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■他力に乗りながら幸せであること


💖熱量高めで
あなたを真反対の世界へお連れする💖

お手伝い心理カウンセラー・
マリチャンヌです。

わたしは現在、
心理カウンセリングを通して
心のボタンの掛け違いをゆるめてほぐし


未来を思い出すお手伝いという
お仕事をさせていただいています。

その昔、私はボースイスカウトに
憧れていました。


無人島に行っても、ナイフ一本と、
知恵で生き延びられる

そんな賢さのある、かっこいい人に
憧れていました。


車の免許を取るのなら
冬用タイヤのチェーンの巻き方が
わかっていない限りは、乗る資格がない!と
いう考え方。


もちろん、わたしはマニュアル車に乗っていました。

「誰にも頼らなくても、自分のことは
自分で出来る人でいる!」


なんてわたしは、
優しくなかったんでしょう。


今日は
「他力に乗りながら幸せであること」
について書いてみようと思います。


よろしくお付き合いください。


『おまえはなまけもの』


両親によく言われていました。

わたしは、
なまけもの=何も持っていない。

欲しいものがあれば、それに見合う
がんばることをやらないと

手にいれてはいけない気がしていました。


心理講座の塾で学ぶようになり
自分に向き合う習慣が出来、

それまでは考えたことのなかった疑問が
出るようになりました。

向き合うことで、
自分がつけていた名札そのものも

中には、ゆがんだ事実から来たものも
あったんだ・・ということにも

気がつけるようになりました。


子供の頃

やってみたいこと、興味のあることを
何の気なしに口に出すと

先回りして、釘を刺されたり
「どうせ」を使って「出来ない理由」を
論破されることも多くありましたが

ただただわたしは
応援が欲しかったんですね・・・


気力を奪われることが重なるうち
「無気力な子供」になっていきました。


それが「おまえはなまけもの」の正体です。


「自分の力で出来るようになる」というのは
凝り固まった価値観でしたが、

成功すれば、
メリットをもたらしてくれた記憶もあるため


大人になっても
なかなか手離すことができませんでした。

しかし、私が自分に対し、ハードルを上げることは

同時に他人にも、同じ高さを強要していた、
ということにも気づきました。


なまけものは、ラクしてはいけない
簡単に幸せになってはいけない


自由に動こうとする時
・・罪悪感がよぎることがよくありました。


心細い子供の目をしたお母さんが
わたしのなかで足を止めます。

がんばることで人生を作ってきた
お母さんより
幸せになってはいけない

誰もそんなこといってないのにね。

以前、母から聞いたことがあります。


誰かに頼って、楽して
いい思いをしてはいけないという思いの奥には

いざというとき、
頼りたくても拒否されたり
信じていた人に頼ったのに
無視されたり、軽く扱われたことがあるそう。


『他人は味方になってくれない』と。

悲しい思いが自力という、がんばり教を
加速させた面もあったのかもしれません。


包丁を使わず、他力というピーラーで
スライスした
にんじんのマリネは

わたしが知らない舌ざわり。


まーるく口のなかで馴染んで
納まっている。


ああ、簡単でいいんだ

楽して美味しくていいんだ


誰かや、道具の手を借りて
きれいな夢を叶えてもいいんだ

わたしが幸福であることと

うまくいかない出来事があることとは
あまり関係がないんだな。


文明の利器に感謝して
波に乗ることにしよう。


受けとるって、きっとそういうこと。


ありがとう、おいしかった!
じゃあ、またね✨


お返しはしなくていい
今、一瞬を生きるだけ。


しあわせの循環のなかにいる。


気がつけば、単純なことだったんですね。



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