温故も知新も
だいぶと更新が空きましたが気にせずいきます。
今日はこれまでとは少し違う話です。日本語教育入門書に関するお話。私はだいたい一つの単元をやるのに少なくとも3つの本を読みます。1つは、会社指定の教科書、2つ目に1990年代くらいの古い本、3つ目に2017年以降に出された本です。
日本語教育入門書って2017年頃から大量に出版されました。さぞ、充実した中身、色んな知見が盛り込まれているのだろうと思って中を見ると
…1990年代のと変わらない?
そうなんです。驚くほど変わらない。でも当たり前です。1990年代で大事だったことは30年たった今でも基本中の基本として大事なのは変わらないのだから。だから、昔の本を読んで新しい本を読むと、重複部分は大事だし、昔の本だけのことはもう古く、新しい本にだけ書いてあるのは今一番新しいことだと推測がつきます。
ただ、ちょっと気になることが一つ。教授法のセクション、どの本もたいてい、教授法と成立年代と教授法の概要の説明だけが羅列されていてそこだけで終わりとなっています。でも、今の日本語教育の現場では、明確に~法というわけではないけれど、色んな教授法の影響を受けて、教育を行っています。だから、本を読んだだけでは歴史的な流れがつかめませんし、なぜその教授法をあえて取り上げる必要があるのか、今一つ分かりません。
例えば、サジェストペディアの考え方では、学習者がリラックスできる環境にあることが重視されています。そして、この考え方は日本語教育でも適切な環境を整えることの重要性を訴求するものとして理解されている部分もあります。あるいは、心理学や言語学習の社会的要求などにも触れておく必要があるでしょう。
そういうわけで、養成講座では、ただ知識を詰め込むのではなく、なぜそれを学ぶ必要があるのかを現場での実践に結び付けて理解できるように意識的に伝えていく必要ですね。うまくいっているかどうは別!!