バレットジャーナルがいまだに理解できない自分の脳みそが不安になる
周りの多くの人が理解していて、楽しんでいることなのに、いざ自分がそれについて知ろうとしたり調べようとしたりした時に、なかなかうまくいかないことがある。どうしても理解できなかったり、何度挑戦しても続けられなかったり、やろうとすると別の予定が割り込んできて実行できなかったり。原因は様々なのだけれど、結果的に辿り着かないという現象が起きることがあるのだ。
若かりし頃、私はそれを「己の努力が足りないのだ」と昭和の根性論丸出しで無理をしながら「頑張る」というのを必死にやっていたのだが、最近ようやく気がついた。それは「タイミングじゃない」という場合が多い。
もちろん、何かが達成できていない時、努力不足である場合もある。タイミングや向き不向きの問題なのか、単なる努力不足なのかを見極めるのは少々難しいかもしれないのだが、トライアンドエラーを繰り返すうちに、これはもうちょっと努力しなければいけないのか、これは今の私には違うものなのかが、少しずつわかるようになってくる。
例えば私の場合はこんな例がある。
秋になると始まる手帳選び。いつも思っていたのは、手帳界隈で有名な「バレットジャーナル」が私にはどうしても理解できないという悩みがあった。今年ももれなく、手帳好きの話題にはバレットジャーナルという言葉がちらほら散見される。
ピンクの表紙の方がよく見かけるかもしれない。関連本は山ほど出版されている。それくらい人気の高いメソッドだ。アメリカのライダー・キャロルさんが生み出した手帳術で、今や世界中に多くのファンがいるらしい。
「わかりやすい!」「スッキリした!」のような絶賛の声をよく見かけるのだが、私はこの「バレットジャーナル」の書き方すら何度調べても理解ができない。全く頭にすんなり入ってこないのである。数回目のトライで、もう諦めようと思った。私には向いていないんだろう。もしくは私は今はこの方法論を使うタイミングではないのだろう。
多くの人が理解して使いこなしているものを、自分が全く理解できない時、脳みそがどうかしてしまったのかと不穏に思う。理解できないというのは、賛成できないという意味ではない。文字通り、どういう仕組みで便利なものなのかが理解できないのである。
しかしあれやこれやと調べたり考えたりしているうちに、ふとしたことから、なぜ私がこの「バレットジャーナル」の仕組みがすんなり頭に入ってこないのかを、推測できるようになった。
私は、タスク管理をしない。
しない、というのは少々語弊があるのだが、例えば今日はこれとこれとこれをしなければならないというリストを作らないのだ。
今日は、掃除をして、洗濯をして、スーパーに買い出しに行って、図書館に寄って、うんぬんかんぬん。こういったことをリストにはしない。その代わり、今日絶対にしようと思うことを1つだけ決める。あとは余力があれば優先順位の高い順、もしくは気候や体力に合致したものから順に済ませる。つまり、同列のリストがあるというよりも、優先順位のついたランキングが頭の中にあるということなのだ。優先順位の低いものは、翌日や翌週に持ち越されることもある。しかし例えば今日の時点で優先順位の低いものが、月末締め切りのものだったりすると、その月の最終週の始まりには優先順位がグッと高くなる。
そうやって、リストが随時、更新され、ランキングが日々変わっている。
そんな私も一応、何かをリストで管理する時があって、それは持ち物リストや買い物リストなど細々としたもので忘れ物があってはいけない場合なのである。旅行や出張の時は特に、念入りに持ち物リストを作る。
でもそれはあくまでもリストであって、今回の話題の「バレットジャーナル」的なタスク管理とは違う。
よく考えてみれば、20代の頃などはタスク管理が好きだったようにも思う。けれどだんだんと自分の体力とパフォーマンスの集中力のバランスを考えた結果、無理のない余白のあるスケジュールの組み方を好むようになり、結果として日々のタスク管理は敢えてしないということに落ち着いた気がする。
タスク管理をするメリットは、ダラダラと無駄な時間を過ごさずにやるべきことをどんどん済ませてしまうことができる点にあるように思うのだが、私の場合はその日にやるべきことが1件なので、それを最初に済ませてしまい、あとはむしろダラダラしても良い時間になるので、タスクの管理のしようもないのである。ダラダラしても良い時間というのは、何もしなくても良いし、何かしたければしても良い。明日のタスクになりえたような庭掃除や買い出しなどを天気と体力が許せば済ませてしまっても良い。ここで重要なのは、今日絶対にやらなければいけないことではないことの中から、ダラダラしても良い時間にやりたいことだけをやってもいいよ、くらいの軽い気持ちを維持することなのだ。何々せねばならない、になると途端に疲れてしまうし息苦しくなる。小さな疲労が日々積み重なって、次第に取り返しのつかないことになるのだ。
そんなわけで、私はやはり今年も「バレットジャーナル」が理解できなかった。もうこの際、自分の好きな手帳を自分で作って使おうと真剣に考え始めている。
今の所、それに近いことになっていて、無地のノートを買ってきてそれを手帳に変身させるというのが最も心地よい。2025年こそは、この辺りを自分の心地よいところにそろそろ着地させたい。