まんさく中村
思った瞬間 スノコ製の棚を支えていた針金がカーテンレールの上から床に垂れて、右側から崩れて四個の樹脂製の鉢がドサドサと足元の床に転がった。カーテンレールの位置から吊り下がった針金がブラリと床近くに垂れている。 予兆はなくて、頭の中で「落ちる」と言う言葉が浮かんだと思った瞬間に棚の崩落は起きた。 最近自分が note に「予知」とか「時間のズレ」といった事を投稿しているせいなのか、突然に起こった現象にも以前程に驚かないでいる。 気になるのは「原因」である。きゃしゃなスノコ製の棚
序 章これまでに2つの「時間の不思議」を述べてきました。一つは教室の中で起きた「瞬間で未来が見えた不思議」であり、もう一つは「戯れにnoteに残した記事が1年後の自分に展開した不思議」 50年前と4年前の出来事。 46年隔てて現れたこの2つの事象は無関係な存在ではない。 私たちが「縁もゆかりもない遠い世界の事」のように感じているこれらの「時間の悪戯(いたずら)」今日の私たちの日常にも深く影響を及ぼしている。 私はこのことを出来るだけ分かりやすく伝えたいと思う。 いかんせ
冒頭の写真の中の文章は2019年2月に発表した note の記事の抜粋ですが、地方病院の病理検査科職員が検査室内から、人の形をした真核細胞を持ち出し、自宅で培養し成長させるという荒唐無稽なSF小説仕立てで、大騒動を巻き起こすことになるのだが、冒頭の亮青年のキャラクター設定の折に彼を「無類の女好き、スケベ、女たらし」として、何故だかその性格を生来のものとはせず、インフルエンザウイルスを発症した際に同等の得体の知れないウイルスをも取込み、世界に5例しかない珍しいタイプの症例とし
春には大きな地震があったんだよな 教室の窓際で収穫まじかの黄金色に広がる田んぼを眺めながら太一がふとそう思った時、片肘をついてる机が揺れはじめた。段々揺れがひどくなり、教室の中の女生徒たちがが小さな悲鳴を上げはじめて、窓ガラスがガシャガシャ音を上げた辺りをピークに地震の揺れは次第に収まった。 級友たちが誰となく顔を見合わせながら、 「十勝沖地震より小さかったナ」 と口々に言う。 太一が「春には大きな地震があったんだよな」正にそう思ったときに揺れた地震。 誰に言うともなく
心筋梗塞 痛みよりも幻覚に悩まされた メールに助けられて… 目が覚めた 10/30/11:00 パパ いま病院だ。入院している。 17:00 林檎 どこが悪くて入院したの? 私が倒れたのは10月24日(火)午前四時頃。 それからおよそ一週間後に林檎にメールを入れている。 一体どういう事なのか… 徐々に私が「心筋梗塞発作」で倒れた当時の状況が掴めてきた。 倒れた時刻に私は病院の夜間受付室の中の机の上でボイラー日報の用紙に記録を書き込んで
幻覚というもの 幻覚は現実以上に実感を伴って感じられた。 幻覚を見てもほとんどの場合、見た日にちや時刻を覚えていない。だからこそ幻覚なのだろうか。 ニュースの報道で薬物中毒患者などが暴れて事件を起こしたりするのは、何らかの幻覚を見てのことではないだろうか。 某中央病院の夜間受付室内で午前4時の明け方近く、突然私を襲った心筋梗塞。それによって引き起こされた脳の血流障害などによる意識異常・幻覚作用について感じたまま、出来るだけ現実に起きた出来事と分離させながら当時を再現でき
相語らば 言の葉となり 連ぬるは文となる 人の情けに触るるは 泪と流る 言の葉一葉にしては 成すことなし 集ひしこそは 色極め 身ひとつなれども よろづ通へり さればみなこれを糧とす 善くはからへば 善き人をうみ 善き国を成す これまた道理なりき
上野に着くまでの間、当然ながら子どもたちは仲良し同士下段ベットの狭い空間に集いのトランプゲームやら何やら始めだした。 汽車内の移動は乗り込んだ同級生たちの二両の客車に限定されてしまう。 好奇心のままに車両内をうろついて見ても楽しい隠れ家は見つからない。勢い用を足す目的でもなくトイレをのぞけば、あらかじめ教師がドアの前に立ち待ち構えている。 たいがいはこんなあんばいで思春期の男女の好奇心を満たすようなスリルには出会えないままに、教師からの消灯のオフレが車内にこだます。
つづり続けて八日目 ようやくここまでたどり着いた 少しお尻のオデキが痛い でも心地よい ひとりで千葉県の館山へ行った時の事。 館山湾は広く、ボートを借りれば良い釣果が望めるという話を聞いて、早速ボートを貸してもらえる釣具店を訪ねると、主人は少し困惑した様子だった。 「ボートは貸せないことはないんだが、ウチではやってないので知り合いを頼んでお世話しましょう」 ボート一隻借りるにしてはちょっと大げさな感じ。 どうしたんだろう、という感じだったが主人はすでにその知り合いとやら
今まで毎日発信を続けて7日目。果たして穏やかにラストを迎えられるのでしょうか。 八丈島お正月キャンプ 八丈島での事を思い出す。 それは釣り同好会を作るきっかけとなった。私たちの最初の出会いの頃のことである。 私とリーダーが再会してから間もなく、もう一人の知り合いのアパートで三人が会い、釣りを含めてよもやま話に熱を込めて話し込んでいた時、テレビに八丈島の釣りが紹介されていた。 その番組に見入りながら 「関東一円の地磯は場荒れしていて、すれた魚が多くて、大した釣りにならない
危険なことはよそうと思っていたのに… 石廊崎沖へは何度かゴムボートで出たことがあるが、強烈なうねりの中に巻き込まれたことがある。 家一軒ほどの大きな波の中で木の葉のようなゴムボートがまさに飲み込まれてしまいそうな状況に陥った事があった。 その日は出航する前から、低気圧の影響で時折強い雨に見舞われていた。 ただ湾の中はあまり波もなく、なんとか釣りになりそうだった。 「たとえ雨に降られたってゴムボート沈むことがないから大丈夫だよ」 こんなお気楽な会話をしながら沖へでた。
暗闇の磯で一人思ったこと 釣り人にはそれぞれに様々な釣りの楽しみ方がある。 トローリングや沖釣りで大魚を手にすることを狙いとする人。 ただウキを付けた竿を眺めながら、さして魚が釣れることにこだわる事なく、天気の良い一日をゆっくり楽しもうという人。 道具に凝り和竿やウキ・仕掛けなどを自作して、その出来栄えを楽しむ人。 食い道楽の人なら、魚の大小に関わらず美味しい魚が釣れればいい。 反対にルアーフィッシングをする人の多くは自分のキャスティング技術や、ルアーの選択の適不適
こうした数多くの見当違い・失敗を重ねながら、多少ながら釣果もあった。 しかし釣り雑誌に紹介されているような羨ましいほどの大物に出会ったことはほとんどなかったのだが、数少ない釣果のうち、リーダーの的確な判断から四十センチに迫るカサゴを物にした会員がいた。 そのころは石廊崎方面へ出ることが多くなっていた。 言わば魅せられてしまったのである。 石廊崎は伊豆半島の南端に位置している。海はあくまで青。奇岩が海面から様々な 形容を現し、バナナ等が茂る植物園もある。 早春の頃か
十月の伊豆半島・石廊崎。伊豆の十月はまだ暑さが漂っている。気温は夏日を越えることもよくある。 その日も暑い静かなナギの一日だった。海水温も高い。この時期、沖では上物狙いが良いのである。 ゴムボートを積み込んだ古いライトバンが石廊崎付近の漁港に停車した。足踏みポンプでゴムボートに空気を送り込むのだが、長時間ではないにしろ、原始的でやり切れない作業だ。10分程度でパンパンに膨らんだ。 例の東京湾での一件以来、リーダーはゴムボートについての知識を詳しく学んだらしく、夏場
夏も近いながらも梅雨寒のどんより曇った空模様のある日、千葉県の富津から出たゴムボートは一海保へ向かった。 一海保はその昔、戦争のためにコンクリートブロックを埋めて作られた人口の島である。何基もの砲台跡が沖を向いて配置されている。 長い歳月の間、風雨にさらされて黒ずんで崩れかかってはいるものの、ここは戦争当時のまま時が止まっている。 半径二・三十メートルの小さな人口島に五十人以上の釣り人がひしめくように竿を振っていた。東京はどこへ行っても釣り人がいる。 それは仕方のな
きのう七戸の兄に電話してみたら、渓流釣りの最中、指に釣り針が刺さり、病院で手当てをしてもらったと聞いた。 釣り針は時には指を指し抜いたり、衣服を痛めたり、時には地球引っ掛ける時もある。 魚を釣るのが本来の目的だとは思うのだが、特にビギナーの頃はよく色々なものを釣り上げる。 私なんかも釣りを始めたばかりの頃ほ、単なる根掛かりでも大物が掛かったと勘違いして高価な釣竿なんかを傷めたりした。 私が釣りを始めたのは東京にいた頃、二十年ほど前のことだった。 きっかけは久しく逢