Marcy's movie garage 抗○映画は海を越え『RRR』
毎度お馴染み。ゆとり世代の映画レビュー、Marcy's movie garageでございます。
さて、今回は巷で若干話題になってるインド映画『RRR』について。様々な映画を観ておきながらもここらへんのジャンルには疎く、「どうせ歌って踊って愉快な映画なんだろうな」という、ボリウッドに対して偏見丸出しの印象を少なからず持っていたため、この映画にはかなり面を食らった。3時間の大作ながら、むやみやたらに踊りの描写があるわけでもなく(もちろん踊りのシーンはあるが、エンディング以外は自然な流れだった)、それでいて動きのあるクライマックスが何度も続くようなシーンに思わず息を殺して見てしまった。
また、本作における英国の鬼畜な描かれ方も観ていて新鮮だった。無責任な言い方をすると「インドによる抗英映画」とも捉えられてしまいそうなくらい、イギリスが「悪」として描かれている。
舞台となっている時代の英国は現代にまで悔恨を残した二枚舌外交をしていたり、後世から見ても非道な政治をしていた。しかし、ハリウッド映画では「絶対的正義」として描かれることの多い英語圏の国が悪役として描かれているというのは珍しいように思う。
これまでの映画(それは主にハリウッドでよく見かけられる光景だったが)の悪役は大抵、ナチスやソ連、そして日本軍であり、それ以外の非英語圏は無知の者として描かれていることが多かった。事実、そうした第三世界への「俺たちが上であり、未開の地の無知な人間をわからせる」という米英の姿勢は20世紀の途中まで維持されており、『RRR』に出てくる英国人は露骨なまでに特権階級丸出しの態度をとっていた。映画の二人の主人公も、英国紳士たちにそんな態度をとられるわけだが、踊りで英国紳士を打ち負かしている。そういう日常的?なシーンから、「太陽の沈まぬ国」イギリスへの対決に繋がる描写は、アジア人的視点から見て、正直痛快なものだった。
その一方で、これはプロパガンダのようにも思えた。中国による抗日映画を馬鹿馬鹿しいと思っていた僕が同じアジア圏で作られた抗英映画に魅せられてしまっている、というのは少し考えれば恐ろしいことであるように思う。抗日映画とRRRの両者間には言うまでもなくクオリティの差がある。しかし、クオリティの差だけが魅力の差に繋がるのだろうか?白人に虐げられるアジア人の描写に心を痛める自分の中に無意識なアイデンティティを自覚させられた。
物語の主人公、ビームとラーマはそれぞれ違う民族出身で違う人生を歩んできた。生まれも育ちも経歴も異なる二人が友情で結ばれ、引き離され、それでも一つになって英国に立ち向かう。時代が時代なら、敵国に対する見事なプロパガンダとして成り立つだろう。歌って踊って愉快な映画だろう、なんて先入観を持ってしまったことが恥ずかしい。もっとも一昔前の、(名誉白人なんていわれていた頃の)日本人みたいな偏見を持ってしまっていた。インド系ヒンドゥー教徒がイギリス首相の現在にこの映画が流行ったのは偶然なのか否か、というのを熱狂から冷めた今、極東のさらに端で考えている。
最後に
スコット総督役のレイ・スティーブンソンが亡くなったそう。映画を観て数週間しか経っていない状況での出演者の訃報はショックがより大きい。