・生姜一かけ
・紫キャベツの千切り5分の1玉分
・犬ご飯を作った残りの鶏ササミ約2本分
使った調味料は
・醤油
・みりん
・料理酒
・リンゴ酢

これらを朝一気に調理し、それを3回分に分け、昼の分と夜の分をお弁当形式で大きめのタッパーに入れて冷蔵庫にストック。
私は朝昼晩全て同じメニューでも全く苦痛ではなく、むしろ朝の1回で調理という行為が完結することの方が幸福度が圧倒的に高いので、1人の時はこのパターンを徹底している。
玄米も冷やご飯にした時のつぶつぶ感が好きなので、炊き立てには拘る必要がない。
朝ごはんを7時、昼ごはんを12時、晩御飯を17時に食べている。間食はハーブティーと自家焙煎したブラックコーヒーに、途中アガベシロップを小さいスプーンで舐めるのを2回した。
翌日に断食をしてみようと思うなんて予想もできなかったため、普段のがっつりした食事そのままである。この日は特に、1日かけて家の周りの落ち葉掃除や草むしりをしていたので、あっという間に夕ご飯の時間になり、そして疲れてあっという間に眠りについた気がする。

さていよいよ

いざ断食スタート

断食1日目

朝5時起床。
午前中から午後2時くらいまでにかけては、1時間から2時間おきくらいに空腹を感じるタイミングがあったが、掃除をしたり他の作業をすることですぐに空腹感から離れることができた。
暖かいハーブティーをこまめに飲み、トータル塩1グラムを少しずつ小分けに舐めていた。
塩を舐めると空腹感が消えることがわかった。

眠気

14時過ぎ、本を読もうとするも数ページ読んだところで強烈な眠気に襲われる。
諦めて昼寝をすることにする。

17時頃に目覚めると体調に変化を感じた。どうにもだるい。愛犬がお腹が空いたと言うので、なんとか体を布団から引き剥がすようにして起き上がる。

体調の異変

18時を過ぎた頃から、呼吸が速くなり風邪を引いている時のような体感が現れる。
前日の最終の食事が17時だったため、ちょうど24時間の絶食時間が経過したことになる。
高熱がある時の体調に似ており、しかし熱はない。
少し体がふわふわするような感覚もある。
このまま寝てしまってもいいのだが、そうすると2階にある寝室から1階にあるトイレまで往復できなくなるのではないか、そして愛犬の世話ができなくなってしまっては困ると思い、意を決して冷蔵庫を開ける。
味噌がある。
そうだ、塩を舐める代わりに味噌を舐めるのはどうだろう。
ネット検索をすると、味噌汁断食や断食中に味噌や梅干しを舐めるという記事が散見された。行けそうだ。
具なしの味噌汁を作って飲んで使った食器を洗って片付けて、と言う気力体力はなさそうだったので、味噌をスプーンで掬って舐めることにする。
暖かいハーブティーを飲みながら、小さじ1杯分の味噌を2時間くらいかけてちまちまと舐める。味噌を舐め始めて30分くらい経過したあたりで、体になんらかのエナジーが戻ってくるのを感じた。これならなんとか動けそうだ。

人は24時間食事を取らないとどうなるのか

たった1日食事を取れないだけで、こんなに体に異変が起きるのならば、戦争や難民生活その他の生活状況などで食糧を確保するのが困難な人たちは、どれだけ大変な状況にあるのだろうかと考える。もはや正しい判断も難しいし、何かをやろうという気力も出てこないだろう。そんな体と脳で、すぐに戦火から逃げなければいけなかったりするかもしれないだなんて、どれだけの不安と絶望を感じることだろう。そんな精神と肉体で、役所に自ら赴いた挙句辛辣な態度で希望が消えてしまうだなんて、どんな恐怖感と無気力感を味わうことだろう。
空腹感だけなら多少の我慢はできる。空腹感を抱えたまま、なんとか歩くこともできるだろうし、違う行動をすることで気を紛らわせることもできるだろう。
しかし空腹感のすぐ先にある、体調の変化の段階になると、生きることそのものについて、もっと直接的に向き合わざるを得なくなるのではなかろうか。空腹感があるうちに対処しなければ、容易に追い込まれてしまうことは、たった1日の絶食でも容易に想像ができた。

ダイエット目的の人ならこの段階で「私には断食は向いていないかも」と思い中止するかもしれない。

しかし私の目的は健康でもダイエットでもなく、
「食べることとは、私にとって何なのか」
を考えるための断食であるため、この体と心の変化もしっかり観察することにした。

20代のダイエット

ちなみに私は20代の頃、様々な状況と条件が重なり1日に1キロずつ体重が減っていくということを経験している。最初こそ痩せられたと喜んでいたものの、最終的にはどんどん減っていく体重計の数字に恐怖を覚えた。もちろん20代の自分と40代の自分は体の条件が違っているが、それでも「このラインを超えたら本当に危ないからね」という感覚を持ち合わせていると思っている。
私は今回の断食を自分の生きる目的に向き合うために、自己判断で行なっているため、同じようにできるのではないかと軽い気持ちで真似をするのは絶対に推奨しない。
世の中にはプロフェッショナルが付き添ってくれる断食のツアーや、もっと持続可能なジュースを使ったファスティングなど、健康な心と体を維持しながら胃腸を休めたり、無駄な脂肪を減らすことが可能な断食方法が、たくさん存在する。

お気に入りのジュースクレンズ

わたしもかつて「ジュースクレンズ」と言われるフルーツジュースを使ったファスティングを複数回試したことがあるが、それはそれで良かった。
ジュースクレンズは、栄養士監修のもと作られた数本のジュースをこまめに飲むプログラムであるため、メリットとしては多少の空腹感は出るもののフラフラして歩けないようなことにはならないし、頭もぼんやりすることもなく、日々の活動が維持しやすい点があるだろう。心の健康も保ったまま、様々な味のジュースを飲むことで、日々固形食料の食べ過ぎに疲れてしまった胃腸を休ませることが可能なのだ。
フルーツジュースのファスティングにより体重が減るか減らないかといえば、2日ほどのジュースクレンズを頑張っても減り具合は1〜2キロという誤差程度だとは思うのだが、肌や髪の毛の調子が格段に良くなったり、何よりも体感としてスッキリした清々しい感覚がファスティング終了時にやってきて、それはそれで心地よい。
減量というよりも、デトックス目的が主になるのだろうか。それでもまさに「クレンズ」されてリニューアルした自分は、さらにパフォーマンスが上がったような、レベルアップしたような気分になれるものだ。

ちなみに当時私のお気に入りのクレンズメニューはサンシャインジュースさんで入手していた。味も内容も満足。

「ジュースクレンズ」は今でも好きだし、断食の一種とも捉えられているのだが、今回は先にも書いたように「食べることとは、私にとって何なのか」という問いに向き合うための断食であるため選択しなかった。

私はなぜ食べるのか

私は食べることに興味が薄いし、執着もない。
食べることを苦痛に感じる日さえある。
にもかかわらず、なぜか、食べるのだ。
ではなぜ食べるのだろうか。
そんなに興味がないなら、食べなければいいのではないか。

しかし、玄米を炊き、野菜を切って、豆類などを中心とした何らかのタンパク質をのせ、なんとなくバランスの良さそうなカラフルなご飯を料理して食べる。
物価が高騰してきてパンの値段も高くなったため、安くパンを食べるにはどうしたらいいか考え、強力粉とドライイーストを買ってきて、ネットでレシピを調べ、発酵が1回だけのナンをフライパンで焼いて食べる。
甘いものが欲しくなると、薄力粉とベーキングパウダーと砂糖を買い、オーブントースターでスコーンを焼き、食べる。薄力粉とベーキングパウダーを混ぜてフライパンでパンケーキを焼く。食べる。卵は高いので使わない。

食べるのをやめたらいいのに、頼まれてもいないのに、なぜか食べる。

私は一体、何をしているのだろうか。

もちろんご飯を作って食べるときは、まずいと思いながら食べているわけではないし、それなりに美味しいと思って食べている。しかし世の「食べることが大好き」と述べる人々と比べてしまうと明らかにそのテンションには差があるように感じる。
料理をしている時も、自分で作らないと高くつくから渋々料理をする羽目になっているように思う。もしも全く同じ内容の料理が自炊と同じ値段でさっと買えるなら間違いなく私は料理をしないだろう。

食材を買ってきて、料理をして、食べて、片付ける。
この一連の作業に伴う体力の消費に、私は日々辟易している。
なんて大変なのだろうか。
洗濯して掃除して食べ物に関連した家事をして、少し書いたり読んだりして、お風呂に入る。それだけでもう1日の体力をへとへとに使い果たしてしまう。
世の人々はどうやってジムに通って運動なんぞしているのだろうか。
私には運動を始めるための運動らしき何かが必要だし、どこをどう捻り出したらそんな体力と時間が生み出せるのか皆目見当がつかない。

断食2日目

2日目の朝

朝6時起床。
昨日の夜の味噌のせいだろうか、舌が少しビリビリとする。夜遅くに食べすぎて消化不良が起きている時の舌の感覚に似ている。
珍しく寝汗をたくさんかいていた。そういえば、夜中に一度、暑くてかけ布団を蹴飛ばしたような記憶がある。

2階の寝室から1階に降りた時に今日は2階と1階を普段のように何度も往復するのはやめておこうかなと、感じた。体力が明らかに減っている。
しかし2階でまだ寝ている愛犬のケアができなくなると困るので、ひとまず暖かいハーブティーをいれ、味噌を爪楊枝で2掬いして食べる。

よく晴れていた昨日のうちに、まとめて大物類も洗濯を終えているので、今日は慌てて洗わなければいけないものもない。
旦那様も出張中のため、急ぎの洗濯もなく、めでたく今日の洗濯はお休みできそうだ。

味噌パワーで脳を回転させる

2日目の朝にようやく文章を書かねばと気力を捻り出し、なんとかiPadを立ち上げる。
1日目はiPhoneを握るのも億劫だった。
味噌をもうひと舐めし、ハーブティーにお湯を足して、1日目の記憶が薄れないうちに思い出しながら記録を残し始める。

なぜか体温が上昇した

11時頃にふと、体中がポカポカしている気がして、あちこちを触ってみる。
普段冷たいはずの足全体が温かい。まるでお風呂に入った直後のようだ。
背中も温かい。
試しに体温計で計測してみると、なんと驚愕の36.0度である。
私は普段35.0度が幼少期より通常の平熱であり、最も体調の良い体温が35℃なのだ。
冬になると体温は34度台になり、今年の雪の頃は33度台を記録した。もはや死人であるが本人としてはものすごく体調が良く、元気で、どこまでも歩いて行けてしまいそうなくらいエネルギーが満ち満ちており、究極のハッピー生活を送っていた。

通常ならば36度になるとそれは私にとってはもはや微熱で、何となく体調が悪い。ゾクゾクとした風邪の引き始め特有な寒気も始まる体温だ。
今も体調が良いか悪いかで言えば、確かに体調は良くはない。風邪に似たような体感があるのだが、それは体温が上がってしまっているが故かもしれない。
しかし現状では寒気はなく、むしろ風邪の引き終わりの微熱まで下がってきましたよ、という時に少し似ている。

断食1日目を終えて2日目の朝に感じた気付き

私は本を読んだり、物を書いたり、人生について考えたり、家族といる時間に幸せを感じたり、素晴らしい美術作品や映像作品を観たり、居心地のよい寝室で寝たり、老犬と少しの散歩を楽しんだり、そういった食べること以外のことにもっとエネルギーを使いたいのに、食べること関連で体力も気力も目減りしてしまい、自分の思うような過ごし方ができていないことに強い不安感を抱き、押しつぶされそうな大きな不満を感じているのかもしれない。

私に無限の体力(ここでいう体力というのは生命力に近いもので、食べたり筋トレしたりして確保されるような類ではないのだが、うまい表現が見当たらない)があるなら、もりもり食べてもりもりジョギングでもして、天気の良い日は近所のハイキングコースにでも出かけ、サーフィンも挑戦してみたりして、友達とも食事に出かけ、お酒も飲んだりして、絵に描いたような映え〜な暮らしを送るのかもしれないが、それは来世に期待するしかないだろう。無い物ねだりをしても、始まらない。私は今世、日光アレルギー持ちとして生まれ、体に負荷がかかりすぎると夜中に発熱するような肉体なのだ。私に与えられた条件のもとで、なぜ私は今生きているのか、なぜこれが好きでこれは好きじゃないのか、存在とは何か、時間とは何か、死とは何か、などの心から欲することを考えていくしかない。


私が今舐めている味噌はこちら

そのまま舐めても美味しいよ

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MariKusu
温かいサポートに感謝いたします。身近な人に「一般的な考えではない」と言われても自分の心を信じられるようになりたくて書き続けている気がします。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。

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