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優しいタトゥーの世界inニューヨーク

2023年7月、気温37度の蒸し暑い東京日比谷の街を、私は長袖のシャツを着て歩いていた。
東京って、こんなに暑かったんだっけ。空気が重く感じるほどの湿気を体全体で感じながら、腕を覆うシャツを疎ましく思う。
これは、日焼け予防とかそういうんじゃない。

私はニューヨークで、タトゥーアーティストとして活動している。

夏に日本に滞在するのは15年以上ぶりかもしれない。
冬の方が航空券が安いから、ここ数年はいつも冬に一時帰国をしていた。
だけど子供たちが2人とも小学生になり、家族でまとまった長い休みが取れるのは夏だけになって、久々に夏の東京に来ることになった。

ニューヨーカーの子供たちは、意外とすんなりこの街の灼熱に馴染んだ。
だけども私は、自分の子供時代の夏の東京の記憶と、この2023年の東京の夏の違いに戸惑っていた。
東京の夏って、こんなに暑かったんだっけ?

ニューヨークに渡ったのは2000年。都内の美術短大を卒業して、現代アートの中心地であるニューヨークに憧れて、今思えば何の計画性もなくそこに飛び込んで行ったんだった。
当初の夢は、現代アーティストとして生きていくこと。

あれから23年、私は今、そこでタトゥーアーティストとして生きている。

タトゥー には、それぞれの物語がある。決して軽くない物語が。
1対1で向き合う時間、痛みとともに、お客さんは私といろんな話をする。
様々な人種、様々な年齢、様々な性。
ニューヨークの小さなスタジオで出会う、たくさんのそれぞれの物語。
物語に向き合う時間、刻まれる絵に、約束に、私は大切な意味を見出して生きている。

ただここ日本では、タトゥー はまだまだ疎まれている。
そうなるべく歴史があり、そんなアウトローなイメージがあり、なので私は長袖を着る。
以前に比べれば、ちらほらとタトゥー を入れている人も見かけるようになったようだけれど。
まだタトゥーを見て不快に思う人が圧倒的に多いなら、その文化を尊重したいと思う。

でも私も、私がタトゥー を入れる人たちも、人を怖がらせたいとか、強く見られたいなんていうことは微塵も思っていない。ただ自分が自分でいられるように、自分自身との約束を刻むように、前に進めるように。自分に自信が持てるように。または、大好きな人と、大好きだった人と、場所と、思い出といつも一緒にいられるように。そういう優しい思いと、物語と共に生きていたいという、そういうタトゥー 。

そういう思いを、何も身体に刻まなくったって、持ち続けることはできる。
でも、いつも思い出と一緒にいたい、大切な思いを自分自身に刻んでいたい、そういう弱い、寂しがりな、繊細な、私たちもいる。

ニューヨークには、そんな「優しいタトゥー」 が存在する。

私は、クソ暑い東京の街で、長袖を着て歩きながら思った。
ここ東京でも、そういう優しいタトゥー が受け入れられる日も近いのかもしれない。

ここでは、私がタトゥーを入れた人たちの物語、出会ったアーティストたちの物語、それから日々思うことなどを少しづつ書いていけたらと思う。
今この時代に生きる、様々な人々の物語。痛みを通じて向き合った心の交流。
優しいタトゥーの世界を、ご紹介します。

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