【Resilience】沈んだら、また上がればいい
「生きていることが大切。」
「沈んだら、また上がればいい。」
今、笑顔を取り戻して生きていられるのは、こうした言葉に諭され、命を「匿う」よう、背中を押してもらえたから。
終電帰りが常態化していたある時期、誰もいない静まり返った道で「もう十分頑張ったよ、これ以上よう頑張れん」と、天に向かってうわ言のように繰り返した。死のうとは思わなかったが、生きたいとも思わなかった。
近しい人たちに「あんた最近おかしい、前と違う」「まとまった休みを取ったら」と言われても、状況を変えたり、そこから離れたりするなど「できるはずがない」と思い込んでいた。
その思い込みをようやく手放し、他者の客観的な「観察」を受け止められたのは、あの言葉を掛けてもらえたからだった。
不本意でも、かっこ悪くても、身体と心を「匿って」生きるよう方向転換させていただいた。
渦中にあった時、自分の状態を認めて「助けて」と声を上げるのは、この上なくハードルが高かった。
吐いてはいけないと言い聞かせているのに、身体が耐えきれずに吐いてしまった。そんな感じだった。
しかし、そのハードルを越えた途端、到底離れられないと思っていた状況から、よう分からんものすごい力と勢いで「引き離され」、結果的に命が「匿われた」。
医師の診断書を提出し、傷病休暇を頂いた1カ月間、ほぼ寝たきりで休養するうち、抜けていく一方だった力が、身体に残るようになり、やがてチャージされ、ゆっくり自然に寛解に向かっていった。
そしていま、それなりに、無理のない環境で生きられている。
「分岐点」となったあの時期以降も、大なり小なりの浮き沈みはある。沈みの原因となる「重り」はその時々で異なるが、時に人に頭を下げ、力を借りながらでも、少しずつ重りを軽くし、再び「上がれるよう」に、耐えうる重さに微調整しようと努めるようになった。
それが、命が守られるよう言葉を掛けてくださったあの方たちの想いに応えることになるのかな、と思っている。