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【村上春樹の考えるシステムとは何か?】第1回:中世〜近代化の流れを学ぶ

村上春樹ってよく「システムが悪いやつなんだ」といいますよね。

僕がいちばん「悪」であると見なすのは、やはりシステムですね。
(略)もっとはっきり言えば、国家とか社会とか制度とか、そういうソリッドなシステムが避けがたく醸成し、抽出していく「悪」。もちろんすべてのシステムが「悪」だとか、システムの抽出するものがすべて「悪」だとか、そんなことを言っているわけじゃないですよ。そこには善なるものももちろんたくさんあります。しかしすべてのものに影があるように、どのような国家にも社会にも「悪」がつきまといます。それは教育システムにも潜んでいるし、宗教システムの中にも潜んでいます。そういう「悪」は実際に多くの人を傷つけているし、死に至らしめることもあります。

みみずくは黄昏に飛び立つ

しらふの村上春樹の発言全般について深く読み解くには、彼が「悪である」とまで言い切って問題視する「システム」について理解する必要があります。

この「悪を抽出するシステム」について自分なりに捉えるためにはどうすればいいか愚行した結果、単純に私の知識教養一般常識が乏しいという現実に直面いたしました。ですので今回は読解の共有ではなく、勉強メモの共有としてnoteを更新したいと思います。

この「村上春樹の考えるシステム読解編」は4本連続くらいで同じテーマで記事更新したいと思います。予定では以下のイメージです。
初回)中世〜近代化の流れを学ぶ【今回】
二回)漱石『私の個人主義』を学ぶ
三回)近代の液状化現象について
四回)システムの弊害について


1:システムについて、ちゃんと考えたい

村上春樹曰くシステムに問題あり

そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは「システム」と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率よく、そしてシステマティックに。

エルサレム賞受賞スピーチ

「国家とか社会とか制度とか、そういうソリッドなシステムが避けがたく醸成し、抽出していく悪。」

「そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。」

彼は「国家、社会、制度」などをシステムの例としてあげています。これらはいずれも近代という時代になって生み出された「近代システム」のことです。

ただあの小説の中で「動物園襲撃」の話しってありますよね。虐殺の話。日本兵が動物園の動物を殺したり、脱走兵を殺したりする。あれ、たしかバットで殴るんですよね。その行為自体はもちろん「悪」ではあるんだけど、その個人レベルの「悪」を引き出しているのは軍隊というシステムです。国家というシステムが、軍隊という下部システムを作り、そういう個人レベルの「悪」を抽出しているわけです。じゃあ、そのシステムは何かというと、結局のところわれわれが築き上げたものじゃないですか。そのシステムの連鎖の中では、誰が加害者で誰が被害者か定かにはわからなくなってしまう。そういう二重三重性みたいなのは常に感じています。

みみずくは黄昏に飛び立つ

過去の先人たちが「築き上げたもの」としての近代システムは、人々を差別や不平等から解放し機会と自由を与えるということでポジティブな影響がまずあるわけですね。だからこそシステムは「本来は我々を護るべき」であり「善なるもの」もたくさんあるのです。

しかしシステムが暴走すると、私たち個人は取り替え可能な労働者や使い捨ての兵士として扱われる状況になります。我々の先人が自由と平和と繁栄を願って構築したシステムが同時に「我々に人を殺させる」のです。

村上春樹は父親が第二次世界大戦で中国大陸に出兵していますし、60年代の国家を相手にした学園闘争が原体験の一つにあるわけですから、近代システムが振るう暴力を肌身で感じている世代なのですね。


システムが生み出した「近代」という時代

では近代ということについて考えてましょう。システムという言葉を使うとき、村上春樹は近代を強く意識しています。

三区分法では1500年から今日まで近代

三区分法を使えば、私たちが暮らす今日現在も近代です。西洋ではざっくり1500年以降からとなりますが、日本の場合は明治時代以降(1867年〜)が近代です。日本の近代化の契機は明治維新となります。

欧州が1500年頃から少しづつ成熟させてきた「近代システム」を、1867年の明治維新以後一気に導入します!というのが日本の近代化でした。

1868年の明治維新で一気に近代化
明治維新から20年後、洋服を着て西洋音楽を楽しむ日本人
ものすごい勢いで西洋化・近代化を進めています
『欧州管弦楽合奏之図』橋本周延 明治22年(1889)

この急速な近代化について「いくら何でも西洋人が300年以上掛けて作ったものを、我ら武士魂を持つ東洋人に一気に導入したらおかしくなりますよ?」として発狂したのが夏目漱石です。そして彼は小説を書き始めるわけです。

このように夏目漱石が先陣を切るようにして、小説を含む諸芸術によって近代社会の負の影響への対応を目指す【システムvs物語】という構図が生まれました。

宮崎駿:最近、夏目漱石が好きなんです。なぜなら近代化のボディブローを一人で受けた人間ですね。引用が多いからね、当時の新聞記事とかね。そういうのは飛ばして読んでるけどね。今漱石が生きてたら、持病の胃潰瘍だってすぐに治るしね、パラノイアだって簡単に治っちゃうかもしれない。でも、どんなにいっても彼の本が一番売れるんですよね。

『ポニョはこうして生まれた。 ~宮崎駿の思考過程~』(2009)

「夏目漱石は近代化のボディブローを一人で受けた人間だ」と述べるのは、宮崎駿です。「どんなにいっても彼の本が一番売れる」というのは、それは私たちがまだ夏目漱石が戦った近代という同じ時代の中にいるからです。ということは、もちろん夏目漱石だけでなく宮崎駿も村上春樹も【システムvs物語】という視点を持っているということです。

ちなみにこの「近代以後の作家の戦い」というテーマについて私なりに愚考したのが前回のnoteです。導入は「論理的思考vs物語的思考」という対立構造を提示して思索を開始していますが、こちらは「近代システムvs物語」というよりも「近代的自我vs物語」という視点で考察しています。調子に乗って有料にしたら誰も読んでくれないのですが(笑)、500円(牛丼並盛ランチセット)以上の価値はあります。たぶん。

ということで、夏目漱石、宮崎駿、村上春樹が問題視しているこの近代とは、一体どういう時代なのでしょうか?

今回は村上春樹の具体的な発言の意図を読み解くのではなく、今後の読解の基礎として「近代社会の成立」についての大まかな流れをおさらいしたいというのが趣旨です。


理性的に思考するためには対象と距離を取る必要がある

ではどのように考えるか?

私はこのノートを書くまで「自分が近代的な個人として自由に生きている」ということが、どういう意味を持つのか全く理解しておりませんでした。いや、河合隼雄さんの書籍や適当な社会学の本などを暇つぶしに読んでいるわけですから、なんとなく分かったつもりでいたのですが、なんとなく分かったつもりでいるというのは、やっぱり分かっていないということなんですね。

もちろん身体的には分かっているんです。だって私たちは近代社会の中で個人主義的な生き方を実践しています。だけど、それでは理性を用いた思考はできない。理性的に思考するためには対象と距離を取る必要があります。つまり相対化しなければなりません。自分にとって当たり前のことって考えるのがとても難しい。

例えてみれば、海外旅行にも一度も行ったことがない人が、日本の特徴について必死に考えるようなものです。

アメリカに行くと治安の悪さに驚きます。日本の治安の良さを自覚しますので、その違いや理由について考えることができます。すると移民という視点に気づきます。日本は短期旅行者には寛容かもしれないが、長期滞在をする移民には門戸を厳重に締めている。そういえば鎖国をしていた国だった、と思い当たる。すると良くも悪くもユーラシア大陸という大きな世界から離れて浮かぶ「閉鎖的な島国」としての日本というイメージが浮かび上がってきます。テレビだけ見ていると閉鎖的だなんて全く感じられませんね。

また仕事で中国に長期滞在すると中華料理ばかりで西洋料理を出すレストランが少ないことに不満を覚えがちです。気軽にパスタ食いたいのに大して旨くもない高級イタリアンしかなくて東京とは大違いだな、みたいな。GDPは世界2位だけど日本と違って食文化はまだまだ発展途上なのだなぁとか何気なく思ってしまいます。これは昔の私なのですが、完全に思考停止していました。

あれ「西洋料理が食べられる=西洋化=先進的で素晴らしい」と自分は無自覚的に思っていたのか?と気づきます。それは日本が極端に西洋化してるだけかもしれないぞ?という仮説に展開され、なんで極東の閉鎖的なはずの島国がこんなに西洋化してるんだ?と、自分が住んでいる今の日本を相対化して考えることができます。

これはただの一例ですがこの方向性で考えていくと「そもそも明治維新で西洋化したのがオカシイぃ゙!」と憤りを感じはじめて愛国心が高まり自分でも気づかぬうちに極端な右傾化をするかもしれませんが安心してください。それはみんな通る平々凡々な道だと指摘されています。(笑)

近代日本が維新前までの思想的遺産をすてて「欧化」したことが繰り返し慨嘆される(そういう慨嘆もまた明治以後今日までステレオタイプ化している)けれども、もし何百年の背景を持つ「伝統」思想が本当に遺産として伝統化していたならば、そのようにたわいもなく「欧化」の怒涛に呑み込まれることがどうして起こりえたであろう

丸山真男『日本の思想』(1961)

しかも1960年には既にステレオタイプ化しています。まぁ戦後すぐの反省という文脈でそういったことを考える人が多かったのかもしれませんが、歴史とか政治というのはそんなに単純じゃありませんね。

話がずれましたが、言いたかったことは「当たり前すぎて見えなくなってること」を相対化して距離を取ることで理性的な思考をすることができるということです。

上記の例では物理空間における移動を示しましたが、もちろん情報空間における移動でも対象と距離を取ることができます。その一つの方法が読書だったりドキュメンタリー映像を見ることなどです。文章や映像に触れれば頭の中に概念群やイメージを構築することができます。その概念群やイメージを比較することで相対的に考えることができるようになります。

食肉業界のドキュメンタリー映像を見ることで、普段の当たり前の食生活のおかしさに気づく、みたいなことです。それで菜食中心にしたりと新しい行動を起こせるわけですね。


近代の外=中世に触れることが近代を考えるヒントになる

では本題に戻ると、私たちは生まれてからずっと「近代」の中で生きています。だとすれば、近代を相対化して考えるためには「近代の外」に出ていく必要がありますよね。そうすることで、当たり前すぎて全く見えなくなっている近代に対して距離を取ることができる。だから思索を深めることができる。(その延長線上で村上春樹の発言の理解ができるようになる)

日本の近代の外となると江戸時代以前の社会について理解する必要があるということになります。しかし、江戸にフォーカスすると日本の独自性が際立ちすぎる。今の私たちは近代以降の世界に共通することとしての「システム」について考えたい。そのために近代を有効に相対化できる視点として「中世」について考えます。江戸時代から明治維新へという日本固有の流れには着目せずに、欧州が成立させた普遍的な近代社会の外としての「欧州中世時代」にフォーカスします。

ということで、Amazonでたまたま見つけた作田啓一著『個人主義の運命 - 近代小説と社会学 - 』(1981)の中に、中世社会がどのように時間を掛けて近代化してきたのかということが詳細に分かりやすく解説されていました。

著者について少しだけ。作田啓一氏は、1922年生まれで1948年に社会学を専門にして京大文学部卒業。京大教授になり日本社会学会の会長も務められたそうです。どれほど影響力のあった方なのかわかりませんが、Amazonのレビューでは『増補 漱石論集成』にて文芸批評家・哲学者の柄谷行人が本書を推薦してると書かれていました。

柄谷氏は『日本近代文学の起源』や『近代文学の終り』などからも分かるように本稿で我々が意識する【近代システムvs物語】という構図について遥か昔から考えているというわけです。その彼が漱石論の中で推薦しているとなると、たまたま手に取った割には当たり教材かもしれません。

ただ一つだけ述べておくと、本稿では第二章の近代化の流れ部分だけを参照します。ですので、柄谷さんが推薦する理由であろう本書の主題「文学に見られる三者関係図式を使った社会学的方法の新しい可能性についての思索」には言及しません。つまり、全三章構成の書籍なのですが、一章と三章は飛ばします。残りの章は未来の自分が読みます。

『個人主義の運命 - 近代小説と社会学 - 』
 第1章:ジラールの文芸批評
 第2章:個人主義思想の流れ
 第3章:日本の小説にあらわれた三者関係

第二章:個人主義思想の流れでは、近代以前の社会つまり中世がどのように近代と異なっていたのか?そしてそれがどのように近代化したのか?ということが解説されています。

これを押さえれば、ある程度は近代から距離を取って考えられるようになると思うので以降は読書ノート的に中世の特徴およぶに近代化の流れを整理していきたいと思います。

改めて本稿の目的は、近代について考えるために中世を知るということです。そうすることでしらふの村上春樹が語る「近代システム」について将来的に考えていく土台を作ります。



2:中世の社会構造について

中世では、集団に所属しない人はおらず、自分を独りであるとみなすような個人は存在しなかった

中世社会の特徴がもっとも明瞭に姿を表しているのが15世紀~16世紀頃(1400~1500)そうなので、この時代にフォーカスします。

ちなみにレオナルド・ダ・ヴィンチ(1454-1519)が生きた時代と被ります。あるいは日本で銀閣寺が立てられたのが1490年です。ダヴィンチがローマでモナリザを描いている頃に京都で銀閣寺が建設されていたという胸熱な時代です。

まず当時の社会について考えるのに役立つ文章が、フランスの思想家であるトクヴィルの『旧体制と大革命』(1856)より紹介されます。タイトルにある大革命前の旧体制時代というのが、私たちの考察対象である中世です。

われわれの父たちは、今日われわれが鋳造して用いるようになった個人主義という語をもたなかった。なぜなら、当時は集団に所属しないような、また自分を絶対に独りであるとみなすような個人は、実際存在しなかったからである。これに反して、フランス社会を構成している無数の小集団は、ただ自分たちのことだけを考えていた。こう表現してよければ、それは一種の集団の個人主義(indivisualism collective)であって、これが今日の真の個人主義に魂を準備したのである。

アレクシ・ド・トクヴィル『旧体制と大革命』(1856)

不思議な感覚になる引用文です。集団に所属しないような人はおらず、自分を独りであるとみなすような個人(個人主義)は存在しなかった。これに反して、みな小集団に所属しており自分たちだけの事を考えていた(集団の個人主義)と

みな小集団に所属しており、自分の集団のことだけを考えていた(集団の個人主義)

あんまりピンと来ませんので続きを読みますと中世的な構造原理の説明があります。中世的な原理構想とは【並存する種々の中間集団の強さを特徴とする構造原理】である。以下に紐解きます。

Q. 中間とは何を指すのか?
一次的な意味:国家と個人との間のこと。これは文字通りですね。
二次的な意味:キリスト教の神と信者個人の間のこと。欧州ならではの事情に思えるかもしれませんが、我々が暮らす近代社会を把握するには、キリスト教に纏わる潮流の理解が重要となるようです。

Q.代表的な中間集団は?
拡大家族、村落共同体、荘園、自治都市、ギルド、地区の教会、僧院、大学など。
ふむふむ。今はなんとなくのイメージでOK。後ほど詳しく解説します。

Q. 中間集団の強さとは何を意味するか?
・内部的強さ:所属メンバーの帰属意識・仲間意識の程度。人間関係の緊密さですね。この集団に属していることを誇りに思えるし、仲間たちと助け合う気持ちが強いみたいな。
・対外的強さ:外界に対してメンバーの利益を保護し代表する程度。その他の中間集団と交渉をしたりすることですね。

ワンピースを想像すると分かりやすいかもですね。皆が異なる海賊船に乗っていてお互いが張り合っている。そして運命共同体として仲間内の絆が強い、みたいな感じだったのでしょうか。

つまり、家族とかギルド(仕事仲間)とか地元の教会仲間みたいなそういう人の集団がいて、それぞれ特別に仲が良かったり対外的に影響力があったりなかったりするのが中間集団であるということですね。

トクヴィルの引用を踏まえると、みなこれらの中間集団に所属して生きていた。そういう意識だから、現在のような「個々人による個人主義」ではなく「集団としての個人主義」だったと。続けます。


中間集団の外で個人になると生きられない。だから自己意識は「集団成員としての自分」であった

中世社会では、経済・政治・教育などの主要な社会的機能は、これら小規模の中間集団内で主として遂行されていたそうです。つまり、ここで国家というものが相対化されます。

今のように最高権力としての国家があり、その下に都道府県・市町村という分割化された組織があり、それらが各地で教育や医療サービスを提供するピラミッド構造を持った「分業システム」がなかったということです。もちろん国家の隅々に行き渡る統一された法律もなかった。だから、教会とか拡大家族とかの中間共同体同士のローカルルールの運用と連帯で生活が成り立っていたと。中間集団がめいめい自発的に教育をしたり政治的な問題解決などを行っていたわけです。

またそれと同時に、このローカルルールの外に出ること、つまり中間集団の法の外におかれることは人間社会から排除されることを意味したそうです。人狼っていますよね。おとぎ話に出てくる半分狼半分人間の存在です。これは中間集団のローカルルールの外に出ていった人間のことらしいです(笑)つまり、個人的に生きようとすることは人間を辞めることと同じ行為で、中間集団の外に出て個人で生きていくことは不可能に近かった

これが理由となって、
1)中間集団に属する人たちは、それを超えて遠く広がっている全体社会をほとんど意識することがなかった。
2)彼らの自己意識は、個人としての意識ではなく集団成員としての意識であった。

これは分かりやすいですね。かつ衝撃的です。現在の私たちが感じる個人主義とは全く異なる意識です。

今でも私たちは共同体の一員として自分を捉えることがあります。会社とか学校とか。でもその前に個人としての自分がいて私の選択でこの会社で働いているんだ、という意識がありますよね。中世にはその感覚がなかった。自分で選ぶとか選ばないとかじゃなくて、そもそもの自己意識の前提が共同体の一員としての自分であった。

じゃあその「集団としての個人主義的感覚」とはどんなものだったのか?当時の人は、共同体の成員としての共通の意識を持ちながら「集団内の地位に従って自らの欲求や行動を強く規制していた」と。メンバーシップと地位とが単独の個人としての意識を覆い隠していた、ということです。

私たちも部活に所属していたころは、自分の部活内の地位に基づいて自らの欲求や行動を規制しているとも言える気がします。一年生は三年生に絶対に逆らえないとか。でも同時に仲間意識もありますよね。

でも、嫌になったら部活はいつでも辞めれるし三年経ったら卒業という感覚もある。しかし中世社会の共同体意識においては終わりがなかった。つまり、共同体から出るなんてことは選択肢にない。おおよそ生まれ落ちた共同体の中で一生を過ごすのが人生の前提になっている。その共同体の中の地位とか力関係に基づいて自分の欲求や振る舞いが形作られていたと。

たとえば生涯結婚さえできないと定められた生まれつき身分低いとされた人は、それに不満を覚えつつもそのルールの中で過ごすしかなかった。あるいは領主に支配されている貧しい農民の生まれであれば、農民として何とかするしかなかった。これは現在の私たちから見ればフェアじゃないですよね。生まれる前から「あなたは結婚しちゃだめな身分です」と決まっているわけですから。差別です。

しかし、中世においては共同体の外に出ることができなかったので、このように虐げられていた地位が低い人たちも共同体に対して強い忠誠心を持っていたそう。その理由はやはり共同体から一歩外に出れば、生きてゆける道がほとんどなく所属集団こそが唯一の世界であったから。中間集団(拡大家族/荘園/教会/ギルド)の中にだけ人生があったのです。

では、具体的にどんな中間集団があったのか軽く見ておきましょう。


ありとあらゆることが「家族の名のもと」において行われた。家族がコミュニティの原型である

家族は、単に特別な愛情を共有する人間関係ではなく、多様な機能を遂行する制度的なユニットでした。個人の運命に関すること、すなわち仕事・結婚・子育てなどに関する重要な意思決定は、すべて家族の名のもとに行われた。

中間集団としての家族

仕事も家族が決める(個人ではなく)
結婚相手は家族が決める(個人ではなく)
財産も家族に属する(個人ではなく)
税も家族に課せられる(個人ではなく)
名誉も家族が享受する(個人ではなく)

これは500年前まで遡らなくてもなんとなく分かりますね。結婚相手や仕事を家族が決めるという風習は、昭和中期に生まれた私たちの親世代にとっては体験した人も多いでしょう。

実際に私の母は父と結婚をして田舎に引っ越してくる際に、私の祖父によって仕事の手はずが整えられていたということでした。しかし本人はあまり苦い思い出として捉えてはいないようですね。今振り返ってみれば不思議だと感じているようですが当時としては別におかしなことではなかったと。小津安二郎の映画、そして小津安二郎リスペクトのKazuoIshiguroの初期作品なんかでは、昭和の人々が家族という単位で社会と接する様子が描かれています。

ただし、戦前戦後すぐの日本と500年前の中世ヨーロッパでは家族のあり方が多分根本的に異なります。中世欧州では、科学がないので子どもの致死率が非常に高く多産多死が基本。多産多死で親が子どもに過剰な愛情を注ぐと精神的に辛いので、おそらく今とは親子間の愛情の質も相当異なるものであったという情報も耳にしたことがあります。なので、小津安二郎とKazuo Ishiguroのイメージはあくまで戦前戦後の充分に近代化された後の日本の風景くらいに思った方がよいはずです。

これを踏まえると、現代の一人暮らしという暮らし方が異常とさえ思えてきますね。孤独死という言葉に含まれるなんとも言えない悲しさの背景には500年前のこうした文脈がチラついているのでしょう。近代化以前には今のような孤独死問題なんてなかった。そう考えると、近代化によって人間同士の連帯がバラバラにされてしまったということが問題になっているのも理解ができます。

昨今のビジネス界隈でもコミュニティという単語がよく使われますが、この原型は家族にあるとされます。あるいは家族を超えて近隣住人と作る村落共同体のようなもの。コミュニティとは地縁や血縁などで深く結びついた自然発生的な人の結びつきのことです。

社会学者のテンニースは、こうした自然発生的な人の連帯をゲマインシャフトと呼び、近代化するにつれてゲマインシャフトは完全に解体されゲゼルシャフトに移行すると分析しています。ゲゼルシャフトとは、自然発生的な人の結びつきではなく、共通の利益を求めて人々が各自の機能を持ち寄り役割分担がされるような人為的な人の結びつきのことです。会社とかそうですね。これはコミュニティの対義語としてはアソシエーションと呼ばれます。

よくウンチク的に披露される話ですよね。ただ単体で概念だけ見聞きしても使えないので、中世から近代への流れで発生している現象ということで文脈化しましょう。
コミュニティ(ゲマインシャフト)解体
      ↓
アソシエーション(ゲゼルシャフト)増加


中世において僅かながら自由の空気があった都市・ギルド

家族の外はどうだったのでしょう?中世では都市全体が一つのアソシエーションとして機能していたようです。つまり、都市に出てくればある程度はそこに自由の空気があった。しかし、市民はローカルの法律や慣習によってきびしく縛られていました。今も我々は法律や慣習によって縛られていますが、きびしくっていうほどでもないですよね。基本的には好き勝手できてしまいます。

自由の空気がある都市、そしてギルド集団ごとに人が働いている

また都市内部には無数の小さなアソシエーションとしてのギルドがありました。ギルドとは、職業に基づく組織であり、親方、職人、徒弟から成る商工業者の特権的同業団体と言うと少し分かりますでしょうか。

高度成長期時代の家族経営を標榜していた日本企業みたいな感じでしょうか。適当に言ってるので大きく間違っているかもしれませんが。ギルドは相互扶助や宗教的信仰や政治的責任なども担っていたようなので、ただの会社組織とは少し異なりそうです。

ギルド的結びつきを持つ人たち

近代化が進むプロセスにおいて、国家の支配力が強まっていくなかで中間集団が潰されていくわけですが欧州ではこのギルドを潰すのが大変だったそうです。ギルドの組織力は非常に強く大企業や統治者がこれらを屈従させ破壊しようとした際にも頑なに抵抗したとのこと。

うん、ギルドってちょっと分かりにくいですね。そもそも組合という感覚があまり分かりません。いつかまた理解を深めたいと思います。


神への唯一の通路として圧倒的な影響力を持つ教会

日本人に馴染の薄い教会です。ヨーロッパでは絶大的な重要性を持ちますが、それはいくつか紹介してきた西洋絵画を比較するだけで直感的に分かるかもしれません。

他の絵と比べて、ありえないくらい荘厳
神父の威厳がすごい
教育・学問の場でもあった

近代国家システムがなかった時代に、中間共同体同士がゆるやかな連帯をするために欧州の場合には教会の存在が大きかった。

システム的国家はなかったけど、一応王政などで国家の代表者のような存在はいたわけであり、そこから発せられるルールもあったのです。しかしそれらはほとんどの人が意識することのないところからやってくるルールであり、なぜ遵守しなければいけないのか分からない。

そんなときに教会を経由することでそのルールが聖化されます。つまり教会は中間集団の外側からの拘束に対して、内側からの自発性あるいは確信という支柱を与えた、と。そうした教会の媒介によって普遍的な義務と信仰体系が結びつき、共同集団が従うべき原理として成立していたということですね。

中世の教会の影響力についてはこれだけではよく分かりませんね。とにかく中世欧州人の人生においては教会の存在感と影響力が圧倒的に大きかったということだけ理解しましょう。

中世の社会構造+自意識のポイント

ここまでが一旦、中世とはどんな世界だったのかということの概要です。書きながら勉強していたわけですが以下のポイントは分かりました。

●ポイント1:自意識の持ち方
集団成員としての自分(中世)⇔個人としての自分(近代)

個人主義という言葉の意味が少しづつ分かりますね。人は中間集団の中にいて皆もそこにいた。個人で生きるなんてありえなかった。

●ポイント2:社会構造
教会中心での中間集団の連帯(中世)⇔近代国家システム(近代)

国家システムがなかったというのも少し想像できます。代わりにあったのが中間集団だった。その中間集団で最も力が強かったのが教会だった。


3:中間集団崩壊と近代システムの登場

ここから崩壊編です。つまり近代化です。年表にもあった通り1500年、つまり16世紀から急速に近代化が進むそうです。中間集団がゆるく連帯していたヨーロッパで何が起きたのでしょうか?

ちょっと長くなって疲れてきたのでサクッといきたいのですが、まだまだ続きます(泣)。作田さんは非常に分かりやすく崩壊を3つの視点で描いてくださっています。それは宗教・経済・政治です。宗教から見ていきます。

【宗教1】宗教改革(聖書主義)が起こり教会の力が弱まった

マルティン・ルター(1483-1546)って聞いたことがありますよね?彼は1517年にドイツで宗教改革を開始しました。何に対する改革だったのでしょうか?そう、教会です。

それまで中世社会で中間集団の連帯を担っていたカトリック教会に対して聖書主義(=アンチ教会主義)を打ち出しました。この聖書主義者たちのことをプロテスタントと呼びます。

教会の免罪符販売を批判する「95か条の論題」を壁に貼ったルター

なぜルターは聖書主義を打ち出したのでしょうか?その理由を一言で言えば教会が腐敗していたからです。要点だけ以下に引用しますが、詳しくはウィキだったり世界史の窓だったりを各自見てください。ここまで文脈があるとキリスト教関連の歴史も面白いです。

引用) 中世カトリック教会ではローマ教皇が圧倒的な権威をもち、民衆は幼児洗礼によって自らの意思とかかわりなく村落ごとに教会に属し、また教会・聖職者自身も封建領主として存在するようになり、腐敗堕落も進み、本来のイエスの教えから乖離する有様となっていった。それに対して、教会や聖職者の言葉ではなく、福音つまり聖書だけを信仰の拠り所にするべきであるという福音信仰、または福音主義、あるいは聖書主義といった信仰のあり方が唱えられるようになった。(省略)その後、カトリック教会に対する改革派は、プロテスタントと呼ばれるようになり、スイスに始まったカルヴァンの教えはカルヴァン派としてフランスやイギリスにも広がっていく。ただし、一般的にはルター派を指すときに、福音主義と言われるようになった。

(世界史の窓 福音信仰/福音主義)

聖書主義、あるいは福音主義というのはアンチ教会主義ということです。腐敗した教会で大勢の人と一緒にいるよりも、自宅で聖書を一人で敬虔に読んでいる方がむしろ立派なキリスト教徒じゃないか!という主張です。おそらく。つまり、ルターのはじめた運動は「教会を介さずに神と個人的に直接関係を持ちたい」という運動へ繋がったということです。

つまり、
1)教会は神への唯一の通路ではなくなる
2)教会から離れ、個人的な信仰を重視するようになる

という流れができるのです。中間共同体をまとめあげる存在であった教会が力を失う大きな流れということになります。

【宗教2】プロテスタンティズムの神に対する直接的関係の希求が、個人の魂を密室状態にした

では教会から離れていった人たちの精神は、どのように変化したかについて考えましょう。

プロテスタンティズムは、宗教を外面化させることは堕落への道だと考えました。反対に内面化することが重要だと考えたのです。それは「個人の魂の密室(=内面)においてのみ宗教は純粋さを保てる」という考えとなります。

だから宗教が外面化されたあらゆる堕落関連のものを排除します。外面化されたものの代表が教会です。神父が着る祭服・神を祝う祝祭日・教会の機能の一つであった教会裁判所など、教会に関するあらゆる制度や儀礼が宗教的堕落だと認識されました。聖像も以下のように破壊されます。

聖像破壊運動:外面化されたもの=聖像も破壊されました

教会だけでなく、神と自分の直接的・個人的な関係の邪魔ものは全て排除することを目指します。すると家族・親族の広がりですら冷淡に扱われたそうです。かなりエクストリームに聞こえますが、ここで注目すべきは中間集団の一つであった家族さえも除外する方向性に力が動き出したということですね。

このようにしてプロテスタントの神学において、キリスト教の基本要素として残されたものは以下の3つだけ。
1)万能で遠くにいる神
2)神の恩寵
3)単独の個人

神と自分の間には何もいりません。そこには神の恩寵だけがある。ここまでくると、本稿の2−2で述べた中間集団の意味の2つ目「キリスト教の神と信者個人の間」とは教会であったことが分かります。

このようなプロテスタンティズムの神に対する直接的関係の希求は「個人の魂を密室状態にした」んですね。つまり、中間集団の中にいる自分という中世的な意識から、神と繋がるための内面的に独立した一個人という感覚が立ち上がってくるわけです。

カトリック教会というのは中世的なんです。そして我々が今生きている近現代はプロテスタント的な時代なのです。だからニュースでローマ教皇がうんたらかんたらと聞くと不思議な感じがするんですね。ローマは中世的世界における最大の権威なのです。

キリスト教との関係で個人主義という感覚が分かってきましたね。次に経済的な視点を見てみます。


【経済】個人を労働者化する「近代産業システム」の登場

勘のいい方ならこの本が想起されるかもしれません。そう、誰もが名前だけは知っている名著マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904)です。もちろん私も読んだことはないのですが、我々は読もうと思えば多分この本を読む準備ができています。作田先生のおかげです。

カトリック後に新しく誕生したプロテスタンティズムの持つ信仰精神が経済を推進させる営利的活動に結びついた。そういうことで資本主義の精神なるものができて近代資本主義が発展した、という洞察です。へぇ〜という感じですが、なぜこの洞察が評価されているかということについては識者の推薦文を置いておきます。いつか読みましょう。

社会学史上最も大きな影響力をもった書物である。中国やイスラム圏に比べ経済的に遅れた地域だった西欧で、近代的資本主義が生まれたのはなぜか、という問いを通じて西洋と近代の本質に迫った。この問いへのヴェーバーの回答は、カトリックに対抗して16世紀に出てきたプロテスタントの厳格な倫理的生活態(エートス)度に、資本主義の精神の源泉があるというものだ。
資本主義は強欲と結びつけられているので、凡庸な学者は宗教的束縛から欲望が解放されたことが原因だと考える。だがヴェーバーは真実は逆だと洞察した。日常生活全体に禁欲を浸透させた思想が逆説的にも資本主義の精神に繋がった、と。
本書で特に重視されているのはカルヴァン派の予定説だ。キリスト教の設定では最後の審判のときにそれぞれの個人は天国に入ることができるのか、それとも地獄に行くかが告げられる。予定説とは誰が救済され誰が呪われるかは全知の神によって最初から決められており、人間のいかなる行為もその予定を変えられないとする教義だ。しかも自分がどちらに決定しているかを人間は予め知ることはできない。
ここで読者は躓く。こんな教義は信者に何の影響も与えないように思えるからだ。もし教師が生徒にお前たちの合否は始めから決まっていると宣言したら生徒は絶対に勉強しない。普通の宗教は何かをすれば救済されると説く。しかし予定説は何をしてもムダだとする。ならば予定説を信じたところで何が変わるというのか。
ところが何とヴェーバーによれば、予定説が人間の行動にかつてないほど大きな変化をもたらした。どんな論理が作用したのか。この論理こそ資本主義が隠してきた、最も奥深い秘密である。
ここでは思わせぶりのヒントだけ書いておく。神は(人間の教師と違い)全てを -- 結果だけではなく過程を含む全てを -- 知っている。信者によるこの想定に鍵がある。

好書好日. 禁欲の思想が生んだ逆説

ということで経済(資本主義)が発達します。

プロテスタンティズムが人間を目に見えない神との直接的な関係の中に引き込んだように、資本主義は人間を自由市場という非人格的で合理的な網の目の中に引き込んだのです。これが近代資本主義が生み出した「産業システム」です。

この産業システムは家族やコミュニティなどの中間集団から個人を隔離することで伝統的な道徳の拘束を弱め、個人を工場の中で最大限に稼働する生産機械のような存在に変えてしまった。つまり、人間は中間集団から自由な個人になると同時に、産業システム内の生産エネルギーの一単位として扱われるようになってしまったのです。人間は「労働者」になった。

中間集団が持っていた相互扶助的関係が衰退し、多くの個人が生まれ落ちた村落共同体から離れ都市に出て、個人的な利益追求、目標達成、野心実現をモチベーションにするようになる。

もちろん中世でも仕事や労働はありましたが、彼らが仕事をしていた理由は自分が所属する中間集団での共通目標の達成のためです。しかし産業化され労働者となった今日の私たちが働く目的は、集団の共通目標の達成ではなく個人の生計維持となりました。私たちは集団のために働くのではなく、第一義的に自分が個人的に生計を立てるために働くのです。これも今は当たり前ですが昔は違ったんですね。

資本主義が発達し、人々は中間集団から開放されて自由で個人的な労働者となった。その結果、何が起きたのか?「大衆」という概念が登場しました。大衆とは、マスメディアというときのマス(mass)です。

近代化が進むにつれて、中間集団→個人→大衆となったのですね。中世の中間集団を言い換えると「小衆社会」なのです。質の異なる複数の小衆がゆるやかに連帯していた小衆社会(=中世の中間集団的社会)から、人間一人一人が独立して暮らす近代の大衆社会へと変化したのです。これが今日の私たちです。

労働者として理想的な仕事獲得と自己実現を目指す人たちは、個人の道徳的・社会的な自由を強く求めます。つまり、好きなように好きな仕事をするように望むわけです。ここで親方弟子という厳しい師弟関係のある集団であったギルドが足枷となります。そして増加する中産階級によって少しづつ、しかし自浄的にギルドが根絶やしになりました。

ちなみに大衆社会の問題について考えた人がオルテガです。こちらも名著とされています。マックス・ウェーバーと併せて読みましょう。

【政治】社会全体を覆い尽くすかのような存在「近代国家システム」の登場

プロテスタンティズムの精神が資本主義の普及と進化加速させると同時に「近代国家システム」が登場します。ついに国家の話です。成立の流れを簡単に整理します。

国家の原初形態は、王と家臣との関係の中に求められます。王とは軍事的な首領であり、その独自機能は戦争におけるリーダーシップの発揮です。この軍事機能の上に、立法・調停・経済などの諸機能が追加されて近代国家に進化します。中世まではもっぱら軍事的な機能だけを担う集団だったのが、近代化するにつれて「人間生活のほとんどあらゆる側面を包括する集団」になったということです。

諸機能が追加されることで、国家は中間集団に対する圧倒的な優位を手にしました。作田氏は、近代政治史とは、国家が個人を管理するという段階の前に、まず様々な特権を持った中間集団を国家が打ち砕く過程があったと述べています。つまり中央の政治権力と、ギルド・村落共同体・身分・宗教団体の権威とのあいだに管轄権と諸機能の分担を巡る激しい闘争があった。

そこで国家が中間集団を弱体化させるための戦略の一つが「個人主義」の啓蒙です。国家は外側からの規制だけでは強力な中間集団を解体させるのは難しいと考えたので、中間集団の成員である個人の自律性・自由の獲得を支援しました。個人主義という考え方を広めることで、中間集団の内側からの解体を目指したのです。

つまり個人主義という考え方は、国家に対して個人が歯向かう形で生まれたのではありません。実は国家が中間集団を潰す中で確立されたのです。これが理由で、近代国家成立と同時に個人主義が発展しました。国家と個人が提携して、中間集団を挟み撃ちにして破壊したということです。

そして一度中間集団が弱まると、今度は国家はもはや個人の力を借りる必要がなくなったので、国家は個人の自由に対する敵対者として振る舞うようになります。それが今ですね。

ここで作田氏が改めて強調することは「国家は社会の全体ではない」ということです。ここは重要そうなのでそのまま引用します。

歴史的に形成されてきた一つの構造要素としての国家は、全体社会の中の一要素であって、全体社会そのものではありません。この点をまずははっきりさせておく必要があります。確かに、今日では社会のほとんどあらゆる領域で行われる行為は国家の法的拘束の内部で起こります。しかしそうだからといって、国家を全体社会と同一視することはできません。それはちょうど、中世において教会の統制が全体社会のほとんどあらゆる領域に及んでいたからといって、教会を全体社会とみなすことができないのと同様です。国家は、全体社会の中の他の構造要素に比べればとりわけ強い影響力を持っていますが、やはり一つの要素に過ぎないとみなすべきです。

『個人主義の運命 - 近代小説と社会学 - 』(1981)

著者が「国家は全体社会そのものではない」と強調される理由は、ナショナリズム・全体主義・国家主義に対する警戒心の現れです。Wikiの定義で恐縮ですがサラッと引用します。

●国民主義(Nationalism):国家という統一、独立した共同体を一般的には自己の所属する民族のもと形成する政治思想や運動を指す。アーネスト・ゲルナーは「政治的な単位と文化的あるいは民族的な単位を一致させようとする思想や運動」と定義した。この定義は完全ではないが議論の出発点としてある程度のコンセンサスを得ている。

●国家主義(Statism):自身の国家(≒政府)を第一義的に考え、その権威や意志を尊重する政治思想のこと。国家を「最高の価値あるもの」や「人間社会の最高の組織」と見なし、「個人よりも国家に絶対的な優位性があるのだ」とする考え方。

●全体主義(Totalitarianism):個人の自由や社会集団の自律性を認めず、個人の権利や利益を国家全体の利害と一致するように統制を行う思想または政治体制である。対義語は個人主義。

wiki

ということでソ連とかナチスとかを想起しますが、戦前の日本も全体主義国家です。中間集団の解体→個人が集まる大衆社会の成立→バラバラになった大衆をコントロールする国家の登場という流れです。

せっかく教会という中間集団から自由である個人になれたと思ったら、今度はそれよりもっと強力な国家が登場した。国家は自らの国益に叶うように個人の自由を厳しく管理するので、それが徹底されると全体主義的あるいは国家主義的ということになっていく。

日本の戦中戦後の時代に幼少期青年期を送った人たち、1920年頃から1950年頃に生まれた人たちは、日本の全体主義化についての強い問題意識があります。自分たちや自分たちの両親の世代が体験したわけですから。

本シリーズは村上春樹を読み解いていますが、彼は『若い読者のための短編小説案内』で「第三の新人」と呼ばれる作家たちを取り上げています。彼らは戦争のことは直接小説には書いていませんが、明らかに戦前の反省と今後どうすべきかという問いが頭の中にあるわけです。

そういった問いに対して三島由紀夫が考え、大江健三郎が考え、そして宮崎駿も村上春樹も、そしてその他の多くの人々が考え続けてきているわけです。もちろん日本だけでなく世界的に。

終わりに

中世社会の特徴を「地域的で人格的なきずなが強く中央権力との個人のきずなが弱くて持続しにくい」だとすると、近代社会の特徴はその逆で「中央権力の力がますます強くなり地域的で人格的なきずなが弱くて持続しにくい」ということになります。

この違いは、自由という言葉の意味の変化にあると著者は指摘します。中世における自由とは「都市や僧院やその他の中間集団が国家から自由になること」を意味していましたが、近代社会における自由とは「弱体化した中間集団からの個人の自由」を意味するようになった、と。

中間集団というのが現代で言えば、労働組合、商工会議所、農協、漁協などの職業団体、各種NPOや地域コミュニティー、宗教団体などが該当するようです。よくニュースで見るのは経団連ですかね。中間集団としての経団連は政府に提言として意見を伝えます。それ以外にもたしかにいずれの中間団体もあまり大きな力を持っているようには見えませんし、ほとんどの人にとってそうした団体に所属している意識はないでしょう。

しかし、本書が書かれたのは1981年です。村上春樹がデビューして間もない時期ですからね。それからもう40年以上(およそ半世紀)が経過しています。2020年代の今日において私たちはもっとバラバラの個人になっています。

試しに『逃げ恥』(2016)のTVドラマの紹介文を読んでみてください。

家庭という仕事場の「共同経営者」である森山みくり(新垣結衣)と津崎平匡(星野 源)。共働きとなり、2人に最適な家事の分担も出来て、平和で幸せな日々を過ごしていた。ところが…

TBS公式WEB

これって中間集団の基礎であったはずの家庭までもが仕事場であり経営対象になっていると書かれているんです。引き続き近代化が進む昨今の社会では、人々は「自らの家庭からも自由になりたい」と感じているんのでしょうか。まさにそれを実現しているのが「お一人様」とか「独身貴族」なのかもしれません。とにかく人と一緒にいるのは面倒だと。

一方で、中間集団がないことを問題視してそれを取り戻そうとする動きもあります。例えば、古いですが若者たちが一人暮らしではなく「シェアハウス」や「ソーシャルアパートメント」を選択するという行為はその一つの例でしょう。ビジネス界でも「コミュニティ・デザイン」や「街作り」という言葉が定期的に注目されますよね。中間集団的な何かを求めている人も多いのです。

しかし中間集団を作る能力さえも弱体化しています。有志が集まってもコミュニティとして維持できない、アソシエーションとして有料サービス化すればなんとなかなる、という現実があるのかもしれません。しかしサービス化すれば報酬ありきの単純な利害関係になってしまいます。すると近代産業システムが、すべてをビジネス化してしまっているということになります。

ということで大雑把に流れを把握しました。ところどころ無理やりまとめすぎているポイントがあるかもしれませんが、とにかく中世の特徴と近代化の流れを抑えたかったのでひとまずOKとしましょう。間違いを見つけたりもっと面白い情報を発見したら随時書き換えていきます。

そしてシステムとは何か?ということについては、まだ今回だけでは分かりませんが、一応考えるうえでの大きな流れは捉えられたかなと思います。今後もっと具体的に見ていきましょう。やはり中世はどんな時代であったのか?というは文脈を捉えないと近代って考えづらいですね。

引用:私がここで皆さんに伝えたいことはひとつです。国籍や人種や宗教を超えて、我々はみんな一人一人の人間です。システムという強固な壁を前にした、ひとつひとつの卵です。我々にはとても勝ち目はないように見えます。壁はあまりにも高く硬く、そして冷ややかです。もし我々に勝ち目のようなものがあるとしたら、それは我々が自らのそしてお互いの魂のかけがえのなさを信じ、その温かみを寄せ合わせることから生まれてくるものでしかありません。

エルサレム賞受賞スピーチ


ということで、私たちがシステムに対抗する際に「勝ち目のようなものがあるとしたら(略)その温かみを寄せ合わせることから生まれてくるもの」と村上春樹は言っています。

「その温かみを寄せ合わせることから生まれてくるもの」とは何でしょうか?中間集団的な組織の再結成ではシステムに勝ち目はなさそうですよね。「温かみを寄せ合わせる」というのは小説を読むということなのでしょうか?分かりませんね。全く分かりません(笑)

もはや今回は個人的なノートに過ぎないのですが、ゆくゆく「しらふの村上春樹を読み解く」ときに、中世から近代までの流れが理解できているとおそらくかなり役立つはずです。


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