あと46日|「家族じまい」著:桜木紫乃 から考える家族と介護のこと|三世代同居までの道のり|
昨日、不甲斐ない「家族じまい」の感想を載せてしまったので、本日リベンジです。
※多少ネタバレあり
「家族じまい」は、ネット上でこのように紹介されています⬇︎
認知症の母と、齢を重ねても横暴な父。両親の老いに姉妹は戸惑い、それぞれ夫との仲も揺れて...。別れの手前にある、かすかな光を描く長編小説。(Googlebook 紹介文より)
小説は第一〜五章に分かれており、それぞれの章ごとに老夫婦の親族・知人の関係に当たる女性目線からの日常が描かれています。
(全員女性目線で描かれていたのも、私的に面白ポイントでした🙌)
ある日知らされる母親の認知症。認知症って病気は、ある日突然発症するのではなくて、少しずつ症状は進行していくもの。でも、離れて暮らす者からしたら、「突然母がボケた」という受け取り方になってしまうのも無理ないか。。
そして、そんな親の老いを知った時、それまで各自が抱えていた他の問題(子供の教育に関すること、職場のこと、夫との関係etc…)がリセットされるわけではなく、それに上乗せして#認知症 #介護 #これからの親の老後 みたいな問題が次々とのしかかってくる。実にリアルだ。
小説だとわかっていながら、そんな娘たちの状況を文字で読んでいるだけで、居た堪れなくなったり、なんともやるせ無い気持ちになったりする。
そして、小説の中には、この老夫婦と血縁関係のない女性たちも出てくる。
ひとりは、老夫婦の娘の夫の弟の嫁。
もうひとりは、老夫婦が旅行先で出会うサックス奏者の女性。
血の繋がりのない者から見た〝家族〟だからこそ、見えるもの、気づくことがたくさんある。
そして老夫婦も、家族ではない者だからこそ、ポロっと本音をこぼせることがある。
〝家族〟だけの世界で家族の問題を抱え込むのは限界があるし、そこに他人の存在があってくれることで救われることは大いにある。
「家族じまい」を読んで、〝家族〟って、本当にいろんなカタチや感情を含んでいるもんだんだなと、改めて教えられたような気がしました。同じ家族に属していても、そこにいる一人ひとりの感情は決して一致することはなく、それぞれの思いを乗せて日常が送られているんだと。。
自分の家族に置き換えたってそう。わかりやすい例でいけば、うちの家族に誰か他人から「仲のいい家族ですね」と声をかけられたとして、「そうなんです」と思う者もいれば、「実はそうでもないですよ」と言いたい者もいるかもしれない。決して皆が同意見ということはない。(※現実的に仲がいい、悪いはひとまず置いといて)
そして、理想的な家族のカタチは、皆の意見が完全一致する状態とかではなく、「家族一人ひとりにそれぞれの考え方、感じ方、思惑があるんだ」ということをみんなが理解している状態だなって私は思います。だから気持ちのすれ違いが起きるのも当然だし、家族の行動に腹が立ったりするのも当たり前のことであって、それに対して自分の考えばっかり押し付けたところでうまくはいかないよってことをわかっておくことが大切だなと。
間も無く、交通事故から手術を乗り越えた祖母が退院する。
退院したら、祖母にはそれまでの生活とガラッと変わった日常が待っている。もしかしたら感情が追いつかず塞ぎ込んでしまうことだってあるかもしれない。入院中に体力も気力も落ちたように見える祖母が、これからどんな生活を送っていけるかは未知数な部分が大きい。
そして、祖母が帰って来れば、我が家の両親、私、他の親族の生活にも多かれ少なかれ変化が生じるのは覚悟の上だ。ただその覚悟も、各自がどの程度の覚悟をしているかはわからない。負担が大きい、小さい、こんなものかとどう感じるかもまた未知数である。
未来のことに気を揉んで、今から過剰に構えることも不要だと思うが、こまめにお互いがどう感じているのか、言葉として共有する習慣はつけておきたいなと私自身は思っている。
さっき母が祖母との電話を終えて、「本当に耳が遠くなっちゃって困るわ」とぼやいているのを聞き、「あなたもそう遠くない将来そうなるんですよ」と声に出して言ってしまった。
いつかは私たちが両親の介護に頭を悩ます日がくる…
その時、もう一度「家族じまい」を読んでみたい。どんな風に自分が言葉を受け取るのか、もう一度体験して見たいと思います。
お読みいただきありがとうございました。
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