Eveの恋ごころ
どうも朝の4時に目が覚めるのが習慣化してしまいました。
ホットCHAIをすすりながら、しっかり布団をひとり占めした猫のマールを眺めています。
クリスマス・イブですね。少しだけど、食べることを控えていたので、今晩はお一人様のクリスマスケーキを買ってきましょうか。
両親ともに働いていたし、母は要領が悪くて金にならない残業ばかりしていました。
ということで、クリスマスとは、母が勤める農協の売れ残ったケーキを、26日に食べるというのが我が家のクリスマスでした。
ということは、もしも売れ残らなかったら、その年のクリスマスケーキはなしということでした。
テレビを見ていると、店頭に高く積み上げられたクリスマスケーキを、躍起になって売り捌こうとしています。
家がお街にあったら買いに行けるのに、日に数便しかバスの走らないド田舎です。幸せはお街に行かないと手に入らない、そう真剣に考えたもんです。
今ならケーキなんて、スーパーでもコンビニでも、年がら年中売っています。でも、昔はクリスマスか誕生日くらいのもんでした。
わたしの誕生日は2学期の最初の日でした。夏休み明けは妙に忙しなくて、誰も誕生日のことなんて覚えていません。もちろん両親も忘れています。
でも、わたしの誕生日は忘れても、母は弟の誕生日は忘れませんでした。だから、最低、年に1回は確実にケーキが食べれました。
めでたし、めでたし~
それに、経済的に自立すると、自分で好きなときに、好きなだけケーキを食べれます。
ということで、本日の俳句です。最近、少しずつ俳句がおもしろくなり、俳句の本などを参考にして句を作るようにしています。
ただ、あまり真面目にやると飽きる癖がありますので、ゆるゆるです。
作り置き減るほど満つる恋ごころ
(つくりおき へるほどみつる こいごころ)
これは季語はないのですが、この前、「サラメシ」を見ていますと、長距離結婚しているご夫婦が出ていました。
料理もせずに仕事に没頭する妻のため、夫が冷蔵庫に作り置きをして帰ります。
スペインで語学を学んでいた頃、料理はからきしのわたしに代わり、せっせと料理をしてくれる相方がいました。
作り置きは食べると減っていきますが、でも作り置きが減るほどに、募ってくるのは相方への愛情と感謝の気持ちでした。
逢いたきは目白愛でたる春の父
(あいたきは めじろめでたる はるのちち)
季語は「春」です。ただ、もしやと調べると「目白」が夏の季語でした。
でも、夏になると暑くなって山で涼んでいる目白が増えてきますし、やはり里山に降りてくるのは冬の始まりから早春なんですよね。
南天の枝に、二羽のツガイがやってきてチチチっと鳴いています。
父は目白が好きでして、わたしが幼い頃には鳥黐で捕まえていました。後から知ったのですが、目白を捕るには届け出がいるらしく、それを娘が知ってからは自粛していました。
ただ、山に餌がなくなり、里に目白が降りてくるようになると、枝木に蜜柑をぶっ挿し、縁側に寝転がって目白がくるのを待っていました。
そんな句に、俳句の先輩が手を加えてくれました。
まぶたには目白愛でたる父の顔
(まぶたには めじろめでたる ちちのかほ)
ストレートに「逢いたき!」もいいですが、奥ゆかしさを感じます。
縁側でめじろ目で追ふ老父かな
(えんがわで めじろめでおふ ろうふかな)
う~ん、春の父が好きなんですが、季重なりとなりますので、無難に着地しました。
ここで、俳句の先輩より「目白目で追ふ」がいい!と受けました。そこで、、
縁側で目白目で追ふ老父かな
「目白目」、じっと見ていたら鳥の目に見えてきませんか。白目のまわりをくるりと丸く囲んでいる、目白の目に見えてきます。
俳句は自分が作っても、いろんな人の思いを通して育っていきます。愉しいです。
ベル・エポックのステップ踏んで聖夜くる
(ベルエポックのステップふんで せいやくる)
季語は「聖夜」です。
ベル・エポック(Belle Époque:フランス語「美しい時代」)とは、19世紀末から第一次世界大戦勃発までのパリが繁栄した華やかな時代、およびその文化を回顧して用いられる言葉だそうです。
ベル・エポックのステップなんて、いったいどんな足さばきか分かりませんが、なんだか口にするだけでウキウキしてきます。
仕事柄、季節とは関係なく仕事ですし、独身ということで、当たり前のように行事の日は仕事でした。だから、クリスマスや正月にはたいてい夜勤が入っておりました。
公平性とか多様性とか、そんなものから遠くかけ離れたところに居るのが看護師ちゃう?と思ってしまいますが、給料も倫理観も少しずつでもアップして欲しいもんです。
さて、ケーキでも買ってきましょうか~