ここで町内会なるものの「神話」をひもといておきたい。その高邁なる成り立ちについて、まず Wikipedia から引く。
『部落会町内会等整備要領』第一条に、その目的が記されている。
「隣保団結の精神」「万民翼賛の本旨」「道徳的錬成と精神的団結」「地域的統制単位」「国政万般の円滑なる運用に資せしむること」・・ 思わず引いてしまうような、こうした軍人勅諭にも似た言葉の数々が当時の戦時体制をよく表わしている。目線は「国民」ではなく「国家」である。
ちなみに「隣組」(作詞:岡本一平(※岡本太郎の父)、作曲・編曲:飯田信夫、歌:徳山璉)の歌がNHKラジオ『國民歌謡』で放送され、戦場での恩寵煙草を歌った「天から煙草が」(作詞:北原白秋、作曲:飯田信夫)とのカップリングで発売されたのも同じ年だ。
新潟青陵大学の平川毅彦氏(社会福祉学科 福祉心理学)は『「部落会町内会等整備要領」(1940年9月11日、内務省訓令17号)を読む : 地域社会の「負の遺産」を理解するために』のなかで次のように記している。
自治会組織について、いろいろと調べている中で、こんな興味深い本も見つけて古書で入手した。
浜松の盲学校の教師であったクリスチャンの著者は、転居先の町内会が町内の神社と一体化し、自治会会則に「氏子総代を置く」旨が明記され、自治会主催で神社の祭典が催され、祭祀費が自治会費から計上されていることなどを非難し、最終的に「政教分離原則侵害違憲訴訟」を1974(昭和49)年に静岡地裁に住民訴訟を起こした。
これはその顛末を原告者自身が記したものであり、巻末に訴訟関連の資料をまとめた貴重な記録となっている。
上記アーカイブにもあるが、当時は「靖国神社を日本政府の管理下に移し、政府が英霊を慰める儀式・行事を行い、その役員の人事は国が関与し、経費の一部を国が負担及び補助する事を規定した」靖国神社法案が自民党により提出され審議・廃案を繰り返していた頃でもあり、原告団による訴訟はそれらの動きとも連動している。1970年という時代背景、また著者の若干時代がかった語りの妙味もあるのだけれど、照射の深度は深いところへ達しているように思われる。
印象的な場面を多少長くなるが引用する。自治会の役員会に対して問題点を根気よく説明し続けていた著者がある夜、突然役員会から呼び出されて「つるし上げ」を受ける場面である。
先の戦争の反省に拠って立つ著者は、気の短いわたしなどには到底真似できない根気と粘り強さで、自治会という「ヤスクニの亡霊」に対しながら、またこんなことも記している。
著者ら原告団による訴えは最終的に、自治会側が大幅に譲歩する「覚書」を交わすことによって取り下げられた。浜松市自治連合会は政教分離の方向で改善することと決議し、著者の自治会は町内会会則に於ける「氏子総代」を廃止した。勝利と言っていいだろう。
溝口氏のこの『自治会と神社 「町のヤスクニ」を糾す』はある意味、自治会と一体化した神社との闘いであるが、同時にそれらを容認し自治会を行政の末端組織として体よく利用している行政があり、そこにかれの言う「現状肯定、現状維持、大勢順応」の人々がぶら下がり、そこからはみ出そうとする者に「非国民」のレッテルを吐きかける光景はわたしには、たとえば映画監督の伊丹万作が敗戦の翌年、亡くなる直前に 『映画春秋』創刊号に寄稿したエッセイ「戦争責任者の問題」を思い起こさせる。
まったくうまく言ったもので、まさに町内会こそ隠れた「町のヤスクニ」であり、その神話をひもとけば数百万の死者と焦土をもたらした鵺の死骸の腐臭がする。国家戦時体制の末端組織として出発した町内会は、戦後77年を経た現在も、その怪物の尾を切れずにいるキメラのようなものなのかも知れない。
以下の内容で、連載中です。
第一部 【町内会 顛末記】自治会長というのをやってみた
第二部 【町内会 顛末記】町内会を殲滅し廃墟の中から真実の自治組織の出現を待とう
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