働くということ
お給料は我慢料。
高校生のときに、大学生のときに、大学院生のときに勉強する方を選んでしまったら、一生歯を食いしばって勉強し続けねばならない。井の中の蛙にしかなれないということがわかっていても。
(すげーいい大学を出て、すげーいい企業に勤めているかのような口振りはよくない。そもそも、思い返せばわたしは何ひとつ選び取っていない。賢いわけでも学問を愛しているわけでもないのに、消去法で無難にやり過ごしただけ、リスクを取らないことが後に最大のリスクになるという例だなと思う今日この頃。)
同期や後輩が難関資格に合格したと聞けば自己嫌悪にさいなまれる。ちゃんと仕事しているはずなのに「自己啓発」していないことへの焦りと不安が募る(特殊な業務にしか役に立たない難関資格を取ることが自己啓発?)。優秀な奴隷。
こんなことでこれから先も仕事を続けられるだろうか?今でさえこんな苦しいのに、これ以上責任をおっかぶされて、同期や後輩と比べられて、自分を卑下して、いつか通勤の電車から降りられなくなったらどうしよう、いつか布団から起き上がなくなったらどうしよう。そんな心配をしている生活が豊かな生活と言えるのか?
悶々。
そんなときにこのコロナ禍。
わたしが住んでいる地域は感染者が多いため、長い間実家に帰れず、地元の友達に会えず、それなのに毎朝満員電車に乗って出勤し、新幹線で関東に出張することすらある。感染者リスクに身をさらすことで糊口を凌いでいるかのような日々。
それに対して実家は感染者が少ない地域にあり、妹たちは居酒屋で乾杯したり、アウトレットでお買物したり、近場のテーマパークで1泊したり。たのしく暮らす様子を見て、ねたましくてねたましくて仕方がない。
妹たちは受験も就活もてきとうで(本人からすればてきとうではないかもしれない)、お給料は全部お小遣い、挙げ句の果てに父親からマンションまで生前贈与されている。
(わたしは?)
(わたしは、わたしが勝手に家を出て行ったんだから知りませんよ。当たり前のことです。)
あぁ、こんなことになるのなら。
今までの人生の選択は全て間違っていた。高1の頃に理系を選んだ時から全て間違いだった。
悶々、悶々。
そんなことを毎日!毎日!毎日!考えていたので、そんなこと1ミリも考えずにタフに働く男に惹かれたのでしょう…ナンパ男、イケメン料理人、チャラ男…3人とも文句を言わず、悩まず、馬車馬のように仕事していて、自分にはない基礎体力と野心を備えていて、とても魅力的でした。
婚活中にいろんな男性に会ったけど、わたしと同じようにうじうじしている人にはぜんぜん惹かれなかった。同族嫌悪というか、わたしって魅力がないんだなぁと鏡を見ている気がした。
それでも、自分の性分は変えられないし、一度乗った船からはなかなか降りられない。「勉強してえらいね」と自分の機嫌を取りながら、パンクしない程度に負荷をかけ続けるしかない。その調整を覚えなくてはならない。
ということでオンライン英会話と資格試験に申し込もうとしています。あくまでゆるく、自分の基礎体力を過信せずに。
ちょっと前向きなのは生理が終わったからです。
読み返して、わたしが家を出たのは父親と折り合いが悪かっただけのくせに、そんなこと忘れて、父親とうまくやってくれている妹たちに対して卑しい書き方をしていて自己嫌悪した。なんでも自分に都合の良いようの記憶を書き換えるよね。だから記憶が定かなうちに日記を書くべきなんだ。
いつも世話になっている妹たちに申し訳ない。