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【町内会 顛末記】町内会を殲滅し廃墟の中から真実の自治組織の出現を待とう 4

  ここで町内会なるものの「神話」をひもといておきたい。その高邁なる成り立ちについて、まず Wikipedia から引く。

 元々は1937年の日中戦争の頃から日本各地で組織され始め、大政翼賛会下の1940年9月11日内務省訓令第17号「部落会町内会等整備要領」により国により正式に整備されることとなった。

 この中で、市街地には町内会、村落には部落会を組織し、「住民ヲ基礎トスル地域的組織タルト共ニ市町村ノ補助的下部組織トス」との役割が位置づけられた。また、従属組織として10戸前後を単位として隣保班(隣組)も置かれた。

 さらに1943年の法改正により、市区町村長は「町内会部落会及其ノ連合会ノ長ヲシテ其ノ事務ノ一部ヲ援助セシムルコトヲ得。」と規定され、法的にも明確に市区町村の従属組織となった。これらは戦時体制の維持に大きな役割を果たした。

町内会(Wikipedia)


 『部落会町内会等整備要領』第一条に、その目的が記されている。

第一 目的

一 隣保団結ノ精神ニ基キ市町村内住民ヲ組織結合シ万民翼賛ノ本旨ニ則リ地方共同ノ任務ヲ遂行セシムルコト

二 国民ノ道徳的錬成ト精神的団結ヲ図ルノ基礎組織タラシムルコト

三 国策ヲ汎ク国民ニ透徹セシメ国政万般ノ円滑ナル運用ニ資セシムルコト

四 国民経済生活ノ地域的統制単位トシテ統制経済ノ運用ト国民生活ノ安定上必要ナル機能ヲ発揮セシムルコト

部落会町内会等整備要領 1940(昭和15)年


「隣保団結の精神」「万民翼賛の本旨」「道徳的錬成と精神的団結」「地域的統制単位」「国政万般の円滑なる運用に資せしむること」・・ 思わず引いてしまうような、こうした軍人勅諭にも似た言葉の数々が当時の戦時体制をよく表わしている。目線は「国民」ではなく「国家」である。

 ちなみに「隣組」(作詞:岡本一平(※岡本太郎の父)、作曲・編曲:飯田信夫、歌:徳山璉)の歌がNHKラジオ『國民歌謡』で放送され、戦場での恩寵煙草を歌った「天から煙草が」(作詞:北原白秋、作曲:飯田信夫)とのカップリングで発売されたのも同じ年だ。


 新潟青陵大学の平川毅彦氏(社会福祉学科 福祉心理学)は『「部落会町内会等整備要領」(1940年9月11日、内務省訓令17号)を読む : 地域社会の「負の遺産」を理解するために』のなかで次のように記している。

 敗戦後の1947(昭和22)年1月22日、内務省訓令第4号によりこの要領は廃止、次いで日本国憲法が施行された同年5月3日、「政令第15号」により部落会・町内会には解散措置が下された。戦争協力組織としてのレッテルを張られ、財産の処分や役職者の就職禁止措置がなされた。

(中略)

 サンフランシスコ講和条約締結後の町内会復活を巡る論争と町内会再評価、高度経済成長期とその反省を背景とするコミュニティ形成論、要支援当事者個人を中心として専門的サービスの提供と地域住民による間接的支援
からなる「福祉コミュニティ論」、そして今日、社会福祉法の基本理念にうたわれた「地域における福祉の推進」へと至る道筋で、「部落会町内会等整備要領」は常に亡霊のようにまとわりついてきた。この問題をどのように清算したら良いのか。

(中略)

 このようにして、農村部と都市部との差はあるものの、国家戦時体制の末端組織として部落会・町内会は組織され、生活全般への管理手段として地域社会は位置づけられた。そして部落会・町内会は、地域社会運営にあたっての長い歴史をそのまま背景としているのではなく、戦時体制という歴史の局面において整備・形式化されたものとして理解されるべきものである。

(中略)

 全ての地域社会が、この訓令に従って組織化されたのか否かについては検証の余地がある。また、こうした戦時体制下の課題に基づいて行われた部落会町内会の組織化・制度化を、地域社会の「1940年体制」としてとらえ直し、地域社会運営の連続性として今日に至るまでの意義について考察する必要もある。

 しかし、ポツダム宣言受諾による戦後処理の一環として、こうした地域社会の組織化のあり方が、「負の遺産」として位置づけられている歴史上の事実を拭い去ることは出来ない。今日における地域社会への安易な期待の戒めのため、「部落会町内会等整備要領」は読み込まれなければならない。

「部落会町内会等整備要領」(1940年9月11日、内務省訓令17号)を読む : 地域社会の「負の遺産」を理解するために(平川毅彦 2011)


 自治会組織について、いろいろと調べている中で、こんな興味深い本も見つけて古書で入手した。

溝口正『自治会と神社 「町のヤスクニ」を糾す』(1975)

 浜松の盲学校の教師であったクリスチャンの著者は、転居先の町内会が町内の神社と一体化し、自治会会則に「氏子総代を置く」旨が明記され、自治会主催で神社の祭典が催され、祭祀費が自治会費から計上されていることなどを非難し、最終的に「政教分離原則侵害違憲訴訟」を1974(昭和49)年に静岡地裁に住民訴訟を起こした。

 これはその顛末を原告者自身が記したものであり、巻末に訴訟関連の資料をまとめた貴重な記録となっている。

「神社(特定宗教)とゆ着する自治会への公金支出」及び「遺族会への靖国神社参拝に対する補助金支出」は、ともに憲法二〇条・八九条に定められている信教の自由、政教分離原則に完全に違反するため、浜松市監査委員会に、これらの公金支出を停止するよう住民監査請求をしましたが、市の弁護機関に過ぎない監査委員会は「違法かつ不当であるとは認めない」と、全面却下したため、これを不服として請求者八名が原告となり、このたび静岡地裁に住民訴訟を起こしました。(後略)

 この訴訟の背景には歴史への反省があった。「戦前のわが国で政教分離の原則が確立しておらず、そのためあの無暴(謀)な戦争をするようなことになった反省からです。そして、その中心的役割を果たしたのが靖国神社であったのです。」と述べ、「今や日本全体が、戦前の状態に逆戻りしようとして急速に動いている」という現状分析に基づいている。

浜松市史 五
第三章 産業と文化の調和した都市へ
第四節 宗教・倫理
第三項 宗教と自治会
政教分離の確認

 上記アーカイブにもあるが、当時は「靖国神社を日本政府の管理下に移し、政府が英霊を慰める儀式・行事を行い、その役員の人事は国が関与し、経費の一部を国が負担及び補助する事を規定した」靖国神社法案が自民党により提出され審議・廃案を繰り返していた頃でもあり、原告団による訴訟はそれらの動きとも連動している。1970年という時代背景、また著者の若干時代がかった語りの妙味もあるのだけれど、照射の深度は深いところへ達しているように思われる。

 印象的な場面を多少長くなるが引用する。自治会の役員会に対して問題点を根気よく説明し続けていた著者がある夜、突然役員会から呼び出されて「つるし上げ」を受ける場面である。

 私は時きたれりとばかり、説明資料をかかえて出掛けたが、役員会は私の説明を聞こうとする耳を持っていなかった。私をつるし上げる体制を整えて待機していたといってよい。ここで私に浴びせられた言葉は、今日の日本社会の実態をよく表わしていると思われるので、紹介してみよう。

 まず「この町に住んでいながら生意気だ」と言うのである。こんな低俗な発言を、70名近い役員の中で、誰一人たしなめる人のいないことは、悲しむべきことであった。

 また「神社の境内に公民館や子供の遊び場を借りているから、町民として祭りぐらいするのは当然だ。それとも、あんたが、どこかに土地を買って、公民館や遊園地を作ってくれますか。できもしないくせに、町と神社を切り離せなどと、大きな口をたたくな」。これも討論にならなかった。もし借りているなら、借地・借家料を払えばすむことではないか。

 また「お前の子供も、幼い頃にはお宮へ菓子を買いに来たではないか、文句を言うな」と。これには私も苦笑してしまった。長い年月の間に、「イエスさまの組だもの」と言った子供たちも、私の目のとどかないところで、あるいは、そんなことをしたこともあったのかもしれない。私は頭をかきかき、その言葉を過ぎ行かせた。

 また「氏神だけではなく、どの宗教の世話も公平にすればよいわけだろう。私は公平にやってやる。だから、お前も氏神につき合え」と。宗教とは何か、神を信ずるとはいかなることか、それが人間の救いにかかわる生命がけの問題であることが、少しもわかっていないのである。あらゆる宗教につき合うことができると考えているのだから、信教の自由など問題にならないのは当然かもしれない。

 また「新聞へ公開するのは町の恥になる。それだけはやめよ。そういう脅迫はよせ」と。彼らは公開討論を恥と考え、何が正しいかを求めようとしないで、外部からの批判を極度に恐れる。

 ただ一つ反論らしいものを取り上げれば、「自治会は公共団体ではない。任意団体であるから、氏神の祭りをしても憲法違反ではない」という発言である。自治会は神道の信者だけの組織ではないから、もちろん、これも誤っている。

 最後に紹介しなければならないのは、「神社の祭りに反対するような奴は日本人じゃない」という言葉である。「全くだ!」というような低いどよめきが会場にあった。この発言を聞いた時、私は出るべきものが出たと思った。町のヤスクニの正体がここにある。ざわめきの中で、神社神道こそ日本人から人間性を奪い、軍国主義と結んで侵略戦争をおこした戦犯ではないかと反論したが、会場はもはや討論のできる場所ではなかった。ただ一人「溝口さんの言っていることは正しいなあ」と、乾いたような声で叫んだ人がいたが、その人を確認することもできない状態であった。

 要するに役員会の大勢は、現状肯定、現状維持、大勢順応である。憲法よりも、基本的人権よりも、信教の自由よりも、地域社会の生活、伝統、慣習の方を重視するのである。この精神的風土こそ、氏子制度を中心として育まれてきた、日本的な共同体意識ではないだろうか。

溝口正『自治会と神社 「町のヤスクニ」を糾す』(1975)

 先の戦争の反省に拠って立つ著者は、気の短いわたしなどには到底真似できない根気と粘り強さで、自治会という「ヤスクニの亡霊」に対しながら、またこんなことも記している。

 当時(四十四年頃)、私の考えたことは、自治会から脱会して自分の信仰の純潔(自由)を個人的に確保するのは、比較的簡単であるとしても、それで問題が片づいたことにはならない。

 より重要なことは、自分の所属する自治会を、信教の自由の確保される、正しいあり方に改善して、町内隣人とのまじわりを守っていけるようにすることの方が、問題の本質に触れているのではないか。すなわち、個人的解決をはかって、社会的解決をそのまま放任するのではなく、むしろ、社会的解決を実現して、同時に個人的解決がもたらされるようにすることが、憲法二十条の精神を真の意味で生かすことになるのではないか、ということであった。

 私はこの不当な自治会体制の中に、あえて留まり、改革の努力を続ける覚悟を決めたのである。

溝口正『自治会と神社 「町のヤスクニ」を糾す』(1975)

 著者ら原告団による訴えは最終的に、自治会側が大幅に譲歩する「覚書」を交わすことによって取り下げられた。浜松市自治連合会は政教分離の方向で改善することと決議し、著者の自治会は町内会会則に於ける「氏子総代」を廃止した。勝利と言っていいだろう。

 溝口氏のこの『自治会と神社 「町のヤスクニ」を糾す』はある意味、自治会と一体化した神社との闘いであるが、同時にそれらを容認し自治会を行政の末端組織として体よく利用している行政があり、そこにかれの言う「現状肯定、現状維持、大勢順応」の人々がぶら下がり、そこからはみ出そうとする者に「非国民」のレッテルを吐きかける光景はわたしには、たとえば映画監督の伊丹万作が敗戦の翌年、亡くなる直前に 『映画春秋』創刊号に寄稿したエッセイ「戦争責任者の問題」を思い起こさせる。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。

伊丹万作「戦争責任者の問題」(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)


 まったくうまく言ったもので、まさに町内会こそ隠れた「町のヤスクニ」であり、その神話をひもとけば数百万の死者と焦土をもたらした鵺の死骸の腐臭がする。国家戦時体制の末端組織として出発した町内会は、戦後77年を経た現在も、その怪物の尾を切れずにいるキメラのようなものなのかも知れない。


以下の内容で、連載中です。
第一部 【町内会 顛末記】自治会長というのをやってみた
第二部 【町内会 顛末記】町内会を殲滅し廃墟の中から真実の自治組織の出現を待とう
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