うつになった時の話をしようか(後編)
鬱になった時の話をしようか(前編)では、うつを発症した1月から4月までのことを綴りました。
後編は再就職に至る7月までを綴りたいと思います。
5月
5月の終わりに、展示中の絵の入れ替えを行う予定だったので、毎日必死に作品作りをしていました。
前半に展示していたものよりも作品のレベルが上がり、絵を描くのがとても楽しくなってきた頃でした。
とにかく毎日夢中で絵を描く日々。
絵のこと以外はほとんど考えていませんでした。
6月
無事に作品の入れ替えを終えると、私の心に変化がありました。
きっと心の変化がそうさせたんだと思います。
絵が描けなくなりました
気が抜けてしまったのか燃え尽きてしまったのか・・・
無理もありません。
この2ヶ月間で何百枚と絵を描いて、合計34点を展示。
素人のやることではありません。
何を描いても上手く描けず苛立ちを隠せない日々。
他のことに目を向けようと思うようになりました。
「人に会おう」
社会復帰するとしても、人とコミュニケーションが取れなかったら無理です。
まずはリハビリでお友達に会いに行こう。
そうやって会いたい人に連絡をして、おしゃれをして、人に会いにいくことをするようになりました。
そして6月27日は私の40歳の誕生日でした。
SIBO(前編参照)でケーキやご馳走は食べられなかったけど、それでも思い出深い、記念すべき節目の誕生日になりました。
そして誕生日の前日は初めて義母と二人で食事をしました。
たくさんお義母さんとお話しできて、家族になれた時間が湧き、胸がいっぱいになりました。(もともと関係が悪かったというわけではなく、ドライな関係なので)
本当に満たされた誕生日になりました。
働きたい
だんだん自宅での生活が長くなり、家事だけをやって1日が終わるのが本当に苦痛になってきました。
「私は一体何をやっているんだろう」
絵を描いても、Netflixは勉強も、そう何時間もできるものではありません。時間が過ぎて夫が帰ってくるのを待つ毎日は苦痛で仕方ありませんでした。
そんな中、働けるチャンスが到来しました。
紹介でクリニックで看護師として週に3日からどうかと。
すぐに面接に行きました。
履歴書や職務経歴書も作って、免許も久々にコピーして、準備万端で臨みました。
しかし、「まだ時期が早いのでは」ということでその職場にご縁することはできませんでした。
やっと社会復帰できると思って胸を踊らせていたのに、とっても残念で肩を落とす日々でした。
とは言っても社会復帰は怖かったです。
「働きたい」、「でもちょっと怖い」のチグハグした心が葛藤していました。
7月に入りさらに私のフラストレーションが高まりました。
家にいるのが苦痛。(家は好き)
もう我慢できない。
働きたい!
メンタルクリニックの先生にもOKをいただき、就職活動をすることになりました。(転職活動については 40歳、私の転職活動に書きました。)
7月
6月に引き続き、7月もインドアで陰キャな私にしては本当にたくさんの人に会いました。
普段会えない人が連絡をくれて会いにきてくれたり、私から連絡してお会いしたり。
Twitterで知り合ったお友達や、昔の同僚にも会えました。
長期に自宅で療養して、コロナも相まって人に会わない生活を通して、人の温かさを忘れていたなと思いました。
みんな優しくて愛がある。
私には愛が溢れている友達がいっぱいいる。
それを実感することができました。
これは私のストーリー
私は半年の療養生活で自分を取り扱えるようになって、社会復帰できるまでになりました。(ぶり返さないように努力する次第)
しかし、これは私の場合です。
何年もずっと苦しんでいる方も、社会復帰できずに辛い思いをされている方もいらっしゃいます。
うつの患者が全て私と同じではないこと。
うつはこういう症状と決められないものであり、個人差があること。
寛解には時間がかかり、それが年単位でも珍しくないこと。
そして繰り返すものであること。
一般の人にも少しでも理解が広まって、隔たりがなくなればいいなと思っています。
まだまだ偏見や差別があります。
キャリアにも不利になります。
これは他人事ではなく、だれでもなり得るものだと理解しておかなければなりません。
メンタルが強い人ほど、頑張り屋さんであればあるほど、真面目であればあるほど、うつとは背中合わせなのです。
みんなが支え合える、個性を大切にする、優しい世界になってくれることを心から祈っています。