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子どもに英語を習わせた方がいいですか?

タイトルの質問をたまに頂くことがありました。
僕が発達障害をもつお子さんの個別リハをしていたときの話です。

ちなみに自閉傾向をもつお子さんで、英語など外国語に強い関心を示しその強みを活かした関りをもつという考え方もあります。今回はそうしたお子さんのお話とは別のケースです。

僕が勤めていたところは幼児期のお子さんを主に対象としており、発達障害を始め吃音や発音、哺乳、緘黙(かんもく)など様々な症状をもつ子たちが来ていました。

訓練は原則として保護者の方同席のもと行います。
実際に訓練場面を見て頂いてお子さんの成長を共有し、疑問や質問もできる限りその場でお答えしていくという方法をとっていました。

その中で頂いていた質問です。
「英語を習うなら早いうちがいいってよく言いますよね。小さいときから習っていた方がいいですかね?」

という具合です。
これに関して、前提として確かな正解はありません。
ご両親の方針や本人の気持ちも大切ですし、将来プラスの影響が生まれるか、マイナスの影響が生じるかは神のみぞ知ることですしね。

ただ、質問を頂いた以上は僕個人の見解として前置きしたうえで、お答えしていました。
僕は「個人的にはおすすめしないですかね…」という主旨のことをお伝えしていました。完全に否定するわけではないですけどね!

理由について書いていきます。僕があまりおすすめしない、と答えるのには二つ理由があります。

まずは一つ目。
専門的なメカニズムは省きますが、事実としてあるのが「バイリンガル環境によって言葉の育ちが遅れるお子さんがいる」ということです。

バイリンガル環境というのは、その名のとおり言語が二種類飛び交う環境を指します。
たとえばご両親が国際結婚をされていて双方の言葉でやりとりされるケース。ただ、この場合多くはどちらかの国籍の言葉がメインになりますので大きな影響が出ないことが多いです。
難しいのはメインの言語が一定しない場合です。
たとえば、ご両親の仕事の都合などで幼い頃に二か国以上を行き来する場合。
あるいはご両親はメインの言語が決まっているけども、そのご家族との関わりも多くやはり複数の言語に接している場合など。

こうした環境のお子さんで、初語がなかなか出ないなどのきっかけから受診される方は決して少なくありませんでした。
実際に何人かのお子さんを担当させて頂いたこともあります。

すごく簡単に言ってしまうと、言葉のベースを作る前に多言語に触れるというのは、お子さんにとって負担が大きい場合があるということですね。
全てのお子さんに影響が出るわけではありませんが、影響が出るケースがあるのもまた事実。

この、バイリンガル環境が与える言葉の発達へのリスクが理由一つ目です。

続いて二つ目。僕の中ではこちらの方が大きな理由だったりします。
かなり私見も入ることをご容赦ください。

二つ目の理由は、英語などの第二言語は代償方法がある一方、母国語の力というのは代償が難しいという点です。

代償方法というのは簡単に言えば、ここでは取返しがつくかどうかという意味で捉えてください。
英語などの外国語は乳幼児期から接していた方が、その言葉の音を認識する能力などに影響し獲得しやすくなることは事実です。
ただ、小学生以降の勉強で獲得できないというわけでもありません。
また、現時点でも翻訳手段はかなり身近になっています。スマホやポケトークなどの手段がありますが、これらは今後ますます手軽なものになっていく可能性があります。

とすれば学業での有利不利はあれど、長期的に見たときに英語ができないことが大きな不利益になる可能性は低いかもしれません。

一方で母国語の力についてです。
これは本当に個人的な考えになってしまうのですが今の世の中、国語力というものが軽視されすぎている気がしてなりません。

幼い頃に外国語と親しんだお子さんが、将来日本語が話せないかというとそうではありません。
状況にもよりますが、大半の子は日本語を話すこと自体に目立った支障が出る可能性は低いでしょう。

ただ、国語力というものは日本語が話せる、話せないの二択ではありません。
たとえばですが、僕が仕事でよく頭を悩ませていたのが後輩の報告書指導です。
言語聴覚士は、お子さんの発達検査などをとった際にその結果をまとめて報告書とする場面がたびたびあります。
保護者の方や保育士さん、学校の先生方などにそのお子さんの特性や長所の活かし方が伝わるようお手紙にするわけですが。

これがどーーーーーーーーーしても苦手な人、いますね…。
というか、僕の生意気な視点からすると、三~四割ぐらいのスタッフは文章が気になる部類に入ってしまいます。
当時僕は若手スタッフの報告書の添削係もしていましたので、希望したスタッフの報告書に目を通し書き方を指導するのですが。

文章力って本当に教えづらいんですよね…。
読点の位置であったり、見方によって二つの意味にとれる文章にしないようにしたり、繰り返しの言い回しにならないよう工夫したり…。
その文章自体を添削するのは難しくなくとも、次回以降、その人が文章を上達していくよう指導するのはなかなか頭を悩ませる課題でした。

僕自身、文にこだわってしまう方だとは思うしそもそも自分が全て正しいとも限らないのでかなりハードルは下げて添削しているつもりなのですが…。
それでも「うーん」となってしまう。
しかも、僕が至らないせいですが改善ポイントをうまく言葉にできないのでなかなか上達もしにくい。

書く力についてはこのような難しさがあり…もう一つの難しさとして感じるのは読解力について。
文字の本を読むのが苦手な方、僕の友人知人を見てもかなり多いです。

今であったりこれからの時代、読書ってひと昔前以上に大切な時間になってくると思うんですよね。

今、あらゆる情報は動画化されタイムパフォーマンスを突き詰める傾向があるように思います。
ですが動画には動画の、読書には読書の強みがあります。

読書の強み…一つは自分のペースで情報を取り入れ、自分の力で解釈することが挙げられるのではないでしょうか。
情報が延々流れ込んでくるストレスフルな現代社会において、目の前の本と向き合う時間というのは、情報以上の価値があると思うのです。

ただ残念ながら、文字では中身が掴めないという理由で最初から読書という選択肢が入らない方もおられます。

もちろん読書以外にも、情報を得る方法やリフレッシュの方法はいくらでも挙げることができます。
ただ本が読め(ま)ないことで、選択肢が狭まってしまうのは惜しまれるとも思ってしまうのです。

子どもの頃に多言語環境だった=読解力や国語力が落ちる、というのは無論暴論ですが。
僕としてはどうしても上に挙げたような可能性が気になってしまいます。

ですので代償手段がある外国語と、万が一影響が出たときに代償がしづらい国語力では、僕なら国語力を優先しますかね…というお話を相談を受けた際にはしていました。

これは本当に正解がない話だとは思いますけどね…。
僕自身、海外の方の言葉を翻訳無しで理解できたら素敵だなあと思って英語を勉強しましたが…挫折もしましたし。
それぞれのご家庭の考え方があると思うので、まあこんな風に考える人もいるのか程度に受けて頂けると幸いです。


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