エッセイと、わたし。
「エッセイストのように生きる」という本を読んだ。
わたしは漠然とエッセイが好きで、なんだかかっこいいと思っている。
だからわたしもエッセイストのようになりたくて、この本を読んでみた。
この本の中では、エッセイとは「秘密の告白」だそうだ。
その「秘密」は「自分自身の秘密(内側の秘密)」と「自分が見つけた秘密(外側の秘密)」のどちらでもいいらしい。
そしてその秘密を見つけるために、日々考え書く。
これが“エッセイストのように生きる”ということらしい。
ここまで読んでわたしは、“あれ?”と思った。
普段のわたしなのだ。
むしろわたしが直したいと思っていた自分の特徴だった。
考えなくてもいいのに、いつでもどこでも何かを考えている。
ただ、わたしが考えているのはネガティブなことだけではない。
ただいつも、どうしてその現象が起こったのか、どうしてわたしはそう思ったのかなど“どうして?”をいつも考えていた。
その理由はただ知りたいから。
無意識にしているわたしの行動や感情は、どこからくるのか。
それが知りたかった。
そして急にふと、「あ!そういうことだったのか!」という瞬間が訪れる。
そしてそれを自分の中で大事にしたり、人に話したり。
それを書くことがエッセイなのか。
もしかしたら捉え方は間違っているかもしれない。
それでもわたしは嬉しかった。
なぜならわたしは漠然といつかエッセイを書きたいなと思っていたから。
このことに関しては深く考えておらず、漠然とした夢だった。
そのわたしが感じているエッセイの魅力は「素」だ。
その人が普段考えていることを、その人なりの言葉で表しているからとても個性が出る。
それがなんだかわたしにとっては、筆者の方と会話している気分になれた。
現実世界のわたしは人間関係を築くのがとても下手だ。
といっても、無愛想になったり人見知りをするわけではない。
ただ必要以上に勝手に気を遣って、必要以上に明るくしてしまうから疲れてしまう。
それでも人と話すことは好きで、その人にしかない考え方を知るのがすごく好き。
でもそれを初対面の人に話せるほど、わたしは自分を出せないし聞けない。
だから本が好きで、エッセイが好きだ。
そんなわたしがこうやって普段から考えて答えを出して、また新たな答えはないか考えて。
全てのことに答えはないとわかっていても、今の自分の気持ちをうまく言語化する。
そして話す。
わたしはその感覚・流れが大好きなんだと思う。
やめようと思ってもやめられないこの思考が、エッセイになるなんて。
こんなに嬉しいことはない。
だからわたしはこれからもわたしでいいんだ。
そのわたしの考えていることを発信することがエッセイなんだ。
そう思うと気が楽になったし、書きたくてたまらない衝動に駆られた。
そして今書いている。
やっぱり書くことが好きだ。
最近かけていなかったけれど、いざ書き始めると溜まっていた思考の波が一気に溢れてくる。
ああ、楽しい。
わたしはこれからも書き続けたい。
そしてそれが憧れのエッセイになるのなら、もっともっと書き続けたい。
そんなことを思った平日の午後。
好きな時間帯だ。
穏やかな光が部屋の中に入ってきて、窓のそばは明るく、少し離れたソファは薄暗い。
そのコントラストがなんだか好き。
その景色を見ているだけでなぜかはわからないけど、口元が緩む。
そんなリラックスした時間を過ごすと、たくさんの疑問が溢れてくる。
その疑問について考えた答えたちが、今思っているだけでも、幾つもある。
毎日溢れてくる思考を、noteに貯めていこう。
ここからまた始めよう。
Everything is up to me.