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うつになった時の話をしようか(前編)

8月から再就職が決定し、会社員として何回目かの会社員となります。
今はとってもワクワクしていて、早く仕事に行きたいなーと思う毎日です。
今回の転職活動に関しては40歳、私の転職活動をお読みください。

うつを発症したのは2022年1月。
これまでに何度かうつを発症していますが、今回は本当に久しぶりでした。
私は1月からずっと自宅療養をしていました。
半年間私が何をしていたか、再就職できるに至るまでの経過を綴りたいと思います。

うつの始まり

きっかけは転職活動でした。
しかしこれはきっかけであったに過ぎず、前年の仕事の詰め込み過ぎが原因で徐々に心身ともに限界を迎えていたんだと思います。


1月から就職しよう(それまでフリーランス)と、リファラル枠で外資企業の採用面接を受けました。
久々の英語とあって、時間をかなり割いてオンライン英会話レッスンを使って面接の練習も行っていました。

そして当日、3つの面接が1日に組み込まれていました。
人事の採用担当、直属の上司、部署のマネージャー。
三次面接までが一気に詰まっているような1日でした。

その企業は当時かなり積極的に採用を行っており、おそらく人事の採用担当もかなりの面接をこなしていたのではないかと想像できます。
しかし、私にとってはたった1回の面接。
話し方や聞き方がとても失礼に感じたし、未経験のことを責められているような気持ちになりました。
「もし採用されたとしたら井上さんが明日からここでできる仕事は何がありますか?」
そしてだんだん意識が遠くなり、頭が回らなくなったのを覚えています。

面接は3つ終えましたが、すぐにテンプレートで不採用通知のメールが来ました。

その後からの私の様子は確実に変でした。

とにかく涙が溢れる。
人前でも、公共の場でも涙がポロポロ溢れて息が苦しい。
家に帰って来ればずっと嗚咽しながら泣き止まない。
とにかく息が苦しい。
胸がドキドキする。

メンタルクリニックを受診し、とにかく落ち着いて眠れるようにお薬を処方していただきました。これは私の希望でした。
そして検査の結果、重度のうつ状態であると告げられました。

そこから療養の日々が始まります。
1月の半ばの頃でした。

1月

1月はとにかく眠ること、休むことに集中しました。
頭がとにかく疲労していて、少しでも文章を読んだり何かを考えるだけでパニックを起こしていました。

とにかく文字を見たり、情報を入れたり、難しいことを考えることから避けました。確定申告も夫が行いました。文字が読めないし、自分のPCのパスワードを入力するのさえも難しかったのです。

それまでSNS漬けの毎日でしたが、9時〜16時はSNSを見ないと決めて休みました。辛い気持ちを忘れるほど眠りたい。それしか頭になかったように思います。

日常生活もままなりません。
お風呂や歯磨き、整容なども辛かったです。
できない日もありました。
髪の毛はニットキャップで隠して外に出ました。
食事も作れませんでした。
掃除もできませんでした。
できることは横になることだけでした。

Twitterで公表

鬱の療養中であることをTwitterで公表しました。
すると本当にたくさんの励ましのリプライや、DMをいただきました。

本当に心強かったし、感謝しかありません。

しかし民間療法の押し付けや、高額セッションの営業などをかけてくる人も多くいたので、私はDMを閉じました。

公表してから今日までの間、たくさんのTwitterのお友達やフォロワーさんが温かい言葉をかけてくださいます。
それは私の生きる励みや、前向きに療養する勇気になりました。
とにかく言葉で表せないくらい、感謝の気持ちでいっぱいです。

夫と本音で向き合えるように

夫には全て本音で話せていると私は思っていました。
しかし本当は気を遣って言えてなかったり、甘えきれない部分があったことに気づきました。

この時、私は夫への気遣いができるような心の余裕がありませんでした。
そのおかげで、少しずつ夫に甘えられるようになったし、気を使わずに本音で話せるようになりました。

自分が無意識に、気を遣ったり我慢したりしていることに気づきました。
それは夫の前だけではなく、誰の前でも。

もっとわがままになっていいんだ。
私の心を大切にしていいんだ。

しかしそれを実行するのは容易ではありませんでした。

この頃から、自分で選んで自分が心地よいことをする練習が始まりました。
コーヒーにするのか紅茶にするのか。
それさえも夫に合わせていて、自分の好きな方を選んでいなかったことに気づきました。

拒食

とにかく生きていたくなかったので、食事を全く取りませんでした。
ハーブティーをポットに入れてベッドに横たわる日々。

あっという間に体重は落ち、3月までには8kgほど減っていました。

このとき、食べることは生きることなんだなと思いました。
美味しいから食べるのは健康だから。
食べたいと思うのは、生きたいと思うから。

「生きていたくない」と夫に言いました。
「あなたが死ぬなら僕もすぐに着いていくよ」
そういって涙を流してくれました。

私がいなくなったら、こんなに悲しんでくれる人がいるんだ。
そのときに初めて本当の意味でわかった気がしました。

急激な体重減少で、寒がりになり、髪の毛は抜け、体力も無くなりました。
風邪をひいたりコロナに感染することはなく、それだけは不幸中の幸いでした。


強迫観念

子供の頃から「ねばらなない」を自分に強く課す癖がありました。
大人になってもなかなか治らず、無理なことをやめられない傾向があります。

メンタルクリニックの先生に「散歩にできるだけいってくださいね。買い物程度で」と言われていたので、毎日散歩はするようにしていました。

しかしいつしかそれが義務になって、出るのが辛い日も行かないと気が済まない。そして距離がだんだん伸びていき、12,000歩は歩かないと気が済まなくなり、そのうち歩いて帰れないような場所まで歩くくらいまでエスカレートしていきました。

それ以外にも、生活を整えるために決めた「小さい決まり事」が強迫観念となり、辛いのにやめられない。やらなかったことを責めてしまう。
こんなふうに悪循環に陥っていました。

一旦全て手放して、1月はとにかくずっとベッドに横になる日々でした。
本当は横になっていたかったんです。
何も考えずに、ごろごろして眠って起きてを繰り返しているだけでよかったのです。

自分の本音が少しずつわかってきた時期でした。

2月

2月は夫の誕生日があります。
美味しいものを食べたり、出かけたりして盛大にお祝いしてあげたいのに何もできない自分が辛かったです。

せめてもの思いで、LOFTでバルーンなどを購入して飾り付けを行いました。
夫がAmazonのほしい物リストに挙げていたものをそっと確認して送りました。
そんな小さなサプライズを喜んでくれた夫には、本当に心から感謝です。

不眠

不眠とはこの後もずっと闘うことになります。
睡眠薬を飲んでも、眠いのに眠れない。
こんなに辛いことはありません。

昼間も夜中も眠いのに眠れない。
睡眠薬を変えに変え、最終的にはドーパミンの量を調節する薬で少し良くなりました。

睡眠は心身の健康に直結します。
眠れないと身体の疲れが取れないばかりか、心の不調に直結します。

手を替え品を替え眠る努力をしてきましたが、半年経った今もまだ不眠は続いています。

おばあちゃん

夫のおばあちゃんと私は相思相愛です。
おばあちゃんは以前は私のところによく電話をかけてきて世間話をしたり、私から手紙を送ったりしていました。

しかし鬱になってからは、おばあちゃんからの電話にも出られない、文字が書けないので手紙も書けない。
申し訳ないと思いながらもおばあちゃんとの距離が離れていきました。

おばあちゃんにうつを患っていることを伝えたら心配をかけるし、かといって電話に出たり手紙を書いたりするのも辛い。

実の父が倒れた時もずっと支えになって来れたおばあちゃん。
祖父母の愛情を知らない私に、愛情を注いでくれるおばあちゃん。

92歳のおばあちゃんと過ごせる時間を考えると、床に伏せて動けない自分が本当に嫌になりました。

今はおばあちゃんの受診の付き添いができたり、電話やお手紙でのコミュニケーションもできるようになったので、それがとても嬉しいです。

3月

3月に入り、異変を感じるようになりました。
なんだか急に元気。
なんだか急に前向き。
なんだか急に物欲が出て衝動買いをする。

うつから躁に転じました。
双極性Ⅱ型の傾向があることを今回初めて指摘されましたが、これまでの自分を振り返ると「無双状態」で仕事していた時は躁だったのかもしれない。そのように思います。

ここからは抗うつ薬ではなく、ドーパミンを抑える薬の内服に切り替わっていきました。

水彩画との出会い

私が信頼する看護師の先輩が水彩画をすぐに始められるように道具一式を送ってくださいました。
これまで絵など描いたことがなく、どうやって絵の具を使ったらいいのかもよくわかりませんでした。

最初は色遊びをするにとどまっていましたが、YouTubeやInstagramを参考にして絵を描くようになりました。

そこからどんどん水彩画にはまっていって、毎日何時間も絵を描く日々でした。

私の作品を載せているInstagramはこちら

薄井シンシアさんとの出会い

元LOF HOTEL 日本法人代表の薄井シンシアさんとの出会いは私の人生の風向きをぐっと変えました。

私の絵をLinkedinで見つけてくださったシンシアさんが、LOF HOTELで私の絵を展示しないかと提案してくださったのです。

展示できるような絵ではなかったので一瞬迷いましたが、このチャレンジが何か私の人生を変えてくれるんじゃないかと思いお受けすることにしました。

展示までは何百枚と絵を描き続けました。
とにかくいい作品をたくさんの方に見ていただきたい。
その一心でした。

作品は5月から6月末の約2ヶ月間、合計34点を展示していただきました。
期間中はたくさんの方が見にきてくださり、嬉しいご感想をたくさんいただきました。

シンシアさんの考え方に触れることで、私は生きることをだいぶ楽に考えられるようになりました。そしてシンシアさんの生き方自体が、私の思考にたくさんのスパイスを与えてくださいました。

SIBO(小腸細菌増殖症)

SIBOが何かはここでは説明しませんが、つまりは腸を患っていました。
昨年末から胃腸の調子が悪く、胃腸科に通っていましたが、いまいち原因が分かりませんでした。ずっと調子が悪く、いつまで続くのかと途方に暮れていました。ある時、フォロワーさんにこれを教えていただいて目の前が開けました。


本を読み漁り、とにかくSIBOについて調べました。
試しに食事療法を始めてみると、症状が格段に楽になりました。
食事療法を継続しているので、食べられる食材に制限がありなかなか外食したり、好きなものを食べたりとはいかないのですが、症状が楽になったことだけでとても毎日快適に過ごすことができています。

腸は脳も身体も支配していると言います。
私のうつの症状もこのSIBOの影響を少なからず受けていたかもしれません。

4月

少しずつ外に出られるようになってきました。
美容室に行ったり、お洋服や靴を買ったり。

絵の展示のために毎日毎日作品を生み出すことが、生活にハリを与えてくれました。もっといい作品を書きたい。もっと勉強したい。もっと画材が欲しい。

頭の中は絵のことでいっぱいでした。

夫が「絵にかけるお金は惜しまないでね。あなたが笑ってくれているのが一番だから」そういってくれたこともとても救いでした。

「働いていないのに、私のためにお金を使ってごめんね」そうやって泣いたことがあります。
夫は、「隣にいてくれるだけで十分なんだよ。」と言ってくれました。

自分が無価値だと思うたびに、夫の言葉に救われてきました。


4月まででだいぶ長くなってしまいました。
後編はまた改めて書きたいと思います。

長い文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。

後編はこちらに続きます。
うつになった時の話をしようか(後編)

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