「ミシンと金魚」私の読書感想文
義母が認知症と診断されて以降、私のアンテナは感知して、しすぎて、疲れるほどだった。「認知症の人をどう介護するか」「認知症の人にどう対応するか」「認知症の人はどう考えているか」「認知症の人はどう感じているか」その分野の情報は限りなくある。キャッチした情報を整理して理解しようと努力し、平穏を第一目標に過ごす義母との日々。それでも日常生活に唐突に起こる修羅場が増える中、施設入所でやっと平穏が訪れた。それ以外の方法は今も思いつかない。ギリギリの状況にギリギリの私がいたのだ。救われた気持ちでいっぱいだった。
救われた後もアンテナは情報を拾い続け、私は「ミシンと金魚」を手にした。認知症を患うカケイさんが語る、人生。途中何度も泣いた。カフェで読んでいて堪えきれずに泣いた。カケイさんは自分の人生を語りながら、みっちゃんや兄貴や広瀬のねーさんや、たくさんの人生を教えてくれた。そこに義母の人生もあった気がした。波瀾万丈ではなかったとしても、それなりの波はあったろう、義母の人生。「お婆ちゃん、今までの人生をふり返って、しあわせでしたか?」そう聞きたくて、涙が止まらなかった。
義母の妄想暴言が修羅場を生んで、私を苦しめた。穏やかな時もなるだけ義母を遠ざけた。でも、今になって思うのだ。義母の頭の中で繰り返し甦り、それが薔薇色であっても灰色であっても、彼女の人生を彩っている物語を知りたいと。感情をうちに秘め、きれいごとですませていたこと、未整理のまま残るドロドロの思いは容易に想像できる。彼女の生きてきた時代や環境を少しは知っているから。それ以外の、もっと個人的なこと。曖昧になっていく記憶の中で、くっきりと残っていること。
どんな人生にも幸せを感じる一瞬があると、カケイさんは教えてくれた。可愛い道子の短い命が、どれだけの人にとって幸せの灯となったかを教えてくれた。その灯は一旦灯れば、命がつきるまで消えることはないのだな。記憶の最後まで残り、あたたかく包むのだな。お婆ちゃんの記憶の中に、幸せの灯がチラチラと光を放っていますように。これからお婆ちゃんと関わる時間の中で、その光を見つけた時に、真の意味で私は救われる気がするのだ。