(続編)アシュタンガヨガのマントラが哲学の意識づけそのものだと気づいた
前回のnoteで現代のアシュタンガヨガクラスに参加しても哲学や瞑想の要素があまりなく物足りなさを感じていると書きました。
その後今更ながら気づいたことがあります。
アシュタンガヨガの始めと終わりのマントラにそれらの意図が含まれているのでは?と想像しました。
また、アシュタンガヨガクラスでは行われませんが、シャバーサナにあたるヨガニドラの中ではサンカルパを唱えます。ヨガニドラは瞑想状態に入りながら自分自身がどうありたいかの決意を自身の潜在意識に染み込ませる方法です。
アシュタンガヨガにおける哲学と瞑想の意図
アシュタンガヨガのマントラ
アシュタンガヨガでは、練習の始めと終わりに特定のマントラが唱えられます。これらのマントラは、単なる儀式的なものでなく、哲学的な意図を含んでいるように見えます。
始まりのマントラ(プラナマ・マントラ)
アシュタンガヨガの練習は、次のような始まりのマントラから始まります:
意味:
「全てのグル(師)の蓮の足に敬礼します。彼らは自己の幸福を示し、最高の利益をもたらす医師のように、苦しみの毒を鎮めてくれます。無限の形を持ち、螺貝、円盤、千の頭を持つパタンジャリに敬礼します。」
このマントラは、師やパタンジャリへの感謝と敬意を表し、ヨガの実践を通じて自己の本質に目覚めることを願うものです。
終わりのマントラ(マンガラマントラ)
練習の終わりには次のようなマントラが唱えられます:
意味:
「すべての人々が幸福でありますように。正しい道を進む王が統治しますように。牛と学者が幸せでありますように。すべての世界が幸福でありますように。平和、平和、平和。」
このマントラは、世界の平和と幸福を祈るものであり、個人の幸福だけでなく、全体の調和を願う哲学的な意図が含まれています。
はじめのマントラで自分自身の感謝と解脱(自由)、終わりのマントラで世界の平和を願う。自分自身と世界、世界とのつながり。ヨガ哲学を日々のプラクティスで意識させようとしたのだろうと推測しました。
ここに私がすぐに気がつかなかったのは、私自身がマントラを唱えることを、精神の落ち着きと集中力を高めるためだけに活用していて、内容について深く考えることがなかったためでした。前回のnoteにsami@yogamargaさんよりコメント頂いた「言語の壁」でもあり、直感的に理解ができないことの弊害でもあります。
(sami@yogamargaさんのnote https://note.com/samiyoga84 記事ではヨガ哲学を教えてくださいます。
教訓は、大事な意図を見落としてはいないかと進んでは立ち返りながら意図や聖典に触れたり、それを伝えられるアシュタンガヨガの伝道師につくことだと思いました。
ヨガニドラとサンカルパ
アシュタンガヨガではあまり行われませんが、シャバーサナにあたるヨガニドラの実践においてサンカルパ(意図設定)は重要な役割を果たします。サンカルパは、「どうありたいか」「どうなりたいか」という個人的な意図や願いを心に刻む方法です。
ヨガニドラの最中にサンカルパを唱えることで、その意図を潜在意識に浸透させ、日常生活においてその意図を実現する力を強化します。これは、内面的な成長と変容を促進するもので、アシュタンガヨガの八支則にも共通します。
結論
アシュタンガヨガの練習がフィジカルな側面に偏重しているように見える一方で、その始めと終わりのマントラには哲学的な意図が含まれています。また、サンカルパの実践を通じて、ヨガの本質的な教えを日常生活に取り入れることができます。ヨガのルーツに立ち返り、その本質を問い続けることが、私たちの実践に深みを与えると考えます。
これを意識すれば、私が現代のアシュタンガヨガクラスに感じる物足りなさが払拭されそうです。1時間半の中で哲学、アーサナ、呼吸、瞑想の詰め込みパックを体験できるような感覚です。
これからも、ヨガの哲学や瞑想の重要性について探求し、共有していきたいと思います。皆さんのご意見やご質問をお待ちしております。
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### 参考文献
- **Swami Sivananda**. *The Philosophy of Yoga*. The Divine Life Society.
- **Swami Vivekananda**. *Raja Yoga*. Advaita Ashrama.
- **T.K.V. Desikachar**. *The Heart of Yoga*. Inner Traditions.
- **Eknath Easwaran**. *The Bhagavad Gita*. Nilgiri Press.
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