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【小説】(5)限界集落に出戻ったら工芸職人の幼馴染と再会した話
「ハァ!? 何で勝手に行ってらんだ? 俺が連れて行ってやらど言っただべ!」
晴嵐は土間で仁王立ちになって、居間でテレビを観ていた春鹿を怒鳴りつけた。
昼前に、「買いモン行くべー」とまたアポなしでやってきた。
Tシャツに短パン、今日はビーサン履きだ。
まずは『今から買い物行くか』となぜメッセージで送ってこないのだ。
何のための連絡先交換だったのか。
初回に比べてまともだったのは、玄関から入って来たことくらいか。もっとも施錠されていたらまた縁側からの奇襲だったのだろうが。
「昨日、父ちゃんが連れて行ってくれたから」
「おっちゃんに運転させただべか?」
「そりゃ、私ミッションなんて運転できないし」
「しろや! 一緒に教習通ったべ!」
「あれ以来、運転なんかしてないもん。忘れたよ!」
春鹿も板の間に下りて、
「まぁまぁ落ち着いてよ。買いだめしたし、毎日行くわけじゃないし、父ちゃんだってこれまで一人で行ってた通い慣れたスーパーだし。それにこれからは移動販売も使うし。あと調べたらね、ここでの食材の宅配の契約ができるみたいだし。そのうち、私も軽トラの運転、練習するし」
「ハァ?」
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だから。ね?」
春鹿が下手に出て、かわいくお願いのポーズを取ると、
「次がらは俺が連れて行ってやら」
晴嵐はひとまず納得したようだった。
しかし、
「んじゃ、飯、行くべ」
と想定外の方向から新たな誘いを受ける。
「は? いやいや、行かないよ。何で」
「出戻り記念を祝っでやる。行かねぇとおめが帰っで来でるごと、母ちゃにバラす」
「なにそれ卑怯な! それに二人で出歩く方が危険だよ。見られたらどうすんのよ」
「山の方の道から出りゃわがらねよ」
そう言いながら、玄関を出ようとする。
「ちょっと! せめて着替える! こんな格好、ゴミ捨てにも行けないよ」
着古して襟口の伸びたオーバーサイズのTシャツに、ルームウエアのショートパンツだ。
167センチと高めの身長の春鹿だから、女性平均よりも足の露出面積が多いと元夫に言われたことがある。
「ゴミ捨でにすら行げねぇような格好で、この俺に会うべか?」
「あんたが急に来たんじゃん」
晴嵐が今日買い物に誘ってくることは予想がついていた。
だから、メイクをしたり、いつもの部屋着ではなく、それ用の服に着替えようとした。けれどやめたのだ。それをすると、自分の気持ちに加速をつけてしまうと思ったから。
それでも、さすがに三十五歳のショートパンツは忍びなく、急いで部屋に戻り、一番上の段ボール箱に入っていたカーゴパンツに履き替えた。
ノーメイクとクリップで留めただけだった髪は、キャップをかぶってごまかす。
東京でも、近所のコンビニくらいは行ける格好になった。
庭に出ると、外に停めた軽トラのエンジンはすでにかかっていた。
運転席に乗って待つ晴嵐の吸う煙草の臭いが漂っている。
父以外の軽トラに、男女で乗って出かける日が来ようとは。一か月前の春鹿には想像もできないだろう。
「恥ずかしがるごどはね。田舎にとっての軽トラは、東京でいうカローラみてなもんだべ」
「例えがわからん」
「もっどもポピュラーで人気の車だってごとだべ。ドイツでならワーゲンだ」
「それを言うならプリウスだよ、今の時代。てか、何も言ってないじゃん。うちん家だって軽トラが唯一の自家用車だよ。車で男の価値はかるほどバブリーじゃないから」
春鹿は乗り込んで、バンッと鋼の板のようなドアを閉める。
晴嵐は言った通り、村の中を通らず、林道から県道に出る道を通った。
運転席と助手席は想像以上に狭くて近い。
シフトを動かす晴嵐の左手が、春鹿の太もものすぐ近くにあって落ち着かなかった。
吾郎の運転では気にもならないのに。
晴嵐は、フルオープンの窓から右腕を出して、煙草の灰を落としている。
「煙草、やめてよー」
「ハイハイ。これ一本、吸い終わったらな」
「で、どこ行くの?」
「ファミレス」
「ファミレス!? できたの!? どこに!」
「国道沿いにできた」
場所を聞いて、春鹿は「え」と声が出た。近くはない。片道、一時間弱かかるだろう。
「悪ぃな、そんな店で」
「いやいや、十分感動してるよ。あのねー、私もここで生まれ育ってるんだから、軽トラもファミレスもなんの抵抗ない。町からきた女の価値観と一緒にするな」
「東京で暮らすてもか?」
「三つ子の魂百までよ。白銀にいて、ファミレスに行けるなんてテンションあがるもん」
「こごらじゃ一番シャレてるべさ。それでねば、汚ぇ食堂か道の駅しかねぇ。市内まで行けば、もすごしマシな店もあるけんどさ」
「道の駅、あるの? 私、道の駅がいい!」
顔を輝かせた春鹿に、晴嵐は驚いた顔をした。
「そんなごと言う女、はじめてだべ」
「どこの女と比べてんのよ。そりゃここに住んでたら道の駅なんて絶対行きたくないって思うかもしれないけど、道の駅、大好きなのよー。新鮮なものとか珍しいものたくさんあるし! おいしいし!」
春鹿は鼻歌を歌いながら、運転席同様、フルオープンの助手席の窓から入ってくる風に乱される長い髪を後ろで一つに束ねた。
「……そうか。おめがいいなら、俺は近場で済んでラッキーだ」
「うん、うわ、楽しみ。何があるかなー。ホントに好きなの。東京近郊の道の駅は制覇してるかも。観光より道の駅目当てでドライブよく行ったなー」
そこで出会ったおいしいものを、継続して取り寄せたりもしていたくらいだ。
春鹿は車窓の畑を眺める。
近場の景色も、遠方にドライブに来ている気分になれる。
「……だばって、やっぱりおめは都会の人間だよ。道の駅を喜ぶところさ、その証拠だ」
颯爽と、というよりはのんびり、ともすれば後ろからクラクションを鳴らされそうなくらいのスピードで晴嵐は運転する。
二本目の煙草に火をつけたが、春鹿は抗議はしなかった。
道の駅はファミレスより近いらしかった。
「急いでよ。野菜とかすぐ売り切れるんだよ!」
「十分や二十分そごらで変わるか」
「変わる! 一分一秒の差でいいものからなくなるの!」
「なにも二度ど来ねぇ場所でもねえべ。明日もまた来ればいいべさ。ほら行くべ」
直売所を覗こうとする春鹿の首根っこを引っ張って、晴嵐はまず食事処に赴いた。
券売機の前で、「俺、馬肉そば。おめは?」と春鹿を振り返る。
ここの名物であるらしい。馬肉はこの地域の特産品でもある。
「じゃあ、私も」
昼時ということもあって、食事処の席は半分ほど埋まっていた。
名物馬肉そばは晴嵐がおごってくれた。
晴嵐は他に黒米いなりという油揚げまで黒い稲荷ずしを五つ頼み、春鹿はそのうちの一つをもらう。濃い味付けだった。
添えられた紅ショウガは赤紫蘇の色そのまんまでなんとも田舎臭いが、手作りであることは伝わってくる。
「あのさ、晴嵐が歓迎してくれてるのはよくわかったから、もう構ってくれなくていいし、買い物とかもなんとかするし」
そばを食べ終わって、春鹿は箸を置いて目の前の男に視線を向けた。
「こったな田舎で暮らすていぐのに、一人でどうにがなるもんかよ。車もねぇのに」
「そうだけど迷惑かけるのも負担になるのも嫌だしさ」
「昔は、俺の都合なんかおがまいなしで呼びつげておいで、今さらどうした?」
当時はまだ車には乗れなかったので、原付バイクを持っていた晴嵐はまさに春鹿の足代わりだった。警察のお世話になりそうな案件だが田舎あるあるだし、まずこの辺りで道交法違反の取締になど出会ったことはない。
「あの頃はね、確かに無邪気に無茶ばっかり言ってたけど。私ももういい大人だからさ、遠慮とか控えめとか身につけたわけよ」
「らしぐねぇな」
「それにさ、私たちが二人でいると、村でいらぬ誤解やいらぬ噂を呼ぶだろうし」
一足も二足も先に食べ終えていた晴嵐は思いきりだらけた頬杖をついて、しばらく考えるように黙っていた。
「鷹村と小枝」
晴嵐が突然、同級生の男女の名前を挙げる。
「鷹村くんと小枝ちゃん?」
高校時代、二人は付き合っていた(こちらの二人は本当に告白してされて交際を始めている)。
「働き出して、別れで、今はそれぞれに所帯もっで」
「そうなんだー。あんなにラブラブだったのに。結局別れたんだ」
「今は鷹村と小枝と、鷹村の嫁と小枝のダンナと家族ぐるみで付き合いしてっぞ。そんなやつら、この辺りにはたくさんいる。ナントカ兄弟ナントカ姉妹……」
「下ネタ、やめてよー! ……でも、限られたコミュニティの中で完結するってことは、まぁそうなるよね……。その中でシャッフルするだけだもんね」
「昔はサ、ほとんどの夫婦が村内婚で、外がら嫁をもらっでも遠ぐて隣村。その名残か防衛策かどうもみんな過去は不問ってとごあるな」
確かに、村の各家には姻戚でできたらしい親戚がごまんと存在する。
「ましてや、ガキの時分のままごとのことなんて、誰も気にしちゃいねよ」
「ままごと……」
「そうだ。あんなモン恋愛の真似事だったべ。だから、妙に俺らが男女だったのを意識すんな。俺らはただの幼馴染だ」
「そうは言ってもね……、晴嵐だって嫁入り前なんでしょ。あんまり仲良くするのは憚るんじゃないかなって」
「予定もねえよ。ついでに言うと彼女もいね」
「そうなの? ま、深入りはしないようにする」
「なしてだ? 俺んこどが嫌いか? そりゃ田舎モンだげど」
「そうじゃないけど……」
「じゃ、遠慮なぐ頼ればいい。幼馴染ならあたりめぇのごとだ」