
そういえば そうだった
『街の人生』(岸政彦著 勁草書房 2014年)を借りてきた。
雨宮まみさんがこの本について書いており、内容も知らず、予約した。
この本に、摂食障害の当事者「マユ」さんが登場する。
「はじめに」を読んで、ものすごく昔のことを思い出した。そういえば、と。
https://www.keisoshobo.co.jp/book/b177177.html
私は自分を摂食障害ではないと思っていたが、たぶん、あれはその一種だったのだろう。のちに「嘔吐恐怖症」という名だと知ったが、「食べる」ことではなく「吐く」ことが怖いのだから摂「食」障害ではないと思っていた。
「たぶん」と書いたのは、正式に診断を受けたわけではないから。
診断を受けたかった。正確にはわたしは専門家の助けがほしかったのだが、それは叶わなかった。親に断られたのである。断られたというより、ほかに全精力をそそぐことがあり、わたしの訴えを顧みる余力がなかった。自分で書いていても、親の反応を、いまだに「なんじゃそりゃ」と思っている。
「吐くのがこわい。だったら食べなければいい」
今思うと突っ込みどころ満載だが、これが当時10代のわたしの思考だった。
そもそものきっかけは、食事中に震災のニュース映像を観ていたら、とつぜん気分が悪くなったことだった。その気分の悪さがほんとうにおぞましく、あれをまた経験するのはごめんだと思った。
パソコンだから「吐く」と打てているが、何十年経ったいまでも、この二文字を敬遠している。できるなら見るのもいやだし、書くのはもっといやだ。当時の日記では「○○」で済ませていた。
わたしの望んだ援助はうけられなかった。
食事の時間はたたかいだった。
いや、ほんとうのたたかいは食後2時間だった。理科の授業で「食後2時間経ったら食べものは胃を通過するので吐くことはない」と聞いたのだ。
これもいま思うと甚だ怪しい。
「いま、この瞬間に吐くんじゃないか」
そうとしか思えなくて、ほかのことは一切考えられなかった。脂汗のようなものが出てきて、手のひらも汗ばみ、ドラマやバラエティをみた記憶があまりなかったのでテレビを見る習慣はあまりなかったのだと思う。気をそらすのではなくわたしは真っ向から対峙した。とにかくノートをひらいて
「大丈夫。絶対大丈夫。すべては必ず良くなる」
と書いていた。ほかに書くことがなかった。書きようもなかった。
これが毎日、足かけ10年である。
10代のころの写真を見返すと、目の下のクマがすごい。紫のような青のような、ちょっと赤みがかった色だ。
生まれつき血色が良くないと思っていたが、この生活をしていたらそりゃあ良くはならないだろう。
とんでもなく痩せていたかといえば、そうでもない。それがふしぎなところだ。
やつれてはいたと思うが、痩せてはいなかった。
「痩せたいんでしょ」
「いますぐダイエットをやめなさい」
量を食べなくなったわたしを親は詰り、半ばおどしたが、そうではなかった。断じてそうではなかった。
当時、いったい何が悪さをしたのか今もってわからない。
気分の悪さをおそれ、次いで吐くことをおそれた。
きっかけは震災のニュース映像だったけれど、そこで発生した気分の悪さに一体何がふくまれていたのか。「それ」はいったい何だったのか。
閑話休題。
インタビューを読むのは好きである。
だからこの本の「はじめに」を読んで、インタビュー集と知り嬉しかった。
本に登場する5人の語りを字で追って、そこから立ち上がってきた声をきく。
時間にすればほんの数時間だが、わたしは「私でない人生」を生きる。
語りはつねに包括ではなく断片だ。
でもその断片は、「ひとつの完結した」「断片でありながら、世界そのものと同じ意味と重みとひろがりを持っている」(どちらも「はじめに」より)。
インタビューは、「私ではない私」の人生を、人生にもっとも近いかたちで再生する術だとわたしは思う。
記憶、時間、感情、経験。「生活史」と著者は書いておられるが、そのとおりだ。
語りに耳をかたむける数時間も「わたし」の日常の断片である。
そのほんのわずかな時間、「わたしが生きなかった別の私の人生」に立ち合う。