産後うつ記録:産後実家とうまくいかなくても、自宅へ戻るのはもっといやだったわけ
これはわたしが長女をを出産した後、2年半も産後うつに悩んだ記録です。
個人的な問題も多く個人差があるとは思いますが、同じように悩む方やその周りにいる方にとって何か伝われば幸いです。
前回の記事はこちらです。
これまで、出産前後の不安が大きかったこと、里帰りした実家とうまく関係が取れなかったことなどを書いてきました。
実際この2つは、わたしが母親としての自分自身に自信を失う大きな原因だったと思っています。自信がなくなってしまったことで、なにもかもを判断することが怖くなってしまっていたからです。
おむつを替えるタイミング、肌荒れをすぐ病院に連れていくか自宅でケアしてみるか、夜間起きた時にすぐ授乳するか様子を見るか、母乳にミルクを足すのか頻回授乳で乗り切るのか…
自分が判断しなくては誰も変わってくれない、自分が間違ったら我が子が被害者になる。でも、自信がない。
そんな風に考えるうちに、自分にどんどん責任を課して、結局冷静に娘を見つめられないほど追い詰めていました。自信がないばかりに、ちょっとした判断にもこれで良かったのかと逡巡し、娘の顔を見ても「寝ていてほしい」「とにかく、わたしの心をざわつかせないでほしい」と願うばかり。
こんな生活が、2ヶ月以上続きました。
当初の予定では、1ヶ月検診を終えたら自宅に帰る予定でした。
それなのに、なぜ産後2ヶ月もお互いにしんどい思いをしながら実家にいたのか。
それは、自宅に帰ると夫に頼ることが難しいことがわかっていたからでした。
当時の夫は、週の半分以上が出張という生活でした。もともとしばしば出張のある生活でしたが、そのころは入社4年目という時期もあったのでしょうか、1週間自宅で寝起きすることはまずないほど出張が増えていました。
また、家事については自宅にいれば十分してくれる人ではあるものの、育児については未知数でした。
やる気がないわけではなく、むしろ娘にベタ惚れだったのでなんでもお世話をしようという気持ちは見て取れました。ただ、産後わたしの実家へは週末を利用して数回来たのみ。
わたしも仕事が忙しい中来てくれた夫に遠慮もあり、夜泣きの時もそっと対応していました。オムツ交換や沐浴は夫にもしてもらいましたが、前後の準備・片付けボディのケアはわたしがして、とにかく育児の楽しい面を担当してもらいました。
会う回数が少ない分、娘と触れ合うことを楽しんでもらえた方がいいと考えたのです。
しかし、その結果自宅に帰ってからはワンオペ育児になることが目に見えていました。おいおい夫にも育児の楽しくない側面に向き合ってもらうとしても、すぐには期待できないのは明らかでした。
当時の夫の頭の中は、
「娘かわいい!育児面白い!大変なところもあるけれど幸せ〜」
といった感じだったと思います。
あちこち痛いまま、娘のお世話以外起きられない生活が1ヶ月。
さらに夜泣きに毎晩対応しながら、両親以外の外の社会から一切断絶された生活を2ヶ月。
そんな母親の心の疲れについては、「大変だよなあ」程度の認識はあったかもしれませんが、苦しさには気づいていなかったでしょう。
この頃を象徴する思い出があります。
出産前、夫は某モンスターを狩りに出るゲームにはまっていました。彼は昔からずっと続けているプレーヤーで、この時にはわたしにも端末を買ってくれて一緒に楽しんでいました。
しかし、当然産後のわたしには「狩り」に出る心のゆとりはなく、画面を見るならスマフォの育児情報。そんなわたしに向かって夫は、「オンラインで一緒に狩りをしよう」と平然と誘いをかけてきました。
「そんな余裕ないよ」と答えると、「そうか、大変だもんね。またできそうな時にしよう」
ーーいつになれば「できそうな時」が来るんだろう。「できそうな時」ってなんだろう。
毎日新生児に向き合っていたわたしと、ここぞとばかりに残業も頑張って収入を増やす努力をしてくれていた夫。
どちらも家族のために頑張っていたとはいえ、見ている世界の違いに愕然と・・・むしろ呆然としたのを覚えています。
とはいえ、2ヶ月を過ぎる頃には自宅に帰る話を進めざるを得ない空気になっていました。
母はもう少し娘がしっかりするまで(長時間の移動に耐えられるくらい、というのをどう見極めるのかわからないけれど)実家にいればと提案されましたが、夫からは寂しいので帰ってきてほしいという声。
また、父は帰宅予定日を伸ばすことを打診するたび、だんだんと鬱陶しそうな様子が増していました。父なりに私たち母子がいることで我慢をしてくれていたのでしょう。
そんなこともあり、お宮参りを兼ねて夫の実家に1泊し、娘の様子を見ながら移動することで自宅へ戻ることが決まったのでした。