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【同性愛】 ちょっとの変化でも良いから


 私は女性で、それでいて女性が好き。

なのに、雑誌の恋占いなどを何気なく見ていても「彼との関係」「恋愛に発展する素敵な男性との出会い」なんて文字を目にする。この世界ではまだまだそれが "当たり前" で、それが "普通" なのだけれども、あ、自分には当てはまらないなとすぐに雑誌を閉じる。そして自分のなかで渦巻く色んな気持ちを落ち着かせようと遠くを見つめる。いつも、これの繰り返し。大人になってもう慣れっこな部分は大いにあるけれど、やはり時代はまだまだ追いついていないんだな、と感じてしまう。




せめて 「 恋人 」 とか 「 パートナー 」 にしてほしい

 べつに、単語が異なるだけなのだから脳内で「彼との関係」を「彼女との関係」に変えて読んだり、「素敵な男性」を「素敵な女性」として捉えたら良いのでは? と思われてしまうかもしれません。でも、私が遠い目をして物思いに耽ってしまうのは、単語が異なっていることだけに対するものではなくて、その背景にあるものを考えてしまうからです。



だって、正式な出版物である雑誌の恋占いなどの場合、まずはそれを執筆した人がいて、本人以外の人による推敲がなされて、さらには編集がされて……etc なんて多くの人が携わっているはず。そんなに複数の人のフィルターを通してもやっぱりそこには誰も引っ掛からなかったんだ、っていう事実が寂しいというか悲しいというか、昨今で話題に上がっている多様性とは一体? と思ってしまうから。



毎回、目の当たりにしたときは「あぁ、やっぱりか」と感じて、恋愛 = 男女 という逃れられない当たり前をいつも目の前に突きつけられる感じというか、「当たり前」の範囲からポーンッと弾き出されるような感覚がある。この時代なのだから、せめて性別を特定しない「恋人」とか「パートナー」という表記にしてくれたら、もっとストレスなくスムースに読めるのに、なんて考えてしまう。




メインビジュアルに載る 「理想の家族像」 

 よく企業や製品のメインビジュアルだったり、イメージ画像ってどこかしこで目にすると思うのですが、あれって本当に典型的な「理想の家族像」しかない場合がほとんどで。おじいちゃんがいて、おばあちゃんがいて、お父さんがいて、お母さんがいて、子どもがいてっていう。

フリー画像サイト「写真AC」で『家族』と検索してヒットした写真


いっつもそんな写真を見ながら、いやいや私こそ見た目に囚われた固定概念を持ってしまっているのかも? もしかしたら全員セクシャルマイノリティの可能性だってあるもんね、なんて思いながら可能性を探ってみたりすることもあるのですが……。



「 理想って、なんでしょう? 」 

 実は、私自身も仕事でこういったメインビジュアルに使用する写真の選定会議に参加したことがあります。そこには外部からの出版、広報、マーケティング担当の方々などが多く参加していて、色んな立場からの意見を伺いながら、私もその場で写真選定を行っていました。


会議が進むなかで「理想の家族像」を表現するような写真を使用したいという流れになり、内部の担当者が上記のような写真を候補として挙げてきて。私自身は「う〜ん」と思いつつ、他の候補写真に良さげなものはないか見ていると、すかさず外部の出版担当の方が「理想の家族って、この写真だけでは表現できないと思います。男女だけではなくて、性別や人種も……」っていう発言をしてくださって。「そもそも、理想ってなんでしょう? どこの誰を基準にしたものなのでしょうか」と、そこからどんどんと議論はヒートアップしていきました。


そこにはペルソナをハッキリとさせたいという相手側の意向などもあったのだろうけれど、性的少数者の私にとっては今でもこうやって覚えているほど、とても嬉しく感じた出来事でした。その方に内心で拍手を送りながら議論は終わりを迎えて、上記のような写真が使用されることは免れました。


LOVE IS LOVE


結局、たった一枚の写真で多様性を表現するのは難しいという結論になり、様々な人種や性別を含んだ多様な写真がコラージュ形式で採用されることに至りました。



見えている 「世界」 が異なる

 これは私の個人的な意見ですが、マジョリティの人たちと私が見ている世界は全く異なっているんだろうなぁと思います。

見るもの、聞くもの、手にするもの、なに一つとっても、自分には当てはまらないことの方が圧倒的に多い。物語でも、人との会話でも、街でも「当たり前」が溢れていて、そのどれもが私には当てはまらない。

上記で書いた雑誌の恋占いですら、イメージ写真ですら、マイノリティな自分はいつも想定されていない。


いっつも恋愛は男女で行われている。それは映画でも、ドラマでも、小説でも、マンガでも、歌ですらそう。この世に溢れている娯楽は、ほとんど楽しめない。マイノリティのマイノリティを範囲に入れたものは、なかなか見つけられない。「おっさんずラブ」はあるけれど、「おばさんずラブ」はない。


ちょっとの変化でいいのに。大勢のグループでワーッ! っと盛り上がっている際に、仲間外れにしてしまっている人はいないかと、ふと見渡すような一瞬があるだけでもいい。輪に弾かれてしまって、輪の外側で一人ポツンと立っている人に対して、ちょっと声をかけるような感じで。仮に声をかけずとも、「そこにいるんだね」と目を合わせるぐらいの些細なことだけでも、大きく救われることもあるのに。

「彼氏」を「恋人」という表記に変えたり、色んな人がいることをフワッと考えてくれたのかな、という写真やイラストが使用されることがもっともっと増えていってくれたら嬉しい。


もっともっと時代が進んでいったら、どんなふうに進化していくのだろう。
「当たり前」の範囲や可能性がさらに広がっていってくれたら良いな。

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