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なんでも知っていて損はない、はウソ!?
これは、又吉直樹のヘウレーカという番組を見て唸った話。心に残っているので書いてみます。
知ることで失うものもある
ココで言う「知る」は何らかの事実を知ることではなく、知識を得ることを指す。
「なんでも知っていて損はない」って、なぜその知識を得る必要があるのか、説明できないときに使う嫌な言葉だ。
目的もなく知りなさい、と言っているようなものだ。目的がないけどやりなさい、と。
いや、今回はこういう話をしたくて書いたんじゃない。ついつい。笑 すみません。もどします。
この「損はない」に騙されてはならない。
知った分、人間はしっかり損をしている、という話。
まぁ、損失と捉えるかは人それぞれだと思うけれど、
これからの時代は、特に大事になってくることなんじゃあないかと思う。
知識がフィルターに
人は何かを知ると、「何かはこういうもの」と認識する。知識として。
それだけなら何の問題もないのだが、
その人の感覚が捉えたものをアウトプットするときに、捉えたものについての知識があると、
捉えたまんまをアウトプットすることができなくなってしまうのである。
例をあげよう。
よく知っているAさんの写真をノーマルに見て、Aさんの顔を描くのと、
同じAさんの写真を自分の股の下から覗き込んで逆さに見て描くのとでは、
全然違う絵が画用紙の上に出来上がる。そして、描く本人も、逆さのほうが難しいと感じる。
どういうことかというと、
前者は、「見て、判断したもの」
後者は、「見たまんま」
を描いた、ということになるそうだ。
逆さに見ることで、いつもと違う見え方になるので、たとえ知っているものであっても、初めて見るもののように、しっかりその対象を見ようとする力が働くらしい。
自分の感覚が得たものを素直に表現することを、「知識」が、妨げてしまうのだ。
いろんなことを知っていれば知っているほど、
自分の直感や感性という唯一無二の貴重なものがせっかく捉えたものを
正確にアウトプットできなくなるってこった。
もったいない……
反対に、知っていることが多いほど、リンクの奇跡が起きやすくなって、柔軟な発想ができるようになる、という考え方もあるだろうけど。
っとまぁこんな感じで
この回の放送を見たとき、唸ってしまったのである。
芸術家は何がすごいのか
コレを考えると、
自分らしく、かつ、人の心を揺さぶるモノをつくる人、表現する人って
この知識フィルターを通さずにアウトプットできる人なんだろうな。
そんな気がする。ピュアなアウトプット。
だから、人の心を揺さぶる。
NHKってほんと、いい番組するよなー。
ありがとうNHK。
知識を得る基準
損にならない、という理由なき理由で
むやみに知識をつけることはしたくないし、人にもオススメしたくないと思う。
自分が知りたいと思ったこと
知りたいわけじゃなかったけど、
ご縁があって知ったこと
を大切にしたい。
そして、自分の直感や感性を磨きたいし、心を解放する時間をちゃんと作っていきたい。
コレってこれからの時代に、めっちゃ大事なことのように思うんだけれど。
知ることを押し付けられることが多い高校生のチビたちにも、こんなことを考えて行動させてやりたいなぁ。