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#1.向日葵を手折る
まのちーです。
特におすすめしたい!と思った本を感想書きながら紹介します。
(ヘッダーの写真は、向日葵ということでなんとなく挿入しました。作品に関連する写真ではありません。)
記事後半はネタバレを多分に含みます!(区切り線あり)
向日葵を手折る(彩坂美月 実業之日本社)
ジャンル:小説 ページ数:445
2020年初版
![](https://assets.st-note.com/img/1738202416-CgcXJeLdSGlxEov30hZpw1MA.jpg?width=1200)
明るさの象徴なはずの向日葵がどこか暗い、、、?
今回ご紹介するのは、彩坂美月さんの「向日葵を手折る」
小学6年生のみのりは、父の急死をきっかけに、母と2人で母方の祖母が住む山形の実家に引っ越すことに。
あまりに力強い自然と共存するこの小さな田舎町は、東京とは何もかもが違いました。
思わず家を飛び出し、近くを散歩しに行きます。見慣れない生物に手を伸ばそうとすると、声をかけてくる少年。怜との出会いです。彼はどうやら同じ小学校の同級生となるらしい。みのりは転校前に抱いていた田舎への不安を裏切るように、怜からは悪意や厭らしさも感じない、優しさを感じました。
翌日、家の近くの神社を散歩していると、みのりは少女が少年に囲まれ、蹴られているところを目撃します。あろうことか、その蹴った少年のそばにいた子は昨日の怜ではないか。みのりは、あれだけ優しそうだった子がまさか暴力的な少年とつるんでいたという事実にショックを受けます。彼はどうやら隼人というらしい。少女は、引っ越してきたばかりのみのりに、隼人が乱暴少年であることを教え、近づかないほうが良いといいます。少女は蹴られたときの怪我のこともごまかすらしい。なぜなら、隼人には「逆らえないから」。
ある日、みのりが散歩していると茂みに顔馴染みの少女を見かけます。不思議に思って少女に近づくと、その先には子犬と思しき前足が土から顔を出していました。少女は「向日葵男の仕業」だといいます。まるでそのワードを口に出すのすらタブーであるかのような雰囲気に、みのりは底知れない不気味さを感じます。
、、、そういえば昨日、「うちの犬が子供産んだ」と喋っていた隼人がいたことを思い出します。確かに隼人が連れていた犬と特徴が同じだ、きっと隼人の犬の子供だ。乱暴者はまさか動物にまで手をかけるのか。
まるで金魚鉢のように閉鎖的なコミュニティである田舎町の持つ、明るく生き生きとした姿と暗くどんよりとした姿。明るさの象徴であるはずの向日葵に不気味さの要素を付加する「向日葵男」とは一体何者なのか。多感な時期の少年少女たちの目まぐるしい変化やたくさんの「はじめて」にも注目です。
親族の不幸をきっかけに都会から田舎へ移り住むことになった少女が、あまりに生き生きとする自然のもとで活力を取り戻す甘い青春物語なのかなーとか思いながら最初を読んでいたのですが、どうも子犬の死骸あたりから雲行きが怪しい。「え、これ、不気味テイストなの!?」と困惑しました。
とはいえ全編ホラーというわけでは全くなく、(都会に住む私にとっては憧れでしか無い)近隣住民との交流なんかはとても素敵に描写されています。
私は向日葵に対して「明るい」「健やか」といったポジティブなイメージを持っていたので、少し向日葵のイメージについて調べてみました。
生成AIに「向日葵のイメージとは」と尋ねると、
「太陽に向かって咲く様子から、明るくて元気、ポジティブなイメージがあります。また、一途な愛情や尊敬する人物への強い思いを象徴する花としても知られています。」
と返ってきました。なるほどね。
そんな向日葵を、まるで不気味の象徴かのように描写する場面が散見されます。これはすごく衝撃でした。でも、向日葵のその力強さって裏返せば不気味なのかな、、、そんなことないかな、、、
とはいえこれだけだったら別によくある小説で、わざわざ独立した記事にしようとは思いません。久々に読書していて涙が出そうになった気がします。「不幸に直面し傷心した少女が田舎の自然の活力で立ち直る物語」という想像を「向日葵男」の存在をはじめ様々な面で覆してくれたからでしょうか。
あとこれは読み方の指図で非常に押し付けがましいかもしれませんが、
彼は、穴を掘っている。
静まり返った夜の中、まるで世界を照らす唯一のものであるかのように月光が射す。
彼は地面に掘った穴を見下ろす。土にそれを葬るつもりで。
恐ろしい罪の証を、暗い穴の奥深くに埋める。
……そうしなければと、彼は心に決めたのだ。
仄かな月明かりを受け、刃物が、闇の中で鋭く光る――
この文章のことを脳裏に入れて読み進め、その描写が来たと思ったら一度ここに立ち返って情景を想像することをおすすめします。
読み終わったあと、心が浄化されるような爽やかな気持ちになれます。ぜひ一度読んでみては如何でしょうか。
ここからは躊躇せずにネタバレもします。
読むつもりの方はこれ以降目を通さないことを強く奨めます。
先程も記しましたが、とにかく向日葵を不吉な予感として描写しているのが非常に印象的でした。向日葵に対するイメージが完全に不気味の方向に寄ってしまいました。(作中の向日葵流しなんかは別に不気味要素ないはずなのになんかそっちにまで引っ張られてしまいました)
序盤からずっと、隼人の乱暴さに辟易としていたのですが、あの怜が彼を悪く言わない時点で、まあ何か事情はあるのだろうな、という想像はついていました。しっかり「何か」はありましたね。
それにしても隼人の変化には驚きでした。とにかくあまりにも乱暴者としての姿で描かれて、その「何かの事情」が浮かび上がってこないパートが長いので、「結局彼は意味もなく暴力する腕白小僧ってことなの…?」と不安になりました。が、中盤以降「何かの事情」が浮かび上がった瞬間隼人へのイメージは逆転しました。
あとはやはり、多感な時期の少年少女たちということで恋愛話題は欠かせないですよね。彼らが恋に気づく瞬間というものは、どの作品を見ていてもむず痒さを感じずにはいられません。そのむず痒さが快感なので私は学生の青春がすきです(唐突なカミングアウト)。
ところで先程生成AIによるヒマワリのイメージを記しましたが、ヒマワリにはどうやら「明るさ」以外にも「強い愛情や一途な思い」というイメージもあるようですね。
また、花言葉を調べると、
ひまわり(ヒマワリ)の花言葉は、「あなたを見つめる」「光輝」。 花びらの黄色と花芯のブラウンのコントラストが印象的で、夏の強い陽射しに立ち向かうように茎を伸ばす姿には、思わず目を奪われてしまうもの。
とのこと。
なるほど、と思います。向日葵を「明るさ」で捉えると「イメージを無視した真逆の作品じゃないか、まあそれはそれで意外性あっていいけど」ってなるのですが、向日葵を「強さ」として捉えると納得がいきます。怜も隼人もみのりも、三者三様に強さを持って生きてますよね。
そして、最後まで読めばわかりますが、結局「向日葵男」って一人ではないんですよね。子犬の死骸の件は最初の目撃者と思われた少女の仕業でしたし(実は彼女は隼人に好意を寄せていたのです!)、夏祭りで向日葵を折ったのは怜、怜の母が殴られる事件は怜の父による暴力でした。
ヒマワリのイメージなんかと重ねると、子犬の死骸の少女は隼人への「強い思い」が暴走し、町を去ることになった。怜は父から暴力を振るわれている母への彼なりの「強い思い」が向日葵を手折ることにつながった。怜の父(仙台で事業に失敗し、生まれ故郷に戻ってきました)は事業の失敗を焦り、幸せな家族を築こうとした「強い思い」が深酒を進め、暴力に至らしめた。この町での「向日葵男」は「強い思いの化身」だったのでしょうか。
そうなると佐古先生(他所から来たみのりを気にかけてくれるが、彼もまた事件を起こし町を去る)の件はなんだったのでしょう。
彼もまた他所から着任した人間で、田舎の閉鎖的で身内の雰囲気に追い込まれていたことは描写から分かりますが、彼がみのりを連れ去ろうとした(心中でもしようとしたのかしら?)のはあまりに突拍子もなく、衝撃でした。彼もまた、この町に対して「強い思い」を持っていて、向日葵男なり得たのでしょうか。(結局彼の仕業と思われた出来事は、最後までにすべて別人の仕業と否定されています)。
隼人がやたらと「あいつは変だから」と言っていたのは、そういう精神的な不安定さを感じ取っていたからなのでしょうか。でもどうして隼人はそれを感じ取ることができたのでしょうか。
この部分は読んでいて少し気になった箇所でした。(もしかしたらこの記事を書く過程で何かの描写を忘れて飛ばしてしまってるかもしれません、抜けている場面ありましたらご指摘ください、、、)。
父との対決を経て(彼は母を死に至らしめるきっかけを作った父を殺そうと復讐したのではなく、母の元へ行こうとしてたのですね!)怜は町を離れて暮らすことになりました。愛する母を失った怜の、これまで見せたことのなかったような姿に心が痛みました。最後には周りに言い残しもせず、家族以外に行き先を告げずに行方を眩ませます。これもまたどうして、という感じでしたが、なんと神戸の今井先生(小学校の恩師、老齢のため町を離れて神戸の親族と暮らしていました)を訪ねていたらしい。今井先生が町を去るとき、それまで子どもらしさを比較的感じさせなかった怜が突然、らしくもなく感情を顕にしながら別れを惜しむ描写がありましたが、怜の母への家庭内暴力のことを知ると、母が頼りにしていた人を失う恐怖や不安へと捉え方が変わります(今井先生は、余所者であった怜の母を気にかけ、家庭菜園を教えるなどの付き合いがありました。地元者である怜の父が守られている町で余所者の母が孤立しないように気をつかっていたのかもしれませんね)。一度は父との対決で死を覚悟していた怜でしたが、突然の失踪は決して死ぬためのものではなく、今井先生の去り際の言葉
「いつでも会いさ来い。いつでも、どこさ居でも、困ったどぎは必ず力になっから」
を頼りにしていたのです。
(今井先生は、生徒を鷹揚な表情で見守る、優しくて親しくしてくれる良い先生でした。てっきりその流れで語りかけているのかと思っていたのですが、家庭内暴力を知っているがそれを明らかにしようにもできない怜の家族の事情を知っていた上で言っているセリフだったのです!
よくよく見返すと、「どこまでも静謐な今井の眼差しに、一瞬、怖いくらい真剣な光が浮かんだ。」とありますがこれがヒントでしたね。)
最後のみんなが同窓会で集まるシーンも素晴らしかった。
この方の作品は、タイトルこそ忘れてしまいましたが以前にも何かを読み、その作品も素晴らしかったと記憶しています。
(結局タイトルから何まで忘れましたが、感動したからこそ著者の名前だけは覚えていたということです!)
今回も期待を裏切らない、読み応えのある素晴らしい作品でした。アニメをワンクール一気に見ているような感覚になりました。描写が丁寧だから情景を思い浮かべることができて、その場に居合わせていてまるで当人かのような移入ができます。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
総文量4500字とのことです。ドン引き。