読書ノート『能力で人を分けなくなる日』
著者の最首悟さんは87歳になる。妻の五十鈴さんと、重度の障がいをもつ娘の星子さんと三人で暮らしています。
障がいによって「目が見えない」ということや「しゃべらない」ということは、ないことではなく、もっていることだとおっしゃっています。
人間には「人が人といる場所」という意味があります。
◇ 心に響いたはなし
「聴す」は「ゆるす」と読みます。
心を開いて聞くという意味があり、意識を弛緩させてぼーっとあいての話を聞くことです。
心がゆるんだ状態で聞いていると、あいてもリラックスしてくる。そうすると、たがいに心がひらけてきます。
不思議と話しやすい人は、ゆるんだ状態なのですね。
「傾聴」は反対だなと思いました。
傾聴は、あいてに意識を集中して熱心に聞くことです。
弛緩とは対となる「緊張」した状態といえます。もちろん悪いことではありませんし、必要なときも多いでしょう。
◇感想
たまたま健常者として生まれただけ。たまたま社会生活に支障がなかっただけ。それだけで運がいいのだと思います。
偶然、障がいのない体で生まれただけなのです。
そんな健常者の中にいても、能力としての上下や有無を、容赦なく突きつけられます。
障がいがなくたって、社会生活に支障をきたす人も多くいます。
事故や怪我、病気になって障がいのある体になる、あるモノがなくなったら、どういう気持ちで生きていくことになるのでしょう。
きっとそのときにならないと理解できません。
40歳になってすこしわかったことがあります。歳をとること、老化していくことは、できたことが少しつづできなくなることです。
よく老人は社会のお荷物と、「働かざる者食うべからず」といわんばかりに邪険にする人がいます。
それでいいのかな、と思うのです。
社会とは共同体であって、互助会のような役割をもっています。あたりまえのように、自己責任を他人に求める社会になれば、能力を失った者は死ぬしかありません。
事故や怪我、病気になり、障がいを持つ者となった自分になんて言いますか?
老いて動けなくなった自分になんて言いますか?
人に優しくすることは、巡りめぐって自分のためになります。
能力で人を分けなくなる日が訪れてはじめて、人は人間になったと言える気がします。
創元社:2024.3.27
単行本:160ページ
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