パート先での出来事②

上司に恥ずかしい体験をさせてしまい、私なりに反省しました。

結構手を抜いていた店内の掃除を真面目に隅々までするようになり、空いている時間は基本好きな事をして良い職場なんですが、真面目にお店の為になることを優先に率先して気持ちよくできるように心がけました。

すると、お店へ入ってくる客数も自然と増えたんです。売り上げが上がったかどうかは私には判りかねますが、でも客数は明らかに増えた。それは実感しました。

そこで私が次に心掛けたのは【常に笑顔で客を迎える】という事。

これ、当時の私には結構度胸が要りました。だって、苦手な(ある種の)アジア人にも笑顔で迎えて接客しないといけない、という事ですから(^_^;)

正直、やっぱりずっと【全てのお客さんに向けて笑顔】は苦痛でした。笑顔で「ハロー」と迎えても、無視して素通りする人のほうが明らかに多かったし、そんなお客さんの反応に いちいち反発感を抱いていたので疲労感が半端なかった。無視するお客が(その種の)アジア人だった時は、とにかく必要無いほどの憎しみを抱いていたし、脳内では結構なグロテスクのシナリオが妄想されていました。


そんな ある時。

その種のアジア人のお母さんとお子さんが来たんです。お世辞でも「綺麗」とは言い難い容姿で、正直声もかけたくなかったし無視しようと思いました。しかし雇われている身の私。笑顔は作れなかったものの、「ハロー」と迎える事は出来ました。すると、相手は不慣れな感じで愛想笑いを返してくれました。

しばらく店内を見て回っていた親子。私はレジ後ろで手にしていた本を読んで座ってました。その時は「誰が接客するか、どうせ時間つぶしで入ってきただけっしょ」と思っていたんです。

すると、レジカウンターでその親子が黙って立っていました。

私が顔を上げるのを待っていたみたいで、「声かけろよ」と思いましたが、声には出さず(ぶっちゃけ、顔には出たかもしれないけど…)でも、その親子は何も言わないんです。別に買おうとしている物持ってるわけでも無く、差し出すわけでもなく、ただ立ってるんです。

気持ち悪かったですよ。まるで【ハッキリ見える幽霊】

一応「どうしました?」と聞いてみると、何やら異国(苦手な特定の国)の言葉をしゃべり始めるお母さん。とにかく嫌悪感が膨らみました。でも、目の前に居るんだし、何やら伝えようと一生懸命なのが伝わってきたので 私も頑張って理解しようとしてみました。

数分かかりましたが、何やらお店にあるもので興味があるものが見つかったらしいけど、触って良いか?という確認でした。

理解できた時の達成感、気持ち良かった!
自然と笑顔になっていた私。
「もちろん、どうぞ」とジェスチャー込みで言うと、そのお母さんは「Thank  you!」と輝かしい笑顔で答えてくれました。

その姿を見たとき、北米に越してきたばかりの私と母を思い出しました。

英語も喋れず、不慣れな環境で生活し始めの当初。あの時は母だけが頼りだった私。「きっとこの母子もそうなのかな。」と自分と重ねてしまいました。そして、当時私が体験・経験した人種差別を思い出したんです。その事でどれだけ悲しい思いをしたか、、思い出したら自分がすっごく情けなくて、恥ずかしくて。

↑この記事で最初に書きましたが、このパート(に復帰)している時点で私は一児の母なんです。【親、である自分がそんな恥ずかしい事を普通にしている】という事を気付けていなかった自分が 本当に情けなかった。ましてや、自分たちで自立して住居を構える事ができなかったので実家住まいだった当時の私と主人。

目の前に立つ、英語も喋らない母子を見たとき、正直私は彼女たちに謝りたかった。でも、急に謝っても訳が解るわけもないので、とにかく私はその親子に全力でサービスを提供した。彼女たちが顔を上げ、私の方を見たら笑顔で寄って行って何を言おうとしているか理解しようと頑張った。結果、たくさんの品を買っていってくれました。

その親子がお会計を済まして店を出る際、二人ともが振り向いて笑顔で手を振ってくれたんです。すっごく嬉しかった。私も笑顔で手を振りました。


言葉は通じない。喋らない。喋れない。

でも【人を理解しよう】という気持ちさえあれば通じ合う、という事を学びました。

どんな容姿でも、人種でも、何が何でも、、、

人にはそれぞれの背景があって物語が在る。


私は、ただ自分自身への理解の無さから抱かれたイライラ感を 自身の周りで形有るもの達への感情に置き換え 結果大変失礼な言動を無関係の人に向けて発信していた、という貴重なレッスンを受けることができたんです。

説明、きちんと伝わっているかな・・・(;^ω^)

ただの質の悪い虐めっ子ですよ、やっていたことは。
決して手を下すことは無かったものの、表情や言葉は遠慮なく発していたわけだから、いじめっ子も同然。そんな自分が娘には「常に優しく」とか偉そうに教えていたわけで、、、子供にも申し訳なかったし、恥ずかしかったし、情けなかったし、、、悔しかったし、、、自分をもっと嫌いになった。

しかし気付けたことは有難かった。

自分の小ささを教えてもらったし、それ以来「人種」ではなく「人」を見る事が出来るようになっていきました。


今となっては 娘たちには【人】を見る術を得て欲しい。
そうしないと自分自身を【人】として見てもらう事は出来ないし、【人】として接してもらう事はあり得ない。
どれだけ「一人間」が小さい生き物か、を良し悪し両方知ってもらいたい。

私はあの時の事を忘れないように、どんな人でも私が接してもらいたいように接することを日々心掛けようと思っています。

残念なことに2020年のほとんどはその心掛けを忘れていましたが、12月になって転機が訪れてからは、その時の心境を思い出して毎日笑顔で居れることが増えました。



私から発信していかないと、決して私に着信することは無い。



人間は常に成長している生き物。
自分は大丈夫、と油断をすると一気に成長が留まるのも人間。

私は成長をし続けたい。

子供たちがこの重要な事を思い出さしてくれました。

汚れなく生まれてきた子供達。
その原石を磨き輝かしてあげるお手伝いをするのが私、【親】の役目だと思っています。そんな私が汚れていては原石をどれほど丁寧に磨いても輝かしいものは見出せないとも思っています。


パート先で大切な事を学びを得ることが出来たんです。

まだまだ未熟で、治す・直す要素を溢れるほど持っている私ですが、そういう経験を得られて考える術を持っている自分が居る。だから成長し続ける事が出来ていると思っています。

論理的、というのか、、、
理論的、というのか、、、
哲学的、というのか、、、
合理的、というのか、、、
生理的、というのか、、、

何と言ったらいいのか判りません。

今まで関わって頂いた全ての【人】から聞いた言葉や、学校で学んだ事、全てを踏まえて今の私がいると思っています。

でも私は成長し続けたい。自分の為はもちろん、それが【子供達の為】にも繋がっている。

自分で自分の成長を手助けできるようになると、医薬品に頼る必要もなくなるんです。だって摂取していた薬が本当に無効だった事を改めて感じるんですから。

次回はその事についてでも語ろうかな と思います。

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