【同性愛】 カミングアウトがない時代
26年間生きてきて、自分がLGBTQ +の「 L 」で、同性が好きだと打ち明けたことがあるのは人生でたったの一度だけ。しかも打ち明けた唯一の相手は、仕事として話を聞いてくれる人(キャリアカウンセラー)でした。
セクシャリティを公表したら、 どんな気持ちだろう?
現段階で思い描いているキャリアや人生の将来像を語る上で、どうしても「将来は同性のパートナーと暮らしたい」という意思を隠さずに話せられないと思って、その人にありのままに話しました。「男性になりたいわけではなく、恋愛対象として同性が好きなんです」といったことまで説明して。そしたら、もちろん否定されることもなく、ありのままに話を聞いてくれて、ここで話してくれたことは絶対に口外はしないからねと言ってくれてそれはそれで安心しました。でもそれと同時に、一人で帰る道すがら、なんだか心がモヤモヤするというか、いっそ言わなければ良かったかもとも思ってしまったんです。
カウンセリング当日までは、生まれて初めて自分のセクシャリティを人に言ってみたらどうなるだろうか、心がスッキリするんじゃないかなと勝手に予想していたのですが、実は私の場合はそうでもありませんでした。
そこで初めて、私は自分のセクシャリティを公表 or 告白(カミングアウト)したいわけでもないんだなと気がついたのです。
「 カミングアウト 」 というビッグイベント
動画や本などで「カミングアウト」の終始を見たりすると、カミングアウトの仕方も、それに対する反応やかけられる言葉、受け入れるも受け入れられないも千差万別で。カミングアウトとしてこの日に絶対に言うんだ! となれば、もちろん言う側はとっても勇気が求められるし、言われた側もどういう反応が相手にとってベストで、どんな言葉をかけたりすれば良いのか、正直分からないだろうなぁと感じることも多い。とすれば、いずれはカミングアウトというもの自体をする必要がなくなって、それぞれがいろんなセクシャリティを持っている可能性があって当然、ぐらいまで時代が進んでくれれば良いなぁなんて個人的に感じてしまうんです。
もちろん、まだまだカミングアウトというか、性的嗜好を伝えておかないと分かってもらえないことは沢山あるとは思います。たとえば、友だちとの会話でも「彼氏できた?」とか「フリーで良い男性いるんだけど、紹介しようか?」といったことなど。もしも自分のセクシャリティを予め伝えておいたら、そんな言葉をかけられる機会もグッと減るんだろうなと。でも同時に、そんな話題が出た際に相手にとっても気を使わせてしまうんじゃないか、とも私は思ってしまうんです。それなら、変に気を遣わせてしまって距離を置かれてしまうよりも、いつも自分で用意している当たり障りのない回答テンプレートを返す方を選んでしまう。つまりは、セクシャリティを伝えない(カミングアウトをしない)という選択を取ってしまいます。
こういったことを書いていると「ハァ、結局どう接すれば良いわけ?」みたいに思われてしまうかも知れないのですが、それこそコレ!という正解がないから、私もハッキリとしたことは言えません。
ただ、変に気を遣って距離を取られてしまうよりも、私自身が自分の心のなかで予防線を張り続けていた方がいっそのこと楽なのかも知れないな、と思ってしまう。だから自分のセクシャリティをわざわざ公表するのではなく、もういっそのこと何も伝えずに、でもなんとなくグレーな部分を醸し出すような感じで、白黒ハッキリつけないようにしておく、みたいな。だって、まだまだセクシャリティを隠して自分を守る方が良かったりする場面は沢山あるから。
だから、「私は同性が好きです!!」とドストレートに相手に伝えるのではなくて「あれ? この人もしかして同性のことが好きなのかな?」と思ってもらえるような、そんな感じが理想というか(ここまで自分で書いておいてなんですが、周りくどくて難しいですね)
つまり究極の理想を言ってしまえば、〜 ババン!! カミングアウト!? 私は同性が恋愛的な意味で好きです!! 〜 みたいなものをする必要がなくて、全員がフワッと「この人、同性が or 同性も好きなのかな?」 っていう可能性を思い合うような、そんな感覚が個人的には理想に感じるという話です。
「 いま、 恋人いる? 」 という言葉
今から5年ほど前、久しぶりに高校時代の同級生たちと会ったとき、とっても嬉しく感じたことがありました。それは「◯◯って、いま恋人いるの?」という言葉。同級生の一人が私に向けて言った質問だったのですが、私は内心で、あっ、彼氏とか性別を限定してない聞き方!! 嬉しい!! と感じました。さらに、彼氏いるの? という意味を込めた親指を立てるジェスチャーをした次に、彼女いるの? という意味を込めた小指を立てるジェスチャーを私にしてきて。
こっち(親指 = 彼氏)?
それとも、
こっち(小指 = 彼女)? といった感じで。
尋ねられる言葉とジェスチャーが少し違うだけで、「同性が好き」という可能性もちゃんと範囲に入れて尋ねてくれたという、その意図をしっかりと感じ取ってすごく嬉しかったんですよね。
それこそ私の場合は、高校時代に同性のクラスメイトに密かに片思いをしていたこと、恋愛の話を大ぴらに一切しなかったこと、そして見た目がボーイッシュであることなどから、その子はなにかしら感じ取ってくれていた部分が大いにあったのかも知れません。
その自然さが、流れるような受け入れ方が、とても嬉しくて心地よくて。
お互いに変に意識せずとも、そういったことが当たり前になってくれると嬉しいなと感じた出来事でした。
カミングアウトを目の当たりに
私自身もカミングアウトというものに対してずっと思い悩んでいました。というのも、同性が好き = カミングアウトといったように、いずれ通過しなければならないビッグイベントのように何故か感じてしまってたからです。
なので、高校生のときに自分のセクシャリティを自覚したあたりからずっと、両親や親しい友人に対して、一体いつカミングアウトをすべきかなんて思い悩んでいました。やっぱり二十歳になって成人した日? なんて、タイミングを探っていたというか。でもあれこれと思い悩んだ末に、性的嗜好やセクシャリティは流動的なものだし、まだ女性とお付き合いをしたことも無いからと、確信的な気持ちになるまではグレーな部分に置いておこうという決断に至りました。自分ですら自分がよく分からないことが多く、ハッキリとした気持ちが分からないことの方が多かったから。
どんな場面が来ても、とりあえず自分のセクシャリティは隠し通そうと決意していました。そんな決意を固めた時期、私が22歳ぐらいのときに友人の一人がカミングアウトをしてきたのです。
「 私、バイセクシャルなんだよね 」
その友人は、専攻授業の関係から3人で一緒に過ごすことが多かった友だちのうちの一人でした。ここでは分かりやすいように、私、友人1、友人2と呼びます。
次のクラスまでの空き時間、お菓子を食べながら休憩室のような場所でいつものように3人で喋っていたときのこと。話題が一段落して束の間の静かな時間ができたとき、友人1が少しモゴモゴしながら改まってこんな感じで言い出したのです。
友人1:「あの、二人にはちゃんと言っておかないとって前から思ってたんだけどさ」
私&友人2:「 ? 」
友人1:「私……、バイセクシャルなんだよね。だから女の子と付き合うこともあるの」
私&友人2:「そっか、」
友人1:「もちろん男性と付き合うことの方が多いんだけど、でもなんか隠しながら二人といるのも悪いかなって思って」
私:「もし隠してても私は全然悪くないと思う。でも言いづらいことを言ってくれて、ありがとう」
友人2:「勇気を出して言ってくれて、ありがとう。なんか、時代の最先端って感じがするね。私も全然良いと思う。私は同性が好きっていう気持ちは全く分からないけど」
友人1:「あ、でも、これを伝えたことで私になにか気を遣ったりとか、変えたりとかしなくて良いんだけど、そういう話もしたりするかもだから一応ね」
私&友人2:「うんうん。分かった」
友人2:「え、でも同性が好きってことは、私たちのこともそういう目で見てたってこと?(自分の身体を抱きしめるジェスチャー)」
友人1:「いや、二人のことをそういう目で見たことはない!(笑)」
友人2:「ふ〜ん、そっか。……そういえば、◯◯(私の名前)も女優の◯◯さんが好きで応援してるって言ってたけど、もしかしてそういう目と同じ?」
私:「え、女優の◯◯さんに関しては、私はそういう目では見てなくて、なんだろう……女優の◯◯さんに対しては、恋愛感情というよりは憧れというか、ファンみたいな気持ちに近いかも」
友人2:「そっか、良かった。安心した」
私:「……でも、女の人が女の人を好きなのはよくあることじゃない?」
友人2:「いやぁ、私には全く理解できないなぁ。だって身の回りにそんな人いたことないもん」
友人1:「ま、まぁ、私もいま付き合ってるの男性だしね! 女の子も好きになることがあるよってだけで」
友人2:「え、付き合ってる人いたの?! ってことは女の子じゃなくて、普通に男性でよくない?」
友人1:「いや、でも前に付き合ってた子は女の子だったし、その時はその子のこと本気で好きだったよ」
友人2:「どういうこと……? 全く分からん……」
このときの会話が強烈すぎて、いまでも映像として思い出せるぐらいカオスでした。いまでは少し後悔しています。あのとき、私も「同性が好き」ということを言った方が良かったのかなと。いまの私ならおそらく「あっ、そうなの? 私も女の子が恋愛的に好きだよ」って言います。それは友人1のことを支える意味と、実は周りに様々なセクシャリティ(公表している or していない に限らず)を持つ人が沢山いることが伝わって欲しいという意を込めて。
その場にいたのにも関わらず、自分はセクシャリティを公表せず隠し通したのは勇気がない! 友だちは公表したのに! 自分のことを棚に上げて、受け入れない側のことをとやかく言うのはズルい! なんて思われてしまうかも知れません。でも、初めからセクシャリティを公表(カミングアウト)する義務なんてないわけで。さらには環境や立場によって公表できる or できない理由も沢山あって、まだ現時点の世間の認識だったり自分が置かれている環境を考えたら、公表しない方が良いなと自分で判断する場合もいっぱいある。だってセクシャリティを公表した途端、変に意識されたり気を遣われたり、そして、人によっては避けられたりヒソヒソ話をされるという居心地の悪さを感じることが沢山あるから。セクシャリティを公表する or しない、公表した or してないから云々ということは、一概には言えないと感じます。
私の場合も、まだ不確かな自分のセクシャリティを言ってしまうことで起こり得るであろう事柄と、隠し通した方が過ごしやすいという現実を比べて、公表しないという判断をしていました。いま現在の私(社会という、他に逃げ場がある広いコミュニティで)なら上記の場面で公表しただろうけど、当時の私(学校で、しかも専攻授業が同じという逃げ場のない狭いコミュニティで)は、友人1と友人2の前では言わない方が良いと判断したのだと思います。
さらにそれは、再現した会話のなかで太字にした部分から、友人1と友人2の真意を察してしまった部分があったのも相まってでした。
もちろん、とか
同性が好きじゃなくて、安心した、とか
普通に、とか
もちろん男性も好きだよ! ってことは、同性しか好きにならない私はどうなるのだろう? とか、安心したってことは、もし私も同性が好きって言っていたらどうなってたんだろう? とか、普通にってなにを基準に? とか。
「時代の最先端」に見られたいからLGBTQ +として存在しているわけではないのに。今までだってたしかに存在していたのに。今までは存在していることを隠さなければならず、存在していないものとして扱われることが多かっただけなのに。時代が進んで、少しずつ認識されるようになってきて、勇気を出して声をあげる人が出てきて、その数々の結果としてLGBTQ +という言葉だったりが存在しているのに。
元々ランダムに集まった上記の3人ですら、私(レズビアン)、友人1(バイセクシャル)、友人2(ヘテロセクシャル)という多様ぶりだった。そのことから分かるように、「私の身の回りに(LGBTQ +)いたことないもん」っていうよくある発言も、全然違うのだと言いたくなる。実は、ずっと目の前にいた二人がそうだったんだよと。出会ったときからずっとそうで、出会う前からもずっとそうで、それが公表されて初めて存在しているかのように語られているけれど、公表しない or できないけれど、実はそうでしたっていう人はもっともっと多いのに。
ハーイ!! ここにいます!! 私はLGBTQ +です!!とかって声を上げたいわけではなくて、一般的な割合でいくと少数派になってしまうかも知れないけれど、たしかな一定数は存在しているのだから、それを否定したり拒絶したりしないでほしい。受け入れて欲しいなんてことが言いたいのではなくて、どうしてその理由だけで一線を画すようなことをするのだろうと思う。
「 カミングアウト 」 が必要ない時代、 早く来て
以前の記事で書いた「私、レズだから」と自己紹介していたDさんは、20歳になった際に家族にカミングアウトをしたら、受け入れてもらえなかったと言っていました。
「いつになったら男性を好きになるの?」
「最終的には、男性と結婚してくれるんでしょ?」
「ほら、幼馴染の◯◯くん、いま独身で帰ってきてるらしいわよ」
カミングアウトを受け入れてもらえず、両親との関係に溝ができてしまったことから、家を出て一人暮らしを始めたDさん。まだ学生だったDさんは、学校に通いながら早朝の新聞配達や夜間のバイトなどを掛け持ちしていました。たまに連絡が来るという親からは、上記のような言葉ばかりをかけられていて、あまり連絡を取らないようにしていると話していました。
また、親戚の結婚式には出席しなさいと言われて帰省した際も、Dさんはメンズスーツではなく紺色のワンピースのような服を着せられていて。後日、Dさんが笑いながら「服装のことでも親とすっごい喧嘩してさ、ドタキャンしようかと思ったけど、おじさんのことは好きだったから出席してきた。見てこれ、もはや女装にしか見えないんだけど(笑)」と見せてくれた写真には、笑おうとしながらも、どこか悲しげで寂しそうな表情をしたDさんが映っていました。「どうしてもスカートが嫌で、下にズボン履いていったからシルエット変でしょ(笑)」と基本的に明るいDさんは笑いながら話をしてくれたけれど、ふと垣間見た目が、なにかを諦めたような表情に見えて、私まで心が苦しかったのを覚えています。
その2年後、大学の卒業式で写真に映ったDさんは、メンズスーツを着ていました。そこでの晴れやかな表情と、Dさんが服装にピッタリとマッチしているように見えて、とってもカッコ良く輝いていたのを覚えています。その隣にはDさんのお母さんの姿も映っていました。お母さんと笑顔でのツーショットもあり、この2年で少しは溝が埋まったのかなと勝手に思いながら、その写真を見ていました。
当たり前に溢れた世界
両親や近しい友人に、カミングアウトしたらどうなるだろうか、と考えることがよくあります。特に年齢を重ねるにつれて、やっぱり「結婚」などの話題に直面することが多くなってしまうから。そんなとき、もうとっくに気がついていてくれたら良いのに、なんて思うことがあります。
私の場合、見た目もずっと基本的にはボーイッシュだし、好きな芸能人はいつも変わらず女性だし、もしかして気が付いてくれてたら良いのにな……なんて。でも、いざという話のときには「旦那さん」とか「夫」とか「彼氏」という単語が出てきて、うんうんと話を流しながら聞きながら、まぁ普通はそうだよねと思って寂しい気持ちを抱えています。
それこそ雑誌の恋愛占いみたいなものでも、最初は「パートナー」という単語が出てきて「お!」と思うのも束の間、すぐに「彼」という相手の性別を限定した単語が出てきて、その瞬間にポーンと自分には当てはまらない感覚というか、弾かれてしまうような感覚があって。世間には「当たり前」が溢れすぎていて、それに当てはまらない自分は一体なんなんだろうと、つい考えてしまう。この世界で目にするもの、耳にするもの、手にするもの、全てに「当たり前」が溢れている。でも、そのどれもが自分にはほとんど当てはまらない。どんなに多くの新しい映画やドラマや物語が出てきても、私は感情移入や共感すらできない。男性目線にも、女性目線にもなれない。だって私は、女性として女性が好きだから。
もしカミングアウトしたら、どんな反応だろう
私の場合、カミングアウトをしたときに一番嬉しく感じるリアクションは「ほとんど変わらないこと」です。カミングアウトする前とした後で、ほぼ何も変わらないこと。
変に気を使われたり、腫れ物を触るような感じに扱ってほしくはない。たとえ受け入れられなくても、それで関係が変わってしまうのではなくて、今までのままでいいから変わらずにいてほしい。
でもカミングアウトするということは、結末がどちらに転んでも、元には戻れないということでもある。もちろん良い方向へと一歩前進する場合もあるけれど、そうではなかったとき、自分の予想と違ってしまったときでも、カミングアウトする前の状態には戻れないことがほとんど。
これだけ時代が進んでも、理解などが進んでいるように見えても、まだまだ不十分で、否定されたり拒絶されたり、それこそ「言わなければ良かった」と思ってしまうことだってある。
だから、私はいつか時代が進んで「カミングアウト」というものをしなくても良いぐらいに、「色んなセクシャリティを持つ人がいる、目の前の人もその可能性がある」という大前提がもっと進めば良いと思う。
それは、多様性を受け入れてください!! LGBTQ +の人だって存在しているんですよ!! ということを声高に主張したいのではなくて、
女性に対しては「いま、彼氏いるの?」
男性に対しては「いま、彼女いるの?」
というテンプレートを使い回すのではなくて、
「いま、恋人いるの?」
という聞き方に意識的に少し変えることだったり。そしてさらには、もはやそんな不躾な質問をしないようにすることだったり、そんな些細な変化で、大きく救われる人はきっとたくさんいるんじゃないかなと個人的に思います。
(私、自分が聞かれるのが嫌なのもあって、いままで生きてきて「いま、恋人いるの?」って人に聞いたことないんだけど、これも少数派なのかな)
もし私が、次に女性のパートナーとお付き合いしたりする際には、両親や近しい友人にはその事実だけをそれとなく伝えようかなと思います。それは大々的なカミングアウト!! のような感じではなく、もし言えそう or 言う必要があると感じた機会があれば淡々と事実だけを伝えるような感じで。
「私は異性が好きです!」とわざわざカミングアウトする人がいないのと同じように、「私は同性が好きです!」とわざわざカミングアウトする人がいないようになるほど、当たり前の範囲がもっと広がれば良いな。
カミングアウトが必要ない時代、早く来て