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あったかもしれない未来なんて、無いのである

幼い頃に両親が離婚し、母、弟、わたしの3人家族は、生活保護をいただきながら暮らしてきました。
自分で言うのもあれですが、中高生の頃は国際結婚がしたいという不純な動機ではあったものの英語の勉強が楽しく、英語に限れば成績もそこそこ良かったので、留学したいとか、大学に行ってもっと英語を勉強したいとか思っていたのでした。

が、当然叶いません。
勉強をがんばって良い成績を取って奨学金を借りるから、と説得しましたが、「これから弟が高校に進学するのに、生活費はどうするの?」と。
それでわたしは高校では、進学ではなく就職を目指すコースを選択することになりました。

今となってはそんなことはないとわかりますが、当時は、就職できなかったら死んでしまうくらいに思っていたので、それはもう必死で勉強しましたし、素行も大事だろうと思い、3年間無遅刻無欠席。
弟曰わく、当時のわたしは“修行僧のよう”だったとのこと。

就職氷河期真っ只中でしたが、持ち前の運の良さで就職に成功。
仲の良かった同級生はみんな大学や専門学校でのキャンパスライフをエンジョイするなか、歯を食いしばって働きました。
どうしてわたしだけこんな思いをしないといけないの? と思いながら。

もし、両親が離婚に至ることになった原因がなかったら。
もし、弟とわたしの生まれる順番が逆だったら。
わたしもみんなみたいに進学して、バイトして、英語の勉強をして、外国語の枠の警察官の採用試験を受験できたのかもしれない。※もともと警察官になりたかったの……

そんなことを思いながら、とにかく仕事を辞めて他の何かになりたくて、いろいろなことをやってみましたが、全く続かず身につかず。
そのうち、仕事だけでなく日本まで嫌になり、海外を目指すようになりますが、いいなぁと思う仕事があっても“高卒”という学歴が大きな壁となりました。

大学に行けなかったせいで、やり直しもままならない……

というわけで、放送大学に入学しました。
それでとりあえず大卒という肩書きを手に入れて、退職し、海外に就職して移住する気満々でした。

そこに例の伝染病です。
それまで当たり前にできていたことができなくなり、一寸先は闇という言葉が身に染み、仕事があることのありがたみを噛み締めることとなるのでした。

その間に大勢のねこと一緒に暮らすようになったこともあり、海外移住は断念。
放送大学も、目的を見失ったためやる気が出ず、そしてコロナ禍に目覚めたきものの支払いが大変で休学しました。


……何を言いたかったのかわからなくなってきましたが。
あったかもしれない未来なんて、無いんですよね。
両親が離婚しなかったら。弟とわたしの生まれ順が逆だったら。なんて思ったところで、両親が離婚してなくてもお金はなかったかもしれないし、産道からオギャーと出てきてしまった以上、後戻りはできないのだし。

そしてこの順番で生まれなかったら、わたしはわたしじゃありませんでした。
きっとこの人生を生きたかったのだと(占星術の勉強を始めてからは特に)思います。

四十にして惑わず、とか孔子大先生はおっしゃっていたようですけれども、確かにこの頃ようやくいろいろなことに諦めがついてきました。
ねこたちと平穏に、健康に暮らせればそれで良い、そんな気持ちです。
それでも、冒頭のようなポストを見かけると昔の苦悩が甦り、心がひりひりとするのですが。

放送大学は、支払が少し落ち着いたので今学期から復学しています。
目的はなくなりましたが、せっかく入学したので卒業はしておきたいと思って。

自分が興味のある科目を好きなように選んで、20年遅れの大学生活をゆるゆると楽しんでいます(が、計画性がないので単位認定試験前にバタバタと印刷教材を読んでいます)。
あの頃のわたしが羨んでいた同級生たちのキャンパスライフとは全く違いますが、面接授業がてら小旅行を楽しめたりするので、これはこれでまぁよかったと思います。

自分がこういう人生だったので、もし子どもを複数授かったら、お金がないからとか、お姉ちゃん(或いはお兄ちゃん)だからとかいう理由でやりたいことを諦めさせることだけは絶対にしない、という思いがありましたが、結局、ひとりも授からない人生でしたね。