noteを再開して自分の「リセット癖」を俯瞰して見てみる
昨日からnoteを再開しました。
すると不思議なことに「今日はnoteに何を書こう」とか「この考えはnoteにアプトプットできるようにまとめよう」とか考えてしまうものですね。
これも1年前は続けていた習慣が今も私の中で生きていて、復活の兆しを見せている証拠かもしれません。
今日はそんなnoteを再開した私の「リセット癖」がちょっぴり発動しそうになったお話です。
noteの再開に際して、昨日のうちにnoteの顔アイコンとヘッダーは変更済、前のアイコンは2年前に「ココナラ」のcotori.様に描いていただき気に入っていたのですが
今は髪型もちょっと変わっているし、体重も5キロ増えたし、なんか顔が丸くなったしー…と思いながら自分でアイコンを作り直すことにしました。
とは言っても、私自身絵心があるわけではないので決められたパーツの中から選んでアイコンが作れるスマホアプリを利用して制作しました。
「アイコンファクトリー」を使ってパーツを組み合わせながら、結構楽しく簡単に自分のアイコンを作ることができたのでオススメです。
そして、1つ変えるとほかも何だか変えたくなってしまい、クリエーター名も「MARI」に変更、プロフィールもMBTI診断の結果を入れつつ編集…
なんだか気に入らない感じがするのでまだまだ変えるか?
クリエーター名ももっと変えたほうがいいかな?
と、途中までやっていて
「お?これは私のリセット癖再発か?」と、このnoteを書きながら気づきました。
リセット癖とはその言葉の通り、物事を初期状態(ゼロ)に戻したくなるっていう心の癖。
「人間関係リセット症候群」といって精神面の現代病として紹介されることも多いので、耳にしたことがある方も多いかもしれません。
3年前のことですが、私は当時1年くらい書いていた紙の日記帳を全部「お焚き上げ」と言って日本に一時帰国中に実家の焚き火で燃やしたこともあります。(あのときに一緒に焼いたお芋の微妙な味だったことよ…)
さて、noteはどうするかな?と思ったときにいちばん簡単なリセットはnoteを退会してアカウントを削除することです。
でも今回は「変更」だけで退会まではしなくていいと思っている?
その心や如何に!?
ここでまたアドラーの言葉を思い出しました。
noteは私にとって、ものごとの習慣化を助けてくれた大事な資産。noteで繋がったご縁もたくさんあります。だから、簡単にリセットしてはいけないものだとここで気付くことができました。
noteの設定を色々変更すること…それは私にとってはリセットの前の「改善活動」の位置づけなのかもしれません。
とすると、変更することが私の「改善活動」であると仮定した場合、その「目的」は何なのだろうか?
(これもアドラーの目的論ですね)
クリエーター名やプロフィールを変える「目的」を考えていると、
私は今までと違ったテーマでnoteを書きたいのかもしれない
という考えと
単に太って歳も取っておめおめとnoteに戻ってきたので新たな自分でリスタートしたいからか?
とかね…
今noteを書きながらだとまとまりそうにないので、しばらくnoteを書きながら頭の隅で考えてみることとします。
でも、
何が「目的」であれ、もう変えちゃいましたからっ!!
と開き直って今日のnoteはこれで締めさせていただきます。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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