見出し画像

「やりたいことだけやって生きていきたい」という詭弁|自分をもてなす/05 #5|栗下直也

《いつでも飲めるようになると飲むのが楽しくなくなったという栗下直也。その分、仕事をしているという……何があったのか》

栗下直也(Naoya KURISHITA)
1980年東京都生まれ。横浜国立大学大学院博士課程前期課程修了後、無職、専門紙記者を経て独立。著述家、書評家。経済記者出身でありながら、なぜか酒がらみの文章が多い。連載に「サボる偉人」、「あの人の引き際」、「名経営者のB面」、「こんなとこにもガバナンス!」。著書に『政治家の酒癖』、『人生で大切なことは泥酔に学んだ』他。
Xnote

【お知らせ】:栗下直也の新刊『偉人の生き延び方 副業、転職、財テク、おねだり』(左右社)が1月末発売 ※ Amazonは2月7日発売


令和の今、何かと制約が多い。そんな時代には、誰もが一度は思うはずだ。

「やりたいことだけやって生きていきたい」
「勝手気ままに振舞いたい」

だが、本当に誰にも縛られない、自由なのはいいことだろうか。昔から、自由は不自由と聞く。あの自由そうで言いたい放題の作家の坂口安吾ですら不自由あっての自由と書いている。

たとえば、平日の昼酒が自分にとってのご褒美な男がいるとしよう。彼にとってなぜ昼酒が楽しいかといえば、それは非日常だからだろう。世の中では昼から酒を飲む行為は決して褒められたものではないからこそ、それを実現できた時はたまらなく楽しいのである。

「今日はもう何もないから大丈夫だ」と自分に言い聞かせながら、15時くらいに「もう戻りません」とアポもないのに職場を出て、ちょっと飲んでしまう。もしかしたら急に上司や取引先から呼び出しがあるかもしれない。でも、これまでの経験上、ほとんどないはず。飲んでも大丈夫。でも、万が一……いや大丈夫だろう。そうした背徳感がたまらないのである。

「本当かよ、ただただ飲みたいだけだろ」と突っ込みたくなるかもしれないが、飲めないから、飲みたいのである。聡明な読者ならばおわかりだろうが、これは私自身の経験だからである。

自由過ぎると楽しくなくなる。実際、私は会社を辞め、昼酒に魅力を感じなくなりつつある。以前ならば「昼酒」の二文字を紙媒体やWEB媒体で見つけるだけで興奮していたのだが、勃起不全に陥った老人並みに何の反応も示さず、むしろ、昼から酒を飲んでいる人を見ると「昼から酒を飲むなんてけしからん」と小学校の教頭先生みたいな思いが頭をよぎってしまう。世も末だ。

本当に昼酒がご褒美でなくなったのか、これでは生きている意味がないとまで思い詰め、同じように会社を辞めて自営業な酒好きと昼酒を試してみたのだが、全く楽しくないのである。昼から日銀の利上げについて語って、1時間半で解散した。もう、病気だ。さらに恐ろしいことに、昼酒どころか夜も別に飲みに行かなくていいかなとすら思う自分すらいるのである。あまりの症状に病院に駆け込むべきかと三日三晩、熟慮したが、考えてみれば、飲もうと思えばいつでも飲める、朝から飲んでもいいとなれば、頑張って飲まなくてもとなるのは当然なのかもしれない。

前も書いたが、では、何をしているかというと嘘のような本当の話なのだが仕事だ。自営業は働かなければ食えないというのはあるが、働けば働くほどおカネにはなる。一寸先は闇な仕事だから稼げるときに稼ぐべきだろうと考えているわけでもなく、特にすることもないし、仕事が嫌いでもないので働いている。

公序良俗に反しない仕事はほぼ受けている。恐ろしいことに今年はこのスピードだと自著を3冊出せそうである。一冊書くのに3、4年かけていた以前の自分が嘘のようである。ちなみに1月末(Amazonだと2月初旬)に『偉人の生き延び方 副業、転職、財テク、おねだり』(左右社)が発売される。偉人に学び、自分の頭で考える、人生100年時代のサバイブ法が満載の本だ。先の見えない時代というが、仕事なんてやめてもいいし、金が足りなきゃなんでもやればいいし、働かずに金をもらったっていいのだ。偉人たちだって、なりふり構わず金策に奔走していたのだから。生き延びる勇気がわいてくる、古今東西評伝アンソロジーである。自分の本にしては酔っ払いも酒も出てこない。役に立ちそうな内容で怖い。やはり病気かもしれない。

話が脱線したが、「仕事がバリバリできるのならばいいではないか」となりそうだが、これもこれでまた問題なのである。今は「非日常」で新鮮だが、仕事ばかりしていたら、「いつでも仕事ができるから、こんなにしなくても」と仕事に面白みを感じなくなるかもしれない。自営業にとっては死活問題だ。

酒を飲まなくても生活に問題はないが、仕事が楽しくなくなり、働くのを放棄してしまったら自営業の行き着くところは餓死だ。考えただけで恐ろしい。やりたいことだけをやっていてはいけないのである。

やりたいことだけをやろうという言説はいつの時代も人を惹きつけるがやりたいことだけやったら、その中でやりたくないことが自ずと生じる。だから、人間はあまり気が進まないこともしなければいけないのではないだろうか。それでこそ、自分に対するおもてなしが成立する。

仕事がいくら楽しかろうが、酒を飲みに誘われたら気が全く乗らなくても行かなくてはいけない。むしろ自ら誘ってでも酒を飲みに行くくらいでいいのかもしれない。「結局飲みたいだけだろ」という声も聞こえてきそうだが、長い前振りの上の自己弁護と捉えるかどうかは、これまた聡明な読者にゆだねたい。

本年もよろしくお願いいたします。

文:栗下直也


>>次回「仕事での1コマ/06 #1」公開は2月1日(土)。執筆者は鰐部祥平さん


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集