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裏を鍛え、何かの役にたてたき候

この頃、利き手でないほうの手で箸を使ったり、字を書くようにしている。

別に大した理由がある訳では無い。何となく、やってみたいと思っただけだ。

「宮本武蔵も五輪書の中で、「一命を捨つる時は、道具を残さず役にたてたきもの也」と書いてあるのを見て、僕も同感だと感じたから。」とでも言えばカッコ良いのだろうけれど・・・。

自分の体の部位を道具と見立てるのは、正しいかどうかは知らないが、せっかく、ちゃんと動くのだから、もっと使ってみたい。

別に、誰に褒められなくてもいい、誰にお墨付きを頂かなくてもいい。
周りに「あいつ、スゲー」とか言われたいわけではない。
ただ、面白半分でやっている。


始めて左手でご飯を食べようとした時は、大変だった。

箸が使えない。
動かそうとしても、動かない。
何とか動かし、物を挟んでも、直ぐ滑り落ちる。その内、疲れてしまう。
そんな繰り返しをしていたが、最近は上手く使いこなせるようになってきた。
左手で、ご飯をつまみ、口に運べ、食べることが出来るようになったのだ。(自分を褒めてあげたい。)

ま、まだまだなのだけれど、鍛えれば何とかなるもんだ。

それと同じように、片耳も鍛えることにした。

どういうことかというと、もともと片耳が聞こえづらい状態だったのだけれど、補聴器を買って無理にでも音などに慣れさせようと言う訳だ。

ま、これも聞こえやすくなっても、ならなくてもどっちでもいいんだけれど(なんせ今まで不便さがあっても、なんとかなってきたから)、ネットで見てたら安い補聴器があったので購入して装着してみた。


世界変わった。

聞こえづらい側から、音が聞こえる、人の話し声が聞こえる(何言ってるかは、わからないけれど)。

健常者(両耳聞こえる人)は、こんな風に聞こえているんだなと初めて体感して、もっと早くから着けとけば、楽しい時間が増えたのかもと感じた。


自分の世界って意外と狭い。
いろいろ知ってるようでも、知らない世界の方が今でも多い。
多分、知らなくても人並みの生活はできるけれど、知れば自分の価値観や考えが変わり、生き方も変わってくるのかもしれない。いや、きっと変わる。
前より、強く、優しく、柔軟に生きれる。
なぜなら、知ってしまったから。

それは、多様性を認めようと叫んでいる、今の世の中にも合っている。
自分の世界が狭いなら、多様性とは一体何なのか分からない。
「俺の周りには、そんな奴いないよ。」ってなるよね。それでは、優しくなれない。

でも、難しいのは、いろんな世界を知ろうとしても、皆が皆知ることができない事なんだと思う。

僕は、たまたま生まれつき片耳が聞こえずらかったから、補聴器って便利だなとか思えた訳で・・・。
たまたま、統合失調症に罹って、隔離病棟に入院したから、精神疾患っていろんな症状があるんだなと思えた訳で・・・。
そこで、塩分摂取の重要性に気付いたから、「PASA(加塩推進協会)」なんて言ってみたりする訳で・・・。
それらを疑似的に体験するのと、本当になってみるのでは感じ方が全然違うことが分かった。
心身が強く、病気一つしたことないよって人には分かりえない世界だ。

だから、こんな note みたいな場所で、何か発信できればいいのかもしれない。


さて、人生100年とすれば、折返しまで後5~6年。

したいことは随分やってきたけれど、自分の中の使ってない部分はまだまだありそうだ。これからは、そういうところに目を向けて、鍛えていきたいと思う。

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