中学校では中学生なりに、高校では高校生なりに親も向き合う問題が目の前に現れる。
なんかちょっと吹っ切れたのか
昨日に続いて記事を書いてみる。
私のサポートの目標は いづれはわたしのところのサポートを受けなくても大丈夫なようなくらいまで発達援助するということです。
だから、節目で子どもたちは元気に巣立っていく。
卒業していく。
みんなと一緒に混ざっても過度な配慮を受けずとも同年齢の子たちと一緒に学び、楽しい毎日を過ごすことが出来るようになって・・・。
が、こんなに長くサポートを続けていると
時々、戻ってくる。
サポートを必要として・・・。
大抵の相談ニーズは 学校の教科学習の指導サポートとである。
集団指導の塾や通常の塾などでは、彼らの個性を理解した指導にはならないことが多いため、特別なニーズをもって依頼が来るのだ。
もちろん、そうではなく保護者の方の子どもとの関わりや子どものこれからについての相談の場合もある。
少子化となった日本はそれぞれの家庭で育児する子どもの数も明らかに減っている。一人っ子という家庭も少なくない。
そうすると、子どもの発達度合いや成長具合を比べる相手がいない。
一人っ子であったり、二人子どもがいても異性であればこれまた全く違う育ちになることも多いため、比較ができない。
必然的に不安になる。
本来、子どもは勝手に育っていくものである。
かつてはそんな時代もあったように思う。
一人の子どもを取り巻く環境は一つではなくいくつもあり、
関わる大人も大勢いた。
そ、社会が家族と一緒になって子どもをコミュニティーで育んでいた。
いつの間にか核家族が多くなり、関係性が希薄になり、必要以上に他人が子どもたちに関われなくなった。
そして、子どもの節目節目で不安になる。
これで良いのか?と
どうしてあげたら良いのかがわからなくなる。
子どもが幼い頃なら、たくさんの育児書が出ていたり、
子育てに関わるサークルがあったりと少なからず、同じような親子と繋がる機会があるのだが、それが、思春期以降の中学生になったり、高校生になったりすると親どうしが繋がる機会もほとんどなくなってくる。
そうなると何が正しいのか正しくないのかが全くわからなくなってくるのです。そもそも教育に正解はないのだが、子どもの可能性を拓く環境を整えなければ、せっかくの才能も無駄にしてしまうことになり、親としてはそれは避けたいと思うのは当たり前ですね。
このことは、子どもに発達上の問題があってもなくても同じです。
そういうわけで、子どもの発達援助を仕事にしていて
たくさんの子どもの発達や育ちをみている私に相談や指導依頼が、時を経てやってくることになるのです。
子どもが小さい時の様に単純ではなく
また、お母さんたちがそだった時代とも違い、
今を生きている子たちが思春期に何を思い、どう学ばせていくのか?
そんな相談が最近は多くなってきた。
そして、結構その答えはシンプル。
社会で生きていく、社会と関わり生きていく。
それを実現するためにどう育てていくか?ということである。