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夢が叶ったあとの話。

理学療法士になるのが夢だった。
これは、夢を叶えた私のお話。

私は発育性股関節形成不全という疾患を持って生まれた。簡単にいえば、股関節が脱臼した状態だった。当時、地元の病院では治療が受けられず、隣の県の大学病院を紹介されてようやく治療ができたと両親から聞いた。祖父母も「お金ならいくらかかってもいいから」と必死になってくれたそうだ。
幼い頃から運動を制限され、痛みが酷くなれば歩くことさえ制限された時期もあった。しかし、ギプスをつけているわけでもなく、見た目は健常者とかわりない私が体育を休んだり、車で送迎してもらっている様子をみた周囲は私を罵倒した。
運動は好きだった。ただ、やりたくてもできなかった。周りと同じようにできないことが悔しくて泣く日もあった。

私は小学校2年生から高校3年生までリハビリに通っていた。リハビリの先生に楽しかったことや、悲しかったこと、その日の学校での出来事を話した。幼かった私は、筋トレが憂鬱でお喋りやおふざけで時間を潰したりと、何かと先生に迷惑をかけていた。それでも、担当の先生は私が楽しくリハビリできるように真摯に何年も向き合ってくれた。高校生になって進路に迷いだした頃、先生が勧めてくれたのがリハビリに関わる仕事だった。「(私)ちゃんは、普通に生活できないことの辛さをよく知ってる。患者さんの気持ちが誰よりもわかる。きっと向いてると思うよ。」
その日から、私の夢が"リハビリの先生"になった。

その後、色々と調べていくうちにリハビリにもたくさん種類があることを知った。
理学療法士、作業療法士、言語聴覚士...
どれも興味深かった。
私は「歩けなくなった人を歩けるようにしたい」という思いから理学療法士を選んだ。
地元の専門学校に入学し、必死に勉強した。
思っていたよりも座学が多く、頭に入れなければならない知識も莫大な量だった。
3年制の学校を選んだばかりに最後の1年は怒涛の日々だったと思う。6ヶ月にわたる実習、就活、卒業試験、国家試験を1年間でこなさなければならない。長期休暇なんてもちろん無いし、8時から20時まで週6で学校に行かなければならないハードスケジュール。だが、それを乗り越えれば晴れて理学療法士となる。地獄のような日々がはやく終わってほしい一心で勉強した。
そして2月、国家試験が終わり、自己採点で合格点を越すことができた。
父と母に報告すると、泣いて喜んでくれた。
3月に地元を離れ、4月に第1志望の回復期病院に入職した。ついに夢だった理学療法士になった。

仕事は楽しかった。職場も働きやすい環境で、同期も先輩たちも優しい。なにより、患者さんやご家族の方からの「ありがとう」が嬉しかった。「あなたとのリハビリ本当に楽しい」と笑ってくれる人、退院の日に「私もここであなたが頑張ってると思ったら頑張れるから、やめないでお仕事続けてね」と涙ながらに言ってくれた人。どんなにきつくても、患者さんの優しい言葉で頑張ろうと思えた。
でも、すぐに限界が来た。
入職して4ヶ月、鬱病とパニック障害の診断を受けた。

私の股関節が悪いのは上司も周知していて、最大限の配慮をしてもらっていた。私も、できる範囲のリハビリを行っていた。
介助量の多い人のリハビリは特に大変だった。私の身体の状態でできることは限られている。でも、それでは大金を払って時間をかけてでも「元の生活に戻りたい」と願う患者さんの為にはならない。「私は治療費に見合わないリハビリを提供している」と、いつからか思うようになった。
多少の無理は必要だと思った。でも、頑張れば頑張るほど身体がついていかない。股関節が痛みだし、歩くのさえ辛くて仕事を休むようになった。
「周囲に配慮してもらっているのに、心配をかけて、迷惑をかけて、私は何をやっているんだろう。」何度も自分を責め、眠れない日々が続いた。それと同時期に原因不明の熱と頭痛に悩まされた。色々な病院を受診しても診断がつかない。でもこれ以上は職場に迷惑をかけたくなくて、無理をして仕事に行った。
そんな私を見ていた彼氏が言いづらそうに言った。「たぶん、鬱じゃないかな。」
その彼の一言で精神科を受診し、鬱病とパニック障害であると診断された。熱も頭痛も、鬱病の身体症状だった。
そして8月末から休職になり、今に至る。
今の仕事は好きだ。職場も同期も先輩達も大好きだ。でも、好きの気持ちだけじゃ続けられないのもまた事実。私は、今の職場を辞めようと思う。
私の職場は採用人数も少なく、成績優秀者のみが採用されると言われていて、就活が始まる1年も前から頑張って頑張って勝ち取った内定だった。どうしても働きたいと思った病院だった。本当は辞めてしまうのはすごく惜しい。だけど戻れば同じことを繰り返すだろう。少しの間でも、働きたいと願った場所で素敵なチームと仕事ができて幸せだった。
私は、自分が目指していた理学療法士にはなれなかった。業務内容に身体がついていかなかった。
それでも、これからも1人の理学療法士として、なんならかの形でリハビリに関わっていきたいと思う。
「誰もが、その人らしく、当たり前の生活を送れるように」

#かなえたい夢

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