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「3.11」 と わたし Vol.1 「どこか遠くの国で起こっている戦争」みたい

花卉農家 小原 健太さん

震災から10年の節目、
飯舘村に様々な立場から関わる人々が語る
自分自身の10年前この先の10年


第一回目の主人公は、花卉農家になるために
会社員を辞め、自宅マンションも手放して、
昨年5月、埼玉県さいたま市から
ご夫婦で飯舘村に移住をした小原健太(おばらけんた)さん。

脱サラ後、ゼロから農家を目指す姿を積極的に発信しながら
人脈作りやハウスの建設などを日々進めています。

営業マンとして順風満帆であったはずの彼が、
新たな人生をスタートする舞台として飯舘村を選んだのはなぜか。
就農経験なし、かつ全く縁のない土地で農家を目指すという、
一見無謀にも思える道を切り拓き突き進む彼がいま、
飯舘村に懸ける想いとは。


「どこか遠くの国で起こっている戦争」みたいな感覚

震災当時は、東京で印刷会社の営業マンをやっていました。
地震の瞬間は、車中だったからなのか、
そこまで揺れなくて「まぁまぁ大きい地震だな」
くらいの感じでした。

数週間はいろいろ混乱していたものの、
自宅は会社から徒歩圏内だったし、
一時ガソリンが品薄だったことを除けば、
食料や生活雑貨も潤沢で、
生活の不便はほとんど感じませんでした。

新聞やニュースで目を覆いたくなるような惨状が報道されても、
自分はいつもと変わらずパソコンをカタカタしてる。
家に帰れる。水も出る。電気も付く。ご飯もある。
なので正直、東日本大震災で
「考えたこと」「考えさせられたこと」は、
当時ほとんどありませんでした。
「どこか遠くの国で起こっている戦争」
みたいな感じです。

小原さん新旧比較

会社員時代の小原さんと現在の小原さん

本音を言えば…

今は、福島県相馬郡の飯舘村に住んでいます。
公式には人口5000人くらいですけど、
実際に住んでるのは1300人くらいです。
避難してまだ戻って来てない人が、
まだまだたくさんいます。
限界集落の中の限界集落です。
41歳で仕事を辞めて、
35年ローンのマンションも売って、
限界集落に移住してきました。
典型的な「都落ち」です。(笑)

なぜ飯舘村を選んだかというと、
原子力被災 12 市町村支援事業という
農業関係の助成金を利用するためです。
必要な資金の75%が助成されます。

正直な話、
助成金を使えれば、別に飯舘村じゃなくてもよかった。
これが当時の本音です。
出荷組合の部会⻑が聞いたら絶対に怒りますね。
でも今は心から飯舘村でよかったと思います。
これが今の本音です。
スーパーはないし、コンビニは20時に閉店しちゃいますけどね。


農業をもっと身近に、選択肢のひとつに

これからの10年、なにをやりたいかといえば、
それはもちろん農業ですよ。
貯金とマンション売ったお金をすべて投資したわけですから。
「農地を決めないで移住するなんて無謀です」
最初はそう言われました。
農地がなかなか決まらなくて、
諦めかけた時期もありました。
役場の偉い人に事業計画のダメ出しを
何度も何度もされました。

でも諦めずにここまで来れたのは、
地元の方々の温かい支えがあったからです。
役場の方々、飯舘村の方々、地元農家の方々、
先輩農家の方々、地域おこし協力隊のみんな
一人一人の顔が思い浮かびます。
本当に感謝しています。

間もなくビニールハウスが完成します。
そして今年7月が出荷予定です。
無謀だった計画も、先が少し見えてきました。
今は自分が成功して、
「飯舘村を花卉の産地として盛り上げる」
それが一番の恩返しだと思っています。
そして農業がもっと身近に、
職業の選択肢のひとつになるように、
10年後もここで花を育てていたいです。

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