自分を殺して迷子になった20歳。
ポパイの「私が20歳だったころ。」という特集が好きで毎年読んでいる。
今日は #成人の日 だし、20歳だった頃を書いて同じような悩みを持っている人と共感できればと思って。
あの頃の私は世間の目を気にしすぎてた。
意識の高いことをして、”凄い”人になろうとしすぎてた。
自分を殺すことを選択した
20歳になる年、私は2回目の大学1年生をしていた。
高校卒業後に進学した大学を中退し、大学に入りなおした。
私は生まれ育った環境柄”まともに生きる”ことの難しさを痛感してたから、手に入れた環境を踏み台にいかにして”まとも”に生きるかを考えていた。
学生団体に入ったりサークルに入ったりした。
けど、遊び方や価値観が違うから全然なじめなかった。
前提が違うんだって頭を打ったのもこのころ。
前の大学の時は高校時代の友達とほぼ遊んでて気づけてなかったのも悪かったんだけど、そもそも大学進学が当たり前なんて思ってもみなかった。
けど、今回こそは変わる、この人たちと同化するぞと思って自分自身に沢山の制約をつけて生きた。
個性なし。自分を見失う
けどね、全然友達もできなかったし楽しくもなかった。
今も本当に失敗だと思っている。
結局、残ったのは自分を見せることができなくなってしまった私だった。
”まとも”に生きるために女子大生っぽい服装をしようとした。
けど、耐えられなかった。そして、20歳になってから半年後にわたしは突然”オレンジ髪”になった。
この後もずーっと黒髪とハデ髪を繰り返しながら葛藤し続けているし、自分がわからず今も迷子だ。
自分がやりたいことを優先する心を忘れてしまっている。
あまりにも守られているものだから、道から外れることに”怖さ”すら感じてしまう。
”まともさ”に拍車をかける社会からの期待
高学歴の基準はわからないが、テレビで”高学歴”や”歴史ある大学”ともてはやす大学に通うと世間の人の目は変わる。
高校卒業まで周りから全然言われたことないのに、大学名を言うだけで「優秀」「頭良い」なんていわれる。
肩書かよバーカって思うけど、行動さえすれば機会を手に入れやすいという恩恵も受けてきた。
大学生の3年間で、”肩書”をなくす怖さと、社会に応えてちやほやされたいというエゴが芽生えた。
だからこそ、「〇〇大学に通っているのに就職先は結局××なんだって」といわれたくなくて、良い子ちゃんな部分が期待に応えるように働きかける。
自分のままで生きれるようになりたい
多様性や個性が認められる場所で生きたいと切に願いながら、のけ者や社会不適合と思われたくなくて”まとも”な自分を演じてしまう。
英語だと言葉が拙いから自分自身の個性が出せるのに、言葉を知ってしまったが故に日本語だと自分をうまくオブラートに隠して発信する。
「葛藤の中で本当に苦しんでそう。魅力的だから自分をもっと出してほしい」と名前も知らない人から言われたことが最近の救いだ。
もっと自分を出せるように変えていこうと思ったきっかけを作ってくれた。
20歳の頃は自分を隠すことに必死だったからこそ、私は伝えたい。
必死に自分を変えようと思って隠すと後々にボロが出て苦しむ。
だから、自分を認めたうえで、出会いや行動すべてにおいて良い選択をできる審美眼を養ってほしいと。
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