記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【FF10】泣ける話にはひとつまみのポジティブが入っている。

甘い卵焼きを作る時 ちょっとだけ塩を入れると美味しいと言われている。そうすると甘みの輪郭がくっきりとするらしい。

個人的に、ドラマやアニメもそれに似ていると思う。悲劇的なシーンで、これでもか!と泣かせるための台詞や壮大なBGMばかりドンドコ持って来られると「ウップ…」となってしまう。意外と塩梅が重要というのが持論。

そんなめんどくさいことを考えている自分が、人目を憚らず号泣した作品がある。それは映画でもドラマでもなく、ゲームだった。ゲームの終盤、私はコントローラーの他にハンカチを握っていた。
それがこちら。

好きな映画は沢山あるけど、1番はなかなか選べない。しかしゲームは即答できる。FINAL FANTASY Ⅹは私の中で永久不動の1位なのだ。
ストーリーもいい。バトルも面白い。キャラクターも個性的。音楽と映像は天才的すぎて何も言えねぇ…
先ほどBGMについてあーだこーだ言ってたのに、FF10に関しては「もっと大音量で!!」である。かかるタイミングも最高。語彙力がなさすぎるので今日はとりあえずFF10について色々と紹介したい。

FF10の大まかなあらすじ

念のため、全体の流れを雑に説明させてほしい。
主人公はティーダ。金髪ガングロだけど爽やかな青年。ザナルカンドという土地で、ブリッツボールという競技の選手をやっている。ブリッツボールは近未来の水球みたいな感じ。
ある日の試合中、突然巨大な魔物"シン"に街が襲撃されパニックに。試合どころではなくなり、逃げ惑う観客たち。

すると知人のアーロンが突然目の前に現れ、ティーダに
「覚悟を決めろ。」
「これはお前の物語だ」
など謎の発言をする。そして2人ともシンの光に飲まれザナルカンドから消えてしまった。

ティーダは知らない土地で目を覚ましたが、アーロンはいなかった。彷徨ううち、そこはスピラという世界で、ザナルカンドは1000年前に滅びたと知る。ティーダは混乱しながらも少しずつ頼れる仲間を見つけていき、その中でユウナという女性に出会った。

彼女はシンを倒す召喚士になるため修行をしていて、ちょうど旅に出るところだった。召喚士はシンを倒す以外にも異界送りという、死者の魂を異界へ送る儀式を執り行うことも役目の1つ。ティーダは自分自身がザナルカンドへ帰るヒントを得るためにも、彼女を守るガードとして行動を共にすることにした。

…と、導入はざっくり書くとこんな感じ。
この後ティーダとユウナはひっそり恋仲になるのだけど、実はシンを倒す時に必要とされる究極召喚を発動すると、ガードが生贄になり召喚士は死ぬという事実が明らかに。
自身の運命に向き合いながら最終決戦まで辿り着き、ユウナはついに誰も犠牲になることなくシンを倒せる方法を見つけ、平和を取り戻すことに成功した…

が!

この後の展開については各シーンの紹介で少しずつ話して行きたい。

ロマンチックを極めたキスシーン、聖なる泉

聖なる泉とは、ゲームの発売当時CMで流れまくっていたティーダとユウナのキスシーンである。FF10のキャッチコピー『世界一ピュアなキス。』はこの場面を指す。

アナ雪でいうところの“let it go”的な場面で、FF10の代名詞とも言える。ちなみにCMには現在冒険家のタッキーが起用されていた。(雰囲気がティーダと似てるのでモデルでは?と言われていたが、真偽は不明。)

先述の通りティーダとユウナは密かに惹かれあっていたのだが、ユウナは旅の途中シーモアという悪党の策略でそいつと挙式する羽目になる。しかも、ねっとりキスするところをティーダ含めた仲間たちに見せつけるという趣味の悪さ。

その後ユウナはどうにかシーモアから離れティーダたちと合流。一行はマカラーニャ湖という土地で休憩することになり、ティーダとユウナは泉で2人きりの時間を過ごす。
そこで、気丈に振る舞ってきたユウナが初めて弱音を吐露する。涙を流すユウナを見て、ティーダは思いが爆発してキス!!それがこちら!!!

開発者の憎い(最高な)ところなのだが、このゲームでは終盤に差し掛かると名シーンを好きな時にプレイバックできるシステムが登場する。当然聖なる泉も入っているのだけど、このシーンが好きすぎて100万回見た。

ただ、当時はゲームを起動してテレビで見るしか方法がなかったわけだが、家族がいるところでキスシーンをヘビロテするわけにもいかないので、家族がいない間を狙って見ていた。むっつりスケベか。シーモアのことは悪く言えない。
中高で甘酸っぱい青春を送れなかった私はFF10で恋愛の素晴らしさを学んだ。

ラストは予想外の別れ…

もし私が女優で(←?)泣く演技のシーンがあったらここを思い返して泣くと決めている。
ユウナは自身を含め旅のメンバーを誰も犠牲にせずシンを倒すことに成功し、めでたく良いエンディングを迎えるはずだった。

しかし旅の終盤、トンデモナイ事実が判明していた。なんと、アーロンは既に死んでおり、ティーダに関しては実はこの世に実在しない存在だったのだ。

エー:(;゙゚'ω゚'):

テレビに向かって「嘘やん…」と呟いたのを今でも覚えている。この世に存在しないティーダって一体何者?!

ティーダは旅の中で出会った人たちと会話するたび、ザナルカンドは既に滅びたと思い知らされてきた。その上「シンに近づいたから頭がおかしくなったのね」と、あたおか扱い。だが事態はもっと複雑だった。

「1000年前に滅びたザナルカンド」は、当時機械により文明が進んだベベルとの戦争で負けそうになっていた。敗北の直前、統治者であり召喚士のエボンは人々を祈り子にしてザナルカンドを街ごと召喚した。ティーダはその祈り子たちが見た夢の中の存在だった。

祈り子たちは1000年もの間ずっと夢を見ていたのだが、ユウナがシンを倒した時、彼らの夢は終わりを迎えることに。
そのため、夢の中の住人であるティーダもこの世から消える。そして、だんだん体が透明に…
それに気づいたユウナは気が動転し、ティーダに抱きつこうと駆け寄るも体をスカッと通り抜けて倒れ込んでしまう。
そう、アーロンが死んでいてティーダが実在しないというのは、本人たちとテレビの前のゲーマーにしか知らされていなかったのだ。一緒に旅をしてきたメンバーは突然の展開に動揺を隠せない。

しかし、さすが召喚士ユウナ。ショックを受けつつもスクッと立ち上がり、ティーダに背を向けたまま「ありがとう」と言う。ここが侍魂っぽくて好き。ユウナは悲劇のヒロインではないのだ。この強さ故に女性からの支持も高いはず。

すると、ティーダは背後からユウナに近づき、バックハグをする。ここで、透けていたティーダの体が一瞬だけ元の姿に復活!

このシーンではFF10のテーマソングのオーケストラバージョンが盛大に流れている。これほど状況に相応なオーケストラバージョンのBGMが未だかつてあっただろうか。涙腺はとっくに崩壊しているんだが、ここで更に私は「オーン!!!」と声をあげて泣いた。

ティーダはこの後、体の消滅と同時に自分達が乗っていた飛空艇から飛び降りる。ブリッツボールのエースらしい幕引きであった。

父と子の、最初で最後のハイタッチ

FF10と言えばティーダとユウナの恋が見どころなのは間違いないのだが、魅力はそこだけではない。メンバーがそれぞれ抱えている問題にも触れており、ストーリーが進むにつれ互いにバックボーンを知り絆が深まっていく。とにかく人間関係の描写が丁寧で、そこに2人の恋があるから良い。ティーダは父親と確執があり、そこも物語の要にもなっている。

ティーダの父の名はジェクト。ティーダは旅をしていくうち、小さい頃突然失踪したジェクトがスピラに来てユウナの父 ブラスカのガードをやっていたと知る。更に、シンの正体がジェクトであることも判明。(厳密に言うとジェクトの向こうにエボンがいるけど、この辺は今回いったん省略)

シンは本来、倒してもしばらくすると復活してしまうのだが、復活の原因はガードが生贄になることにあった。シンは退治されるというより、誰かが交代で受け継いでいるというのが実状だった。そのため、ブラスカがシンを倒す時はジェクトがシンになってしまった。
それでもシンが生まれ変わるのには時間がかかるので、そのわずかに平和な期間"ナギ節"のために召喚士たちはシン退治を目指した。ティーダたちがシンを倒すことはジェクトを倒すことを意味する。

ジェクトとの決戦の際、ティーダは彼と再会して少し対話することができた。お互い罵り合いながらも、長い旅を終え、世界の真実や父の失踪の理由を知ったティーダの中には、もうジェクトへの憎しみはなくなっていた。ジェクトを倒す前に、ティーダは長年もやもやしていた思いを清算する。

そして、先ほど紹介したバックハグのシーンの直後。ティーダが飛空艇から飛び降りた後、あの世的な描写でジェクトの元に行き、互いにハイタッチする。(さっきの動画参照)


なんというか、この時ハイタッチのポテンシャルを思い知らされた。握手でもハグでもなく、ハイタッチだからこそのカラッとした明るさ。
ティーダが消えて終わるだけだったら、じめっとした雰囲気で終わっていたと思う。ハイタッチには全てをチャラにするポジティブさがあるらしい。

ここで、アーロンの冒頭の台詞を振り返りたい。

覚悟を決めろ
ほかの誰でもない
これは お前の物語だ
『FINAL FANTASY Ⅹ』より

てっきり「覚悟」というのはスピラに行く覚悟だと思っていたんだが、結末を知ると別の意味が浮かんでくる。アーロンが言っているのは、これから知る世界の真実を受け入れる覚悟のことだったのかもしれない。

そして、ティーダが祈り子に作られた存在だったとしても「お前の人生はお前のもの」と言いたかったのではないか?更にそこで「物語」と言ってるところがいい。「人生」だと個人プレー感があるけど、「物語」は人との関わりが想像できて、温かみがある。
アーロンはティーダに敢えて最初から全て教えずに旅をさせてきたことからも、ティーダの存在を尊重していた。無口でニコリともしないし顔怖いけど、人情に厚い男なのだ。

長々と語りすぎてしまった。FF10は泣けると言われているのだが、ところどころにキャラクターの前向きさがあるところが最高なのだ。ただの感動の盛り合わせではない、刹那的な希望とのバランスが計算された絶品ゲームなのである。

そして、歌舞伎になるらしい

今度、FF10の歌舞伎をやるらしくもちろんチケットを取った。だからおさらいも兼ねてこの記事を書くことにしたんだが、以前から一つ気になることがある。
CMの1番最後、ティーダが怒っている表情のところ。

これはたしか、シーモアがユウナにねっとりキスをした時の顔だったと思うのだけど、なぜこのシーンを入れたのだろうか。見得を切ってる風なことなのか?何にしてもどんな歌舞伎になるのか楽しみである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?