LOTR ファラミアとエオウィンについて(壁打ち)
フェミニズムの一部の考え方では、エオウィンが結婚によってshieldmaidenとしてのアイデンティティを失って、再び抑圧された家庭という場所に閉じ込められる、というように考えることもあるらしい(あくまで私が論文を読んで得た解釈なので、間違っていたらすみません)。
ただ個人的には、ファラミアとエオウィンはお互いの救いになってるから、結婚によってそれぞれの個性が死ぬことはなかったと思うけどな。ファラミアには思慮深さ、そしてエオウィンには思いやりがあるから、お互いにお互いを尊重するタイプのように見える。
そもそもの話、彼女はアラゴルンとは合わなかったろうからなぁ。人間離れしたアラゴルンより、人間味のあるファラミアの方が、エオウィンの人間的な悩みにも共感してくれると思う。アラゴルンとアルウェンの関係はどっちかと言うと「出かけているアラゴルンを家で受動的に待つアルウェン」という伝統的家族観に近い部分があると思うので(個人の主観です)、エオウィンには窮屈だと思う。
その点、現代的ジェンダー観を持つエオウィンと、その時代に求められていた男性性(血気盛ん、強いリーダーシップと信念、プライドなどなど、兄ボロミアが持っていたもの)を持たないファラミア、詩や伝承をこよなく愛し、平和を願った、まさにその時代の男性像にはまらない新しい生き方をしていたファラミアは、そこら辺の価値観もすごく合ったんじゃないかな。
人間離れしたアラゴルンは人間離れしたアルウェンにしか扱えないと思うし、人間的なエオウィンのアイデンティティに関する苦悩も、人間的なファラミアにしか理解できないと思うしなぁ。アラゴルンとアルウェンは良くも悪くも北欧神話的伝統社会という型にはまっているけど、ファラミアとエオウィンはどちらも20世紀的価値観を持つ比較的自由なキャラクターなので、そこがエオウィンとアラゴルンが結ばれ得ず、逆にファラミアと結ばれ得る大きな理由かと私には思われる。
でもエオウィン、分かるよ。人間離れした英雄のアラゴルンがかっこよく見えるけど、でもそれは自分の理想をアラゴルンに押付けているわけで、彼の本質を理解した訳では無いんだよね。私は、エオウィンはアラゴルンが恋愛的に好きだったと言うよりは、彼に対して憧れを抱いていたのではないかなと思う。戦時中ということもあり、エオウィンには自分の性別のせいで抑圧された「戦いたい!」という気持ちがあった。そして、その「なりたい自分像」をすごく綺麗に体現しているアラゴルンは、憧れのような存在だったんじゃないかな
作中のエオウィンの印象的なセリフ from The Return of the King
つづく。