古本を味わえるのは紙だけ
お気に入りの本は、大切に読みたい。本棚に並んでいる本はきれいな状態で保管したい。売るにしても、次の持ち主にもきれいな状態で手にとってもらいたい。
本を雑にあつかうことは、自分にはどうしてもできない。
だからこそ、本を雑にあつかえる人に憧れる。
古本屋に並んでいる汚い本をみているとワクワクする。
ベタベタ、ぬるぬるするカバー。
日焼けして、色が蒸発したカバー。
ダメージ加工がされたカバー。
千切れかけの帯。
ページがワープする折り目。
一見きれいなのに、なぜか臭い風が吹く。
謎のシミや、カリカリのなにかを内包している。
濡れたのかな、太っている。
こう書くと、汚い本が好きみたい。
好きではないけれど、憧れがあるのでたまに買う。
すこし強くなった気がする。
本を傷めることのできない小心者が、痛めつけられた本を携えている。ただそれだけなのに。
そんな私は差別をする。それはもうあからさまに。
きれいな本。
大切な本。
お気に入りの本。
これらは本棚で余生をすごすことになる。たまに取り出してはパラパラめくる。ときにはガッツリ読む。
逆に、汚い本は平積み山盛りとなっていく。読みおわったら誰かに譲るか、古本屋へ売りにいく。
電子書籍では味わえない、紙の本の醍醐味といっていい。
古本とはある意味で、知らない人と時間を共有していることになる。
なにを思い、どう感じて、どのように過ごしたのか。私が知る由もない事実を、この汚い本は知っている。
私の人生のひとときを刻んで、見ず知らずの誰かに渡る本を、愛おしく思う。