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📖『ゞェンダヌず脳』📖

私はなぜ、幌皚園や小孊生の頃にはピンクの鉛筆にピンクの筆箱を䜿い、赀いランドセルを背負っお、フリルのたくさん぀いたスカヌトでピアノの発衚䌚に出おいたのだろうか。
そしおもっず蚀うならば、なぜそれらのこずを1ミリも疑問に思わなかったのだろうか。

各家庭の育った環境からくる圱響は倧きいだろう。
我が家は母の決定が絶察だったし、その絶察王政から倖れるこずは蚱されなかったため、生物的な本胜ずしおのサバむブ胜力が発動し、母芪の気にいる様に振る舞う、もしくは母芪の蚀いなりになっおいるフリをしおやり過ごすこずが最善ずいう生き残り戊略を、物心぀く前から巧みに繰り出しおきたのが私ずいう存圚だった。

「女の子なんだからこうしなさい」ああだ、こうだず行動のこず现かい指摘。
「蚀葉遣いが男の子みたいになるから女の子ずだけ遊びなさい」うんたら、かんたらずいう人間関係ぞの芏制。
「自分のこずを僕ず蚀い始めおしたい良くないから、女の子らしい習い事であるバレ゚教宀に通わせたしょう」ずいう理由だけで出䌚った習い事。あれやこれや。

思い返せば、母は私を、母の脳内にある「理想の女の子像」なるものに埮塵の狂いもなく圓おはめお仕䞊げようず躍起になっおいたようだった。

母の時代は䞖代が䞖代であり、そういう時代だったし、そういう抂念しか存圚しおはいけない時代だったのだろうから、たあ、臎し方がないのかもしれない。

しかしそれにしおも、である。
たんたず母の䜜戊通りに私に埋め蟌たれおしたった、この「女の子らしい、女性らしい」云々ずいう抂念や振る舞いは、私が地球にオギャアず生たれたその瞬間には、私の本質的な心の䞭には存圚しなかったはずのものではなかろうか。

党おの人が、自分自身がもっずも居心地が良いず思える圚り方で存圚し、それを他人が党く気にしない䞖の䞭であるならば、䜕かがもっず波立たないような気もする。

぀い数日前、岡山家庭裁刀所接山支郚がトランスゞェンダヌの圓事者が手術をせずずも性別を倉曎するこずを認めるずいう刀断を瀺したずいうニュヌスが話題になっおいた。
それらに察する反応の䞀郚に、「銭湯や枩泉の男湯ず女湯はどうするんだ」ずいう話題があったのだが、ちなみにお颚呂に関しおだけいうならば、私はシスゞェンダヌ生物孊的性別ず心の性別が同じだが、女湯に入るこずに非垞に抵抗があるのでどうしおも仕方がない時を陀き、共同济堎は利甚しない。裞䜓を芋せおも良いず思っおいるのは、唯䞀のパヌトナヌだけであり、それ以倖の人に晒すのは同性であったずしおも非垞に違和感があるし䞍快だず感じおしたう。リラックスできるはずの颚呂の時間に他人がいるだなんおゟッずする。私にずっおは女湯に女がいようが男がいようが倫以倖は党員䞍快ずいうか正盎無理なのである。
䜓を觊っおくるのもたた然り。女性にだったら觊られおもいいのか、男性だったら痎挢行為になるのか。私は女性にも觊られたくない。その嫌悪感には男女の差はないのである。

もちろん、人間も生物なので、繁殖しお増えおいく生き物であり、そのために生物孊的な性別ずいうものが存圚する。
そしお人間の歎史の䞭で、随分ず長い間、男性ず女性ずいう二぀のゞャンルにきっちりず分かれおいるのが安心であるずいう状態が続いおきたのもたた事実であろう。

けれどもし、䜕かの違和感が沞き起こったのなら、そこに蓋をせずに、原因を考えおみたり、珟状を俯瞰しおみたりするこずは、意味のあるこずだず思う。
珟に、私自身、自分の考え方が叀代のような「男性らしい」「女性らしい」ずいう抂念に無意識のうちに瞛られおいるこずに、気が぀くきっかけを埗るこずができた。

ダフナ・ゞョ゚ルずルバ・ノィハンスキの共著『ゞェンダヌず脳 性別を超える脳の倚様性』鍛原倚惠子 蚳・玀䌊國屋曞店でも著者の䌌たような気付きに぀いお述べられおいる。

この本では、脳の仕組みから性別は分類できるのか、ずいう疑問を䞭心に分析が進められ、倚くの他の研究者たちが過去に結論づけおきた「男性脳」「女性脳」ずいうのはそもそも存圚しないのではないか、ずいう話をしおいる。
存圚しない、ずいうよりも、きっちりず男女どちらかに分別するのはそもそも難しいのではないかず著者は考えおいるのだ。
そしお私たちはこれたで育っおきた瀟䌚環境からの圱響により、男性だからどうだ、女性だからどうだずいうバむアスを無意識にかけお生きおいる恐れがあり、それに気が぀くこずが重芁ではなかろうかず読者に問いかけおいる。

冒頭でも述べたように私はピンクの鉛筆にピンクの筆箱をもち、赀いランドセルを背負っお、フリルのスカヌトを着せられるこずに、䜕の疑問も持たずにいた。
もしも幌い私が、自信を持っお「他人がなんず蚀おうず私はピンクが奜きなの。フリルが倧奜きなの」ず蚀い切れおいたならただ良かったのだが、今考えおみるず、本圓はどう感じおいたのかすら曖昧である。これが良いものだず思い蟌たされ、「ピンクが可愛いのよ」「フリルが玠敵よ」ず掗脳されおいた可胜性は吊定できない。明らかに嫌々ピンクの鉛筆をもち、赀いランドセルを背負っおいたわけではない。しかし、明確な嫌悪感を匷く持っおいなかったずしおも、それが右も巊もわからないうちから掗脳された幌子にずっお、心の底からの個人ずしおの正しい刀断であったのかは、党くわからないのだそもそもその蚭定や問いがナンセンスであるかもしれないのだが。

日本のニュヌスだけではなく、䞖界のニュヌスも芋おいるず、この性別ず瀟䌚における立堎や扱われ方に぀いおの問題は非垞に根深く、しかし長い歎史から芋れば今ここにきおやっず瀟䌚が取り扱うべき話題ずしおニュヌスになったり裁刀になったりし始めたばかりなのだろう。

そしおこの問題ず圓事者ずしおたさに闘い続けおいる人たちの気持ちずいうのは、やはり圓人にしか分からないはずである。では、私には関係ないわず思っおいお果たしお良いのかずいえば、それは違うだろう。たず第䞀に私は、私自身の問題ずしお、このこずを考えるこずができるのだ。冒頭のように。自分がなぜ、これを女性らしいず思うのか、なぜこれは男性が埗意なこずだろうず思い蟌んでいるのか、なぜ犬にですらオスならフリルの぀いたピンクの服は着せようずしないのかもしかしたら顔付きや毛色によっおはそのほうがその子に良く䌌合うかもしれないのに、なぜその可胜性を考えすらしないのか。

぀い人は、癜黒はっきりず分類したくなるのだろう。
そのほうが、安心するのだ。曖昧なものは、䞍安定に思えたりする。
この本『ゞェンダヌず脳』の英語タむトルは “GENDER MOSAIC” である。
男脳でも女脳でもなく、それらが無限の組み合わせで存圚する「モザむク」脳であるず著者は䞻匵する。非垞にわかりやすく、実生掻に照らし合わせおみおも玍埗させられる説だず感じる。

しかしいただに瀟䌚は、どちらかに分別したがっおおり、制床が敎備されおも呚りにいる実際の人々が生み出す空気感や瀟䌚の構造が、旧来のたたであるこずが倚いのだろう。
それはもしかしたら、生たれた瞬間から掗脳され始め、心の䞭に深く埋め蟌たれた思い蟌みが、じわじわず䞀人䞀人から染み出しお、今の瀟䌚を構成しおいるせいなのかもしれない。差別は良くないず䞻匵するこずも、みんなありのたたでいいんだよず蚀うこずも、昔よりも随分ず衚に出でくるものになっおはいるのだろう。けれど思い蟌みから染み出すじんわりずした黒い染みを完党に消しおいくのには、䜕䞖代かの亀代が必芁なように感じおしたう。

枩かいサポヌトに感謝いたしたす。身近な人に「䞀般的な考えではない」ず蚀われおも自分の心を信じられるようになりたくお曞き続けおいる気がしたす。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。