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10キロの減量成功と人生をコントロールする実感|今年の出来事/04 #3|関野哲也

《1カ月で1キロ、緩やかに痩せたという哲学者の関野哲也。それによって見えてきた世界とは》

関野哲也(Tetsuya SEKINO)
1977年、静岡県生まれ。リヨン第三大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。フランス語の翻訳者/通訳者として働くが、双極性障害を発症。その後、福祉施設職員、工場勤務などを経験。「生きることがそのまま哲学すること」という考えのもと、読み、訳し、研究し、書いている。著書に『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた』他。
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今年に入って、10キロ減量した。

腰にヘルニアの痛みがあるため、ウォーキングやランニングなどの運動ができない。その代わりに、栄養を満遍なく摂取しながら、食事の量を七分目にし、間食と夜食は摂らないようにしている。そのおかげで、1ヶ月に1キロずつのペースで緩やかに体重が減ってきた。

食事の量をほんの少し減らしただけなので、空腹の苦しさはあまり感じなかった。たとえ空腹感が出ても、それは「痩せているサイン」として受け止めると、嬉しくなってくる。またそんなときは、水やお茶を飲んで過ごしていた。この食事制限に適度な運動を加えれば、もっと効率よく減量できるのではないかと思う。

恥を忍んで明かしてしまうなら、今年の始めに身長179センチで体重が90キロあった。現在は80キロになり、このままの調子でいけば、ベスト体重の70キロまであと1年ほどで到達できるのではないか、と楽しみにしている。

実を言うと、90キロになるまで、自分が太っている自覚がまったくなかった。現実を認めたくなかったのかもしれない。以前に勤めていた職場に、わたしより恰幅のよい同年代の男性が二人いた。彼らに囲まれていたおかげで、「自分はまだ大丈夫」と言い聞かせていたのだ。だから、体型を気にすることも、体重計に乗る習慣もなかった。

ところが、昨年末に自著『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた 哲学、挫折博士を救う』(CCCメディアハウス)を出版させてもらい、そのインタビュー記事が写真つきで「AERA」と「週刊プレイボーイ」に掲載されることになった。

カメラマンに撮影してもらっていたとき、薄々自分の体型が気になってはいたのだが、後日、出来上がった写真を見て、愕然とした。顔はパンパンで、お腹が出ているではないか(!)その姿が全国に……。本当に恥ずかしかった。ダイエットしようと決心したのは、そのときだ。

禁煙に成功した人や筋トレをする人がそろって、「自分で自分の人生をコントールできているという自信を持てるようになった」と書いていた。減量にもこれに通じるものがあるようで、わたしにも自分の人生をコントロールできている自信が、少し出てきたように思う。

自分の人生をコントロールすると言えば、最近こんな経験をした。

わたしはうつを持病としており、その再発予防のためにと、数年前に友人がマインドフルネスの存在を教えてくれた。マインドフルネスとは、仏教やヨーガなどの瞑想から宗教的要素を取り除いたもので、アメリカで研究開発された、心の安定やストレス軽減のための瞑想方法だ。まず、呼吸の出入りを意識して、「今・ここ」に存在していることを認識する。次に、湧いてきたネガティブな思考への「気づき」をもたらす。

ほんの数日前に、その効果が初めて体感できた瞬間があった。これまでは、散らかったネガティブな思考に巻き込まれていたのだが、その日は呼吸を意識することで、ネガティブな思考から一歩離れ、客観視することができたのだ。そして、それらは自分の作り出した価値判断でしかなかったことに気づいた。

「今・ここ」という一瞬一瞬を生きている感覚が得られると、人や物事に対する好き嫌い、良し悪し、優劣などの価値判断をしている自分に気づく。すると、今まで騒がしかった頭の中に、ぽっかりと大きく静かなスペースができたようで、気持ちに余裕ができ、ずいぶん楽になれた。自分自身への価値判断もなくなり、「あるがままでいる」ことが、一番心地よく感じられもする。

神話学の泰斗ジョーゼフ・キャンベルがこんなことを述べている。

人々はよく、われわれみんなが探し求めているのは生きることの意味だ、と言いますね。でも、ほんとうに求めているのはそれではないでしょう。人間がほんとうに求めているのは〈いま生きているという経験〉だと私は思います。

ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ『神話の力』(ハヤカワノンフィクション文庫)

これまでわたしは、「人生で何をなすか」を考え過ぎていたようだ。そして、その何かが達成されなければ、「生きている意味は失われてしまう」とさえ思っていた。きっと順番としては、「いかに在るか」が基盤に定まってこその、「では、この人生で何をなすか」なのだろうな。通り過ぎた車輪のあとに轍ができるように、「人生の意味」は振り返ったときに見出せるものなのかもしれない。

まずは、どのように〈いま生きているという経験〉をするか。どのように生きている経験と親友になれるか。自分の人生を生きている感触。今年は、そんな小さな「気づき」の出来事があった。

文:関野哲也


>> 次回「今年の出来事/04 #4」公開は12月16日(月)。執筆者は安達眞弓さん


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