【読書】『女官』を読めば皇室が見える
天皇は国民の象徴と教わったのは小学生の時でした。それは戦後の憲法です。ではその前の明治大正の皇室の様子はどうだったのでしょうか。ベールに包まれているその内側を如実に書いている本がこの『女官』です。
山川三千子さんは久世家の生まれで明治天皇が亡くなる三年前に宮中に採用され五年間女官として仕えられました。天皇と皇后じきじきの面接試験に合格されての採用ということがとても印象的です。
書かれている言葉遣いや語彙は枕草子を思わせる古式ゆかしいものではありますが、その内容は本音が満載されていて今の会社員の生活と共通するところが多いのです。字も大きいので大変読みやすくあっという間に読了。筆者はなかなか気の強い女性のようです。
中身は昭和生まれの私ですら知らなかったことのオンパレード。それはそうですね、令和の今でも今の皇室の中まで覗き見ることは不可能ですから。この本では明治後期の皇室の様子が赤裸々に語られています。
まず明治天皇は孝明天皇の子ではありますが正式な皇后との間には子どもがなく中山の局という側室の子であり、また明治天皇と皇后の間にも子どもがなかったので権典侍と呼ばれる側室との間に生まれたのが大正天皇になります。権典侍にはお化粧料と言われるお給料が支給されていたこと、本人が納得した女性に限られること、皇后と居合わせることがないように配慮されていたこと、正式な場には皇后のみお出ましになることなどが綴られています。大正時代から側室を置く制度はなくなったようです。
そのうえ、大正天皇が難産の末に生まれられたこと、体が弱くて落ち着きがなく、学習院も中退されていること、また著者にご執心であったこと、それがはっきり言えば迷惑で数少ない恋愛のチャンスをものにして退職後結婚したことも包み隠さず書かれています。
階級社会で華族出身だったことをチラチラとほのめかしていらっしゃるところが今の時代に生きる私たちにはくすくすポイントと申しましょうか。110ページには
ともかく華族出身ということだけで、まだ出勤早々でも、さっそくにお側のご用をいたしますが、長く在官していても、お通弁とか、お歌のお相手とか、いわゆる特殊技能のある人以外は、士族出身は命婦以上には昇給しませんので、華族出身の若輩に対してはとかく反感があるらしく、いろいろと物語などで伝えられている、徳川時代の大奥の女たちが、おたがいにいじめ合うというようなばからしい話はないとしても、他人の失敗を見つけて喜ぶような人が無いでもございませんでした。
同じページに皇居の美しさも語られています。
ここは何し負う紅葉山、初夏の新緑、紅葉と四季とりどりの美しさはありますが、春の眺めはまたひとしおで、そのふもとにおのおのの局がありますから、出勤の途路いつも心を引かれました(中略)春は花のトンネルがはてしなく続き、はるか向こうを見れば黄金色に乱れ咲く山吹と和して、誠に例えようもない美しさで、お堀には小舟さえ浮んでいまして、まさにいっぷくの絵でございます。
いかがでしょうか。優美な文章に想像が膨らみませんか。
生活のことも事細かに描かれ、両陛下の身に直接つけるものは大清と言われ、食器などはそれぞれ専属で模様がついている、入浴なさる時は背中などを洗うのは権典侍、おしもの方は命婦のおばあさんがお世話申し上げるそうです。
昭和35年に出版されたこの本は、平成の天皇皇后両陛下のご成婚に際して、雑誌に出鱈目な記事が多かったのでそれを正すのが目的とあとがきに記されています。日露戦争の時の明治天皇の軍服の様子など今の戦争から遠い私たちの生活からは想像し難いことを知ることができます。
皇室が税金で維持されていることの賛否が巷では取り沙汰されているようですが、その実態をわれわれ庶民が知ることはほぼありません。宮中の儀式の伝統など大変興味深く読むことができました。さあ、お姫様の結婚はどうなるでしょうか。やんごとなき方々はご苦労が尽きないことです。
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