【妊娠と母と】私の心のダムを決壊させるための記事です
悲しい。苦しい。動悸がする。
自律神経が乱れている。ストレスが溜まっている。心に涙がたっぷたぷに溜まっている。もう、溢れそうだ。溢れさせてしまいたい。そのためにこの記事を書く。
ストレスの原因は、私の母にある。
愛おしくて憎い。
憎くて愛おしい。
母が原因だ。
我が子のベビーカーを選ぶのに、母と喧嘩した。
私が求むベビーカーと、母が求むベビーカーが違っていた。「まにょの好きなやつにたらいいからね」と言いながら、「自分のためを思うならあんたのほうにして、ほんまに赤ちゃんが大切ならお母さんが選んだ方にし。」と言ってくる。そんな言い方しなくても。まるで私が選択したほうは、赤ちゃんのことを想わない自己中な選択だと言われている気分で。
散々涙を流しで喧嘩したあと、友人とご飯に行って。
その時も母から電話がきて、「あんた先に謝罪しなあかんのんちゃうん?!」と電話口で怒鳴っていた。友人の前で謝罪する私が、みじめに思えた。
昔から、母の言うことを聞いて生きてきた。
「あんたは好きなようにしてきた」と母は言うけれど。
バレーボール部に入るという私に対し、「あなたは吹奏楽部に入ると思ってた、吹奏楽部に入ってほしい」と涙ながらに訴えられた。私が吹奏楽部を選ばないと母が悲しむ。私は、吹奏楽部に入った。
吹奏楽部は全然楽しくなかった。センスがないし楽しくもないから、いいパートをもらうこともできずにぬるっとと吹奏楽部生活を小学生で終えた。バレーボールを楽しむ友人が、ずっとずっと羨ましかった。
「みんな学校でこのカーディガン着てるんだ。私だけ着てないから買ってほしい。」
そんなことを伝えると、「こっちのがいいから。」といって、皆が着てるものより高いカーディガンを買い与えられた。確かに質はいいけれど、みんなのものより丈が短い。私は皆と同じ長い丈のカーディガンが着たかった。「まにょのやつ、短くない?笑」と友人に笑われた時は辛かった。「これじゃないんだよね」と勇気を出して母に言うと、「ほんまわがままやな!あんたがほしいって言うたんちゃうん!!!」と怒られた。私の心に寄り添ってほしかった。
学校の成績が悪いとひどく怒られた。「ちゃんと勉強しなさい!!!!」。試験の前日は、泣きながら机の下にもぐって必死に暗記した。「何を泣くことがあるん」と言って、母は部屋を出ていった。
「薬剤師なれば???」
母のその何気ない一言を、私が勝手に私の心に深く印象づけた。
別に薬剤師に強い思い入れもなかったけれど、「医療に携わりたい」という唯一の私の希望には沿っていたから、なんとなく薬剤師になった。
薬学部に入ったとき、国家資格に合格したとき。家族親戚全員が「すごい!!よくやったね!!!!」と褒めてくれた。素直に嬉しかったし、誇らしかった。母も、「ほんまこの子の大学生活のときは大変やった」と周りに言いながらも、誇らしそうにしていた。
私が夫と出会って結婚式の準備をしているときも、辛いことがあまりに多かった。
「食事は絶対こっち!あんたええ加減にしなさい!!!」
「花は高いほうがええやろ?!?あんた何考えとん!!」
プランナーさんの前で、泣いてしまった。
「ちゃんとあとで旦那さんと決め!!お母さんのやつそのまま通したらまるで無理やりそんなふうにあんたにさせたみたいやんか!!!!!」
そう言われ、涙を堪えながら夫と何度も打ち合わせにいった。
結婚式を終えたあと母は親戚に、
「あの子は自分がやりたいことぜ〜んぶやったで!!!」と、笑いながら言っていた。心の傷が、じわりじわりと痛んだ。
自由に生きる妹が羨ましかった。
母の抑圧に負けず、「やりたいことをやる!!着たいものを着る!!!」そんな願望をすべて叶える妹が心から羨ましかった。妹のように生きたかった。
「私も妹みたいに自由に生きたい」
母に泣きながら言うと、
「十分自由に生きとうわ」と言われた。
母に、寄り添ってほしかった。
関東に嫁ぐまでの半年。
実家に対する名残惜しさより、
早くこの家を出ていきたいという気持ちの方が大きいことに寂しさを感じた。
私が嫁ぐというにもかかわらず、
父と母は大喧嘩を繰り返して。
その度に私が仲裁に入って、
「あなたは私に寄り添ってくれない、娘なのに」と母に泣かれた。やつあたりを何度も繰り返された。
そのたびに、早くこの家を出たいと何度も1人ベッドで泣いた。
実家を出て夫と暮らし始めてからは、
私の人生で初めての平穏が訪れた。
毎日が楽しい。毎日笑ってる。
穏やかな時間が、私を包みこんでいる。
「行きたいお店がある」と言うと、
「行こ(๑╹ω╹๑ )♪」と笑う夫がいる。
「私が悪いよね」と言うと、
「自分を責めなくていいよ(๑╹ω╹๑ )」と慰める夫がいる。
「辛かったんだよね」と言うと、
「確かにそれは辛いね(๑╹ω╹๑ )」と寄り添ってくれる夫がいる。
寄り添ってくれるありがたさ。
笑いあえる幸福。
穏やかな時間という尊さ。
それはすべて夫が教えてくれた。
夫のとなりにいると、
私の心は静かで、穏やか。夫のおかげで。
実家に帰ると、
私の心は台風のように荒れて、乱れる。母のせいで。
こんな風に書くと、
「毒親だ」
「まにょさんかわいそう」
「母親最低」
と思われてしまうかもしれない。
だけど私は冒頭で書いたように、
母のことが
憎くて、
愛おしい。
たぶんそれは、
母の心の奥底。真ん中。
一生懸命に目を凝らして、
奥底に向けて手を汚しながらでも土を掘って掘って、
「・・・・・・あった!!!!!!!!!」と見つけたら歓喜してしまいそうなほど、母の奥底にある愛があるという事実を知っているから。
今のこの令和の時代だと、完全に
「モラハラ夫」に分類され、離婚の一文字で片付けられてしまう父。そんな父を夫に持った母。
そして、父のそのモラハラ度を余裕で飛び越えるレベルのモラハラを発揮していたのが、母の父。私の祖父だ。
話を聞くだけで、「私には耐えれない」。
そう思うほど、あまりにもひどい。
私は結婚してより一層、父から浴びせられる何気ない一言にいかに母が傷ついてきたか実感するようになった。
「耐える」
母はそんな人生を送ってきたように見える。
鬱に近い状態で、私達兄妹3人を育ててきたのだと思う。自分の感情のコントロールがきかず、泣いて医者に相談したこともあったそう。「怒鳴りたくないのに、叩きたくないのに。怒鳴ってしまう。叩いてしまう。最低な母親だ。」。
母は常々、自分と闘っていた。
私達を守るために。
私は友人によく言われる言葉がある。
「まにょは本当に幸せな家で育ったよね。」
そんなことはない。
私からすると、私の家は常に戦争と休戦を繰り返してきた、闇が深い家なんだと。そう思う。
私と同じように母に育てられた兄は、
母とは一線を引いている。
母との距離が近づくと、胸がざわついてそばにいることができない。
私と同じように母に育てられた妹は私と同じで、
「母は母」という考えのもと、
上手に母と向き合っている。
母のことが嫌いで、母のことが大好きだ。
私は母の人格がどうこうとは思わない。
私は根本的に、
「人は環境が作りあげる」という考えがある。
私が母と同じ環境に置かれていたら、
たぶん私の人格は破壊されていたと思う。
母のような理性を保っていられない。
だけど母は違った。
「子供を守る。家族を守る」。
その一心で。私達のために。
自分の心、そして時には私たちの心を傷つけながらも、母は家族を守った。
そんな母をもった私は結婚式の際、
「お母さんのことが大好きだよ。」と手紙を読んだ。
この言葉に嘘偽りはない。
好きだから憎い。
好きな人があんなことを言うから余計に傷つく。
私は好きという感情に囚われているのではなく、本当に母が好きなのだ。
私はまるで被害者のようにここにあんなことをされた、こんなことを言われたと書いているけれど、
私だって同じことを母にしてきた。
母に対し私が
「母は寄り添ってくれない、孤独」と感じているように、
母も私に、
「娘は寄り添ってくれない、孤独」と感じたことが、
数万回あるのだろうと思う。
だけど母は、
私が実家に帰る数日前から楽しみに待って、
会うと私を抱きしめてくれて、
愛おしそうに私のお腹に手を添えてくれる。
人間とは。
親子とは。
綺麗な家族、美しい家族。
そんな家族はたくさんあるだろうけど、
綺麗さ、美しさしかない家族なんて
きっと無いのだと思う。
どこの家にも光があれば闇があって、
家族皆でその闇に彷徨い、苦しむことがあって。
そして光にたどり着いたとき、
みんなで「幸せだね」と笑い合う。
そしてまた当たり前のように闇がやってくる。
よく言う、
朝が来れば夜が来て、
夜が来れば朝が来る。
それと全く一緒なんだろうと思う。
私に動悸がするほどストレスがかかるのは
お腹の赤ちゃんにとってよくないと思って、
なんとかしないと・・・・・・!!と焦り、
ウォーキングをしたり
食べ物を意識したりしたけれど。
親子でもこんなときがあるんだよと。
お母さんは今、あなたのおばあちゃんとうまくいってない時期なんだよと。
私とあなたにもきっとそういう時期がくるだろうけど、
一緒に乗り越えていこうねと、
お腹をなでながら話す。
美しいものばかりを見てると
その美しさが当たり前になってしまうから。
美しいものが美しいと忘れないように、
今のこの苦しさ、悲しさに
しっかりと浸りたい。
そしてまた笑いあえた時、
「こんな時間が幸せだな」と
心をじゅわりと温めたい。
我が子のために心の整理をするんじゃなくて、
私のために心の整理をゆっくりとしていきたい。
そんな姿を、
きっと我が子はお腹の中で見守ってくれているだろうから。
あなたがいてくれてよかった。
母が憎い。
そんな時期があったって、
いいじゃない。
またきっと、
温かな未来はやってくる。
今までそうだったように。
まにょ。